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紙とペンがないと不安になってしまう病気について

古賀史健さんの著書『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』で文章について勉強している。紙のノートを広げて、その本を読み、大事なことをノートに書き写している。

わざわざノートに書き写しているのは、結構な文量がある本なので、大事なことを振り返りたい時、付箋や折り目で探すのか大変そうだと思ったから。

そして、これを機に紙のノートを買って、書きたい文章の内容の整理や色んなことに使っているが、ほんの数週間のうちに、ないと不安になるくらい、紙のノートは僕にとって必要不可欠なものになっている。

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ところで、先日、田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい』という本を衝動的に買って、1日で読み終えてしまった。

その本を読んで僕が感じたことは「自分が読みたくないような、つまらないことを書いても意味ない」ということだ。

昨年の6月から毎週1回以上noteを更新することが「文章を書く目的」になってしまった僕にとっては、とても耳が痛い本だった。

けれども、それは、毎週1回以上の更新を1年間続けてきたからこそ、気づいたことだと思う。

『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』の最初に語られていることは、エンターテインが宿っていない文章はコンテンツに成り得ないこと。そして、それがコンテンツに成り得るものかどうかは、読者が判断するということ。

そして、『読みたいことを、書けばいい』の全編で語られていることは、心が動いたことを徹底的に調べて、それでも自分が「読みたい」と思うなら、それを「自分」に向けて書けばいい、ということ。

文章にエンターテインが宿っているかどうか、判断するのは読者である。だから、「自分が読みたいものか」を基準に、自分のエンターテインを徹底的に追求して書くしかない。

僕はこの2冊を読んで、そのように解釈をした。これから、そういう戦略をもって書いていこうと思っている。

とはいえ、この文章にエンターテインはないのだけど、最近、紙のノートにペンを使って、情報を整理することで、頭がスッキリするようになったので、そのことについて書いてみたい。

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小学生から大学に至る16年間、1984年生まれの僕らは紙とペンで勉強してきた。これは、紙とペンを使って、色んな情報を整理し、記憶する「訓練」をしてきた、ということだ。

しかし、大学を卒業して以来、僕は紙とペンを捨て、スマホやパソコンとばかり向き合ってきた。その年数はおよそ14年間。

この14年間で培ってきたものは少なからずあると思う。しかし、その前の16年間訓練はどうなったのか。

例えば、それは、16年間、お箸を使ってご飯を食べていたにも関わらず、その後の14年間スプーンでご飯を食べるようになった人が、ある日、ふと「何かちょっと食べる感じが違うよね?あんまり美味しくなく感じるけど、なぜ?」と疑問に思うようなことかもしれない。

「16年間、訓練したものを放棄した」と、僕はペンを握り、書いた。おかげで、「紙とペンを使うこと」について、すごく整理できたのだ。

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ところで、僕はコテンラジオのファンで、月額サポーターになっているのだけれど、その月額サポーター限定配信の番組で、パーソナリティの深井さんが、

「僕らのほとんどが知的労働者であるにも関わらず、自らの知的パフォーマンスが発揮できる状況や環境について無関心である」ことについて話していた。

月額サポーター限定配信のため、話された内容については、これ以上、言及しないが、「知的パフォーマンスを発揮できていないこと」について僕なりに考えていくと、

例えば、肉体労働者であるスポーツ選手は、試合において、自らの身体的パフォーマンスを100%発揮するために日々トレーニングや体調管理を行っている。建設会社や農家の方もそうだと思う。

僕が職場で肉体労働をする時でさえ、夏場の暑い気温を避けるために、朝早く作業するなど、働く時間帯を変えたり、本来の休憩時間に関わらず、熱中症対策のためにこまめに水分や塩分を取ったりしている。それは、身体的パフォーマンスを下げないためだ。

一方で、知的パフォーマンスについて、あまり注意を向けられていない。

例えば、フレックスタイム制を導入していない会社や役所は、みんな同じ環境で同じ時間に知的労働をすることによって仕事を回しているのだけど、

その仕事の方法は、知的労働者それぞれの知的パフォーマンスに注意を向けているようには到底思えない。

同僚から話しかけられ、上司から呼び出され、電話が鳴り、誰かの会話や電話対応の声が常に聞こえる状況で、僕らは事務作業をしていて、時には、数千万円の補助金をもらうための企画書を書いたりしている。

愚痴を言うつもりはないが、そんな職場は、自分の知的パフォーマンスを最大限発揮できる環境では決してない。だからと言って、簡単にそれを変えることが出来るわけではない。

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話を、紙とペンに戻す。

僕は知的パフォーマンスを発揮するために、16年間訓練してきた紙とペンを使った情報の整理を再開させた。これが、とても良かった。

今までは、スマホのメモ機能を使ったり、あるいは、使わずに、書きながら考えたりしていた。うまく書けるわけがない。

紙とペンは、『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』で語られている文章の構成(設計)について整理し、

『読みたいことを、書けばいい』で語られている「自分が読みたいと思うエンターテイン」についての情報を整理するのに、とても役立っている。

ノートを開き「自分が読みたいと思うエンターテイン」を最初の行に書き、真ん中にそれを伝えるための構成(設計)を書いていく。

エンターテインのエッセンスを書き出し、必要や裏付けを書き出し、その中から最適なエピソードを見つける。それを構成(設計)に落とし込んでいく。

ちなみに、ノートはコクヨのキャンパスノート、ペンは三菱鉛筆(Uni)のクルトガを使っている。これがないと、不安になる。

以上です。いつもありがとうございます。


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