菅首相の置き土産から「政治的モメンタム」を理解する


1.菅首相の執念、緊急承認制度

208回国会の法案審議の様子が少しずつ伝えられるようになりました。

今回の国会では、緊急時において医薬品の承認を通常よりスピーディに行う緊急承認制度が議論されます。これにより、医薬品の承認にマストな調査などに特例がつくられ、迅速な承認への道が開けるのです。

この政策のきっかけは、実は岸田政権ではなく菅政権下で既に進められていたものなのです。

2.緊急承認制度のきっかけ

今回の緊急承認新設に向けた背景には、ここ2年の最重要課題である新型コロナウイルスの流行があります。

日本で初めて新型コロナウイルスワクチンが承認されたのは2021年2月。欧米で緊急使用許可がされてから2月遅れてのことでした。

覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、このころ「海外ではワクチン接種が始まっているのに日本では始まっていない」というような日本でのワクチン承認の遅れを批判する投稿がSNS上に氾濫していました。

既に日本には、緊急時に医薬品の承認をスピーディにおこなうための制度(特例承認制度)はあります。でもその制度は海外でその医薬品が既に利用されていることが条件だったため、海外で使用が始まらないことには、日本で使用するためのプロセスを進められないことになっているのです。

海外に比べるとスピード感に劣ることは否めなかったのがこれまでの制度でした。

3.菅首相が骨太に残した政策実現のきっかけ

この承認制度の問題だけでなく、政府が打ち出したコロナ対策への国民の不満が積み重なった結果、2021年10月、菅首相は退陣します。

コロナ禍という難しい状況下でうまく支持率を高く保つことができなかった結果、短期間で総理の座を手放さざるを得なかったことに忸怩たる思いがあるのでしょう。

菅首相は退任後の2021年1月、NHKの記事(※)上で

-制度の壁によって承認が遅れた
-緊急事態に相応しい承認制度が必要と考えていた

旨を打ち明けています。
菅とコロナ ワクチンに賭けた菅の決意

実は、この緊急承認を実現するための菅首相の意欲は2021年6月の骨太の方針の時点で既に示されていました。以下の記載です。

…緊急時の薬事承認の在り方について検討する。
骨太の方針(2021年)


骨太の方針は政府の文書の中では最高レベル。骨太の方針に政策の方向性が記載されると各省庁に対する政策実現のプレッシャーがかかり、政策実現の可能性が高まります。

2021年6月の骨太の方針の公表後、2021年11月から緊急承認制度の検討会が始まり、昨年末までに政府としての方針がしめされ、今回の緊急承認制度の法改正につながっています。

骨太の方針に政策の方向性が記載されることの威力がうかがえますね。

2021年6月の時点、つまり菅首相の政権下で記載がされていた内容ですから、いわば菅首相のトップダウンの結果、時間差で実現にこぎつけたのがこの緊急承認なのです。

5.この改正は政治的モメンタムが強まった結果

政策は何のきっかけもなければ実現されません。

事件や事故、裁判の判決、政権の不祥事などをきっかけとして国民の関心が強く高まることで制度改正の機運は生まれます。

官邸や与党の政治家が国民の関心事に敏感です。政治家が国民の不満をタイムリーにとらえられていなければ、その不満がメディアやSNSを通じて増幅した結果、次の選挙での落選につながるからです。

この不満のマグマを鎮めようと政治家が一生懸命になる状況を、霞が関用語で「政治的モメンタムが強い」と表現します。

この不満のマグマが強すぎて、政権が倒れてしまったケースが2009年の民主党政権による政権奪取です。

適切な年金記録の管理がされていなかった「消えた年金記録問題」や年齢により医療制度を区切ることへの批判が強かった「後期高齢者医療制度問題」などに対する国民の不満のマグマを上手く自民党政権が消化しきれなかったことが政権交代につながりました。

今回の緊急承認制度も、構造は同じです。

今までの承認制度に対する国民の不満を官邸が深刻に受け止め、緊急時の承認制度に係る政治的モメンタムが強まった結果、(菅政権の間には処理できませんでしたが)菅―岸田と政権をまたぎ、法案提出までこぎつけたものなのです。

6.今後の政治的モメンタムが向かう先

2020年からこれまでは新型コロナウイルス関連の政策に政治的モメンタムが向かっていましたが、2022年以降はどうでしょうか。新型コロナウイルスも引き続き政権の主要課題でありつつづけるでしょうが、安全保障の分野も政治的モメンタムが向かう先として有力なイシューになりそうです。

政策人材のための教科書をお読みの方には、ピンときたかもしれませんが、政策を先取りしたい人や、政策を変えていきたいという意欲を持つ方はこの「政治的モメンタム」の動きに注意しておくことが重要になるでしょう。

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