見出し画像

サイクリングって、いいよね 〜その1〜

「サイクリングって、自転車って、いいよね。」常々思ってるんだけど、他人に説明する機会ってないなぁと思って。一般的によく言われるのは健康やらダイエットにいいよとか、行動範囲が広がるっていろんな発見があるよとかかな。確かに異論はないんだけども、20年も乗ってるから言えることもありそうな気がしてきたので、「サイクリングって、いいよね」って言えるようにもう少し掘り下げて整理してみようとおもうんだけど。

自然と向き合うって、いいよね

釣り、キャンプ、登山とか、多くの人が楽しみ続けてるアクティビティとか趣味には「自然と向き合う」って要素が共通するんだけど、これは本当に大きいと思う。ここ日本なら四季の移り変わりで、いつものフィールドでもいつも異なる表情を見せてくれるし、いつものアクティビティでも毎回異なるシチュエーションで出迎えてくれるという新鮮さがある。もちろん雨、風などの天候にも大きく影響を受けるから、それに対応・対処・克服するというチャレンジングな楽しみもあるよね。

もちろん自然なので災害の影響も受けるのは当然で、実際に被災された当事者の方々の苦痛や苦労は想像を絶するものがあって、趣味の延長上で話題にするのも申し訳ないような気はする。それでも私にとっては趣味のサイクリングを通じていろいろ考えさせられるものもあって。

お気に入りでよく走る山間部の林道も、地震や豪雨の影響であちこち分断されて通行できなくなってしまったり、土砂崩れの現場に行き当たって一本道を延々と引き返した・・・なんてことも何度も経験してるんだけど、そんな体験は私にとって、とてもとても衝撃的で。

東京に住んでいた時には、ニュース番組で報道される被災状況のレポートが一番のリアルで、実際に根拠もなく「わかった」ような気がしていたんだけど、実際、その迫力やら恐怖感すらほとんど何も知らなかったんだなということが、九州でサイクリングしていることで実感できた気がしてる。自分が遭遇して実際にその目で見て感じる自然の力の絶対的なパワーは、語弊や誤解を恐れずに言えば、リアルを見て、知れて、自分の人生に於いては本当に良かったとさえ感じている。(リアルに感じないまま生活できてしまう東京という環境もそれはそれで凄いよねって話はあるけれども。)

豪雨の危険性とか、影響による土砂災害の怖さなんて、本当に知らなかった。TV画面を通してわかった気になってた。でも九州へ来て、いつもの林道が突然土砂崩れでぶっつりと分断、目の前の道が文字通り無くなってるのに遭遇したりも一度や二度じゃなくて。その度に突きつけられたその自然の猛威というか迫力が突きつける、毛穴が開くような押し寄せる恐怖感は、私にとっては驚きやら発見やら新鮮さやらがおり混ざった複雑で目の覚めるような刺激を与えてくれた。逆に言えばこれまで「如何に知らなかった」か、勝手な解釈で「如何に軽く捉えていた」か、そして被災地域や被災者へ「如何に共感できていなかった」かが突きつけられたのも事実でショックだった。そういった無知を恥じるきっかけになったという意味でも、サイクリングで体験することができた自然というのは、本当にたいへん重要な要素だと感じてて。

日常で身近な自然と言えば天候もそうだよね。暑さ寒さも、雨も風もそれなりにしんどいけど、誰に文句を言うこともできない絶対的な「しかたない」という環境を、どうやって自分の中で処理するかという問題は、サイクリングと通じて再認識できたと思ってる。

雪の後に道が凍りついていて、自転車で走るどころじゃない、その場に立っているのもやっと、なんてこともあったな。山に登りたくて行ってみたは良いものの、山頂に近づくにつれて増えていく残雪。さんざん長い時間掛けてもう少しで峠を越えるってあたりまで来て完全にアイスバーンが広がり行き止まり・・・。それでも「行けそうだ」「行けるかも」でここまで登ってきてしまった自分を呪いながら、なんとか気持ちを切り替えて来た道を引き返すなんてことも一度や二度じゃない。でも、こういう実体験で突きつけられる現実への対応って、自分にとっては本当に良い訓練というか精神修養になってるなと感じてて。希望的観測で出発したのも自分だけの所為だから、ありのままを受け入れてなんとか納得して引き返すのも自分、その時の結果や経験を楽しめるかどうかも、すべて自分次第。本当に良い経験をさせてもらってると感じてる。

自分と向き合うって、いいよね

気心知れた友人たちと連れ立って走るサイクリングも楽しいんだけど、ひとりで気ままに行くのも本当に楽しいよ。それこそ行く道によっては、山に入ってからほとんど誰ともすれ違わないような一日を過ごすこともあって。延々と自分ひとりの時間を過ごすことになるんだけど、とても貴重で大切な時間だと感じるんだ。(まあ子供が生まれてからのここ数年はなかなかそんな1日を過ごすこともできないでいるんだけどね。)

これについてはまた別の機会にも(自己満足で)書いてみようと思うんだけれど、簡潔に言っちゃえば「自分と向き合う」時間というのかしら。思考とかだけじゃなくて肉体の方もそう。自分の体調の良し悪しとか、自分がどれだけ走れるか(登れるか)みたいなことが、望む望まないに関わらず、嫌ってほどフィードバックされるから、強制的に自分と向き合わざるを得ない、みたいな。例えばキャンプなら焚き火を囲んでゆったり過ごすことで自分に向き合う時間にしてみたり、スポーツならその記録とか成績で自分の体調を自覚できたりとか。でもサイクリングなら、これら両方、フィジカルとメンタルのどちらもバランス良く向き合えるのが良いところだと思ってて。

林道を考え事したり、頭の中を無にしてみたり。自分の今日の体調を感じとってペース配分を変えてみたり、自然とそういう「自分に向き合う」ことが要求されるっていうのがサイクリングの良い点かなと思う。毎日なぜか忙しい現代生活では本当に貴重じゃないかな。

それに、自転車を漕ぐのも自分、目的地を決めるのも自分、スピートやペース配分を決めるのも自分、目の前に迫る坂道を登るのも登らないのも自分、ルートを決めるのも自分。サイクリングって本当に「自分」の裁量に任されてて。モータースポーツと違って自分の能力以上に走らされるようなことも起きにくいし(下り坂は別かも)、機材の良し悪しだってある程度たかが知れてるし。頑張っても頑張らなくてもぜんぶ自由ってすごく楽しいのよ。

人生ってそれこそ思い通りにならないことが前提だったり(私だけかな)するけど、こういった自分のごく近い手の届く範囲で、コントロールできることを着実に増やしていくっていう楽しみがサイクリングにはあるような気がしてて。

奥が深いって、いいよね

そんだけ乗ってたらさすがに飽きないかと言われるんだけど、飽きない。少なくとも私はまだ飽きてない。もちろん人によるとか、環境によるみたいなのは当たり前なんだけどさ、自転車って単純なようで、簡単なようで、実は奥が深いのよ。

上手に効率良くペダルを漕げるようになる、長距離を走れるようになる、より長い坂道を登れるようになる、地図や記憶を頼りに楽しめるルートを引く(計画する)ようになる、自分の自転車を自分でメンテナンスできるようになる、仲間とペースを合わせて走れるようになる・・・。上げればキリがないほど、本当に時間がいくらあっても足りないぐらいに奥が深い。それぞれ言えば簡単そうなんだけど、実はそれぞれ難しくって奥深い。シンプルなものほど難しいっていうのに似てる気もする。

例えばサイクリングで最も基本となる「自転車を漕ぐ」ペダリングですら、実際の上達はなかなかに難しい。もちろん老若男女多くの人が簡単にペダルを漕げるのだけれど、実は上手なペダリングをマスターするには、年単位で取り組む必要があると思ってる。実際、見るからに美しくスマートな漕ぎ方をする、私より遥かに年上であろう御老体のサイクリストが、数百kmもの長距離をなんなく走破する姿など見れば、難しくて奥深いのがわかってもらえるかもしれない。

持続可能って、いいよね

流行りに乗りたいわけじゃないんだけど、持続可能性。サイクリングの良いところって、長く続けられるっていう点もあると思うんだ。もちろん長く続けられる趣味は他にもいくらだってあるのだけれど、スポーツやアクティビティ系の趣味の中では、サイクリングは長く続けられる部類だと思うんだ。

仲間内から「鉄人」とか「軍曹」とか呼ばれちゃうような健脚や剛脚自慢の人も居るけど、別に剛脚じゃなくてもサイクリングは楽しめるしね。例えばランと違って足腰への衝撃とか負担も少ないと思うし、心拍のコントロールに至っては自転車の方がしやすいだろうし。(ランだと走るの止めて歩くこともできるけど、自転車ならペースを落としたり、急勾配の坂道を避けたりするだけで良い。)

趣味を楽しむのに必要な基本的な健康維持は求められるけど、年齢や健康状態、モチベーションに合わせて楽しみを見出しやすいのがサイクリングのような気がしてて。私も道で見かける諸先輩方のように、歳を取っても可能な限り乗り続けたいとは思ってるんだ。もちろん前で述べた美しいペダリングのサイクリストのように、私より大幅に年上でも、私より速くて強い方はいくらでも居るんだから刺激的でしょう?


ここまで書いてきて、まだ書きたいことがたくさんあって、いっぺんには書ききれないことに気がついた。なので、小分けにして書いていこうと思う。どうかな、少しでも「ほー、そりゃいいよね。」って感じてもらえたら嬉しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?