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自己肯定感が低くプライドが高い田舎者が爆誕 「自己紹介①」

こんにちは! Kenです。
Noteを書き始めて数日がたちますが、あらためて自己紹介を残したいと思います。そもそもNoteを始めたのも頭の中のカオスを外に出したいと思ったのがきっかけですので、自分自身のことを思い出してみようと思います。

岩手県の度を超すほど長閑な村に生まれた私は、今年30歳になる年で、一人っ子長男で生まれました。地元の村は帰るたびに昔通った店がひとつ、またひとつと閉り、私が高校生の時に母校の小学校が閉校になるほどの、少子高齢化をまさに、世界よこれぞ少子高齢化だと体現しているような村です。

出身地のホームページ。最近までドメインがhtmlだった気がしますが、進化しています。アイコンは表示されてほしい。さみしいからw 農家とかリモートワークの避暑地には結構いい場所だと思いますw 

小学校のころは同級生8人、少年野球強制参加、全員が何かしらの委員長という役職者集団のクラスだったのですが、中学校に進学し1クラスが30人と聞いて、物理的に不可能だと思ったのを覚えています。
中学生のころは成績は一番でもないけど上位といえば上位、生徒会にも入っていたけど、代表ではないみたいな中途半端な立ち回りをうろうろ。部活も野球からバスケに変えたりと、これもまた中途半端。このころから何をするにも中途半端で29歳で3社目と自由に転職している伏線はこのころから来ています。

人生で初めてうれしかったことは、という出来事はこのころで、生徒会の選挙演説で後輩の推薦者?として発表した時に、先生から今まで聞いた演説で圧倒的に一番良かったといわれ、これが今まで中途半端に振舞ってきた僕にとって衝撃的な一言で、ストーリーを語ることは自分の強みなんだと自覚し始めました。

小学校のころから強制的に人前に立って話してきた私にとって、1対他のコミュニケーションはあまり抵抗がなかったのと、中途半端に目立つことに、快感を覚えていたこともあり将来はアナウンサーになりたいな、めっちゃ目立つし。と思っていました。というわけで高校は実家から親にかなりの負担をかければ通える距離の地元の進学高校に通うことになりました。

私は一人っ子で父と母と三人で暮らしていたのですが、高校生2年生の時、父が倒れました。脳梗塞でした。12月にMrインクレディブルを見ていて、イラスティガールに隠れて子供たちが飛行機に乗っているシーンあたりで、救急車を呼びました。幸い今は元気にしていますが、左半身は動きません。この時に当時の私は地元の国公立に行くか、農家やるしかない。と覚悟しました。結果、受験はちょっとあやしかったものの何とか後期日程で岩手県立大学に入学できました。※試験の小論文がめちゃくちゃ得意な環境保護系のテーマだったのは、神か仏かご先祖様かと思いました。

両親は養豚と花卉農家でしたが、バブルのころに豚を売りまくってくれたおかげで、大学に入学するための頭金は両親が何とかしてくれました。学費や生活費は免除制度と奨学金、アルバイトで何とかなりました。何とかなるもんなんですね。アルバイトはいろいろありましたが、ローカルTV局の中継補助と報道部での夜勤バイトを4年間続けました。私はまだ4年続けた仕事はないのでこのバイトが一番長いですw 一応まだアナウンサーという夢はまだあきらめていなかったのでその近いところで働くことができました。​

☝私は写っていませんが昔のバイト先。ちょうどこれくらいの時期です。
この時期に東日本大震災が起きました。全域が停電し、ガソリンスタンドは大行列、安否確認の連絡も届かない。大学は内陸でしたが、みんながラジオに耳をつけていました。私はこの時アルバイト先で安否確認の問い合わせバイトをしていました。災害時のラジオは避難所にいる生存確認ができた方の名前を読み上げていくのですが、この名前は呼ばれましたか?と問い合わせが大量にくるのでこの電話に対応する仕事です。ちなみに1週間で1000件くらいうけた電話で名前が見つかり、良い報告ができたのは1件でした。

大変なこともありましたが、震災の影響で学生にはチャンスも多かったです。アルバイトではキー局の中継に参加して錦戸旦のライブ中継のカメラの後ろについたり、SMAPが釜石で炊き出しをした時の現状復帰のバイトなんかもありました。まあこれはこれで大変でしたが、
大学では生態系のゼミに所属して地元の山についての論文を書き、大学の広報活動で高校生に大学内を案内し、東京で開催された被災地関連のビジネスコンテストで賞をとったりと、いい友人にも刺激され中途半端ではありますが比較的楽しい時期を過ごしました。このころ一緒に戦った友人は今でも連絡を取っています。

この時父の病や震災など逆境を超えることができた経験や、ビジネスコンテストなどで、ロクな変化も生み出せない割にちやほやされた経験から鼻の高い就活生に順調に仕上がっていきました。一方で継続した努力で成果が出せず、投げ出すことが多かった10代の自分は怒られてへこんであきらめるというサイクルを繰り返していたこともあり、どうせ自分は突き抜けられないと思うことも多く自己肯定感ををいまいち持てずにいました。

就職活動は、アナウンサーは目立つけど、それよりもなにか世の中に影響を与えられる仕事をしたい。そのためには起業だ!とおもい若くして店長の経験をして経営ができるセブン-イレブン・ジャパンに入社しました。それ以上に母校から入社実績がないことが、なんかイケている気がしたというのが今となっては一番大きい理由ですね。

こんな感じで順調に挫折のキャンセル待みたいな状態で社会に出た私がどうなったか次回の記事に書いていこうと思います。

では

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