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死んだじいちゃんが居候を連れてきた話(前編)

じいちゃんが生きてたら今年で90歳になるそう。じいちゃんと同い年のばあちゃんは「もう90歳やき、いつ死んでもいいね」と言うが、割と元気で、自分の足で歩けるし、ご飯もしっかり食べるし、お酒も少し飲む。

今年はじいちゃんの17回忌だ。

じいちゃんは、農協か共済の職員だったらしい。何が言いたいのかというと、じいちゃんは田舎によくいる普通の働く人だった。

そして、じいちゃんの息子である父と叔母さんは、割と不自由なく育ったそうで、貧しい暮らしをしたことがない。そういう家庭を、普通の幸せな家庭、と人は言うのだと思う。

しかし、じいちゃんが亡くなってから、しばらく経った頃、ふと父から、こんな話を聞いた。おそらく、実家でお肉を食べている時に、美味い肉について、みんなで話している時だ。

「マサちゃんって人が、よくお肉を持って帰ってくれよったきね」

マサちゃん=居候の人のこと

父は4人家族の長男であり、普通の幸せな家庭で育ったものだと思っていた。だから、居候と一緒に暮らしていたなんて、想像もしていなかったし、そもそも、そんな話、長年一緒に暮らしてきて初めて聞いたことだった。

「は?居候がおったと?」と僕。

「そう。よく肉を持って帰ってくれよったんよ。肉屋で働きよったき」と父。

「え?その人とはどういう関係なん?」と僕。

「いや、よう分からんけど、じいちゃんがいきなり連れてきて、一緒に住むようになったんよね」と父。

「え?何って人なん?」と僕。

「マサヒロちゃん。だけ、俺と同じ名前よね」と父。

めっちゃおもろ、と僕は思った。

マサヒロ=父≠居候=マサヒロ

父曰く、マサちゃんが持って帰ってくれたホルモンがめちゃくちゃ美味しかったらしい。小ぶりのホルモンで、ちょこっと脂がのっていて、それを柔らかく煮て食べていたそうで、それがめちゃくちゃ美味しかったのを、今でも覚えているそうだ。

一説にホルモンは、「ほおる」という「捨てる」という意味の方言で「ほおるもん」つまり「捨てるもの」というのが語源であるという。だから、おそらく、それは、無料で持って帰っていたのではないか、と叔母さんは言っていた。

とにかく、そのホルモンがめちゃくちゃ美味しくて、父と叔母さんは、よく食べていたそうだ。

しかし、何故、じいちゃんはまさちゃんを連れてきた?

父と叔母さんは、マサちゃんのことを「じいちゃんの子分」だと思っていた。

マサちゃんには身寄りがなかったらしく、じいちゃんはマサちゃんに家族が居なかったので、うちに連れてきたのでは、と父と叔母さんは推測していた。

「推測していた」と書いたのは、父も叔母さんも、じいちゃんから直接、そのことを聞いたわけでなかったからだ。おそらく、じいちゃんは「今日から一緒に住む」と父と叔母さんに伝え、詳しいことは話してなかったのだと思う。

当時、父は10歳、叔母さんは13歳くらいで、じいちゃん目線で考えると、子どもたちには話しづらい内容だったのだと思う。

マサちゃんは理由(ワケ)あって、うちの家に来て、居候として暮らしていた。父と叔母さんにとっては、ザッツ・オール。それ以上、知る必要もなく、家族4人+居候で、仲良く暮らす、それだけだったのかもしれない。

「それでマサちゃんはいつ居なくなったの?」

そう僕が尋ねると、

「伊田に行く時に、鎮西中学校の下の川沿いの道を走るやん。あそこで事故にあって、死んでしまったんよ」と父。

「え?もう居ないってこと?」と僕。

「そうそう」と父。

えーーーーーー、と僕は思った。「これって、全然、普通の幸せな家庭っぽくないやん」と。

それっち、いつのことなん?」と僕。

「多分、俺が大学の頃やないかな」と父。

「えっ?それっち、10年近く居候のマサちゃんと一緒に暮らしよったっちことなん?」と僕。

「そうやね。俺が中学の時、五千円持って、マサちゃんにバイクを買いに連れて行ってもらったもん」と父。

「えっ、5千円でバイク買えたん?」と僕。

「うん、買えたよ」と父。

えーーーーーー、と僕は思った。「これって、全然、普通の幸せな家庭っぽくないやん」と。この話はこんな感じの「えーーーーーー」の連続だった。

長くなったので、次回に続きます。ここまで読んで頂いてありがとうございます。後編も読んでください。




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