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羽越本線と、恋をした。

 これは自惚れかもしれないけれど、私ほど"恋"という言葉から遠い人間もそういないのではないだろうか。所謂「陽キャ」というものを蔑み続ける人生を送ったせいで、恋愛願望などとうの昔に失ってしまった。少なくとも今の私は、恋愛をしようとか、誰かを好きになろうとか、私を好きになる人がいるかもしれないとか、そういう考えをする気は起きない。

 羽越本線、832D、酒田発新津行き。山形県庄内地方の重要都市、酒田を17時22分に出発し、現在は新潟市に属する鉄道の町、新津に21時1分に到着する。166.9kmを3時間39分で走破する、ロングランの普通列車だ。私は酒田の3駅先、陸羽西線との接続駅である余目から乗車した。片手には余目の土産物屋で買った山形りんごの缶ジュースを握っていた。私は酒が飲めない(数日前久々に飲んだのだが、ほろよい一缶で案の定ダウンしてしまった)ので、よくこういった飲み物をよく飲むのだが、もし酒に強かったなら、こういうときは日本酒を片手に握っていたのではないかと思う。新潟や庄内は米どころであるから、こういうときに酒を飲めないのは我ながら損していると思う。

 この時間の列車に乗ったのは、最寄り駅の来迎寺を拠点に、米坂線・陸羽西線・羽越線を巡って帰宅する旅程が事実上一択でしかないためで、特に意図はなかったのだが、この列車に乗った時点で……いや、乗る前から、私はあることに期待していた。

「日本海に沈む夕日が見たい」

 夏の夕暮れは遅い。余目は日本海沿いではないけれど、羽越線はこの先、山形と新潟の県境付近にかけて、日本海沿岸を通る。そのあたりを通過する時刻が、ちょうど夕日が沈む時間帯になるはずだ。私の見立てが正しければ。

 なぜ私が日本海と夕日にこうも重い感情を抱くのかというと、春に実家のある大阪からここまでやってきたとき、信越線でその景色を見たからだ。

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 信越本線は特に柿崎から柏崎にかけて、日本海沿岸を通る。その日の私は、北陸本線を各駅停車で走破し、そのまま長岡へ向かっていた。それは既に立山連峰や親不知といった北陸の名所を十分すぎるほど堪能していた私に、最後のとどめかのように見せつけられた光景だった。

 信越線の海岸区間自体はもう既に何度も乗車していたし、その度に日本海の景色に興奮していたけれど、夕暮れの時間に乗るのはその時が初めてだった。感情という感情を狂わされた。これを味わうために長岡に住んでいる。いや、私はこのために生きている。こんな考えすら私の脳を駆け巡った。どう見ても誇大妄想なのだが、それほどまでに私はおかしくなっていたのである。

 話を羽越線に戻さなくてはならない。羽越線の普通列車に使用されるGV-E400系なる新型気動車には、座席が少ないという欠点がある。私はこの車両をあまり好きではないのだが、それは大した問題でもないし別の話だ。乗車した余目の時点では、海側のボックスシートはすでに埋まってしまっていた。まずいかもしれないと思ったが、幸い杞憂に終わった。鶴岡で乗客の入れ替わりがあり、無事に海側のボックスシートを確保できたからだ。もちろん窓側の席を前向きに座って、缶ジュースを開ける。至福のひとときというやつだ。

 線路が日本海に近づき始める五十川付近の時点で、私は勝ちを確信していた。天気は良好。まだ日は下がりきっていない。ここからが本番だ。


そして私は、遠くに沈んでいく夕日を、ただひたすら眺めていた。

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信越線で見た夕日とは少し違う、赤くて小さい夕日。私が考えていたものとは少し違った。それでよかった。そもそもここは信越線ではなく、羽越線なのである。一口に新潟の日本海と言っても、反対側の表情は違う。当たり前のことだった。関西人の私は、まだそれに気づいていなかったのだ。こんなことを考えられるのも執筆中の今だからであり、乗車当時の私にそんな感情はなかった。ただ夕日を眺めていた。

 832Dが山形と新潟の県境を超えて南下していくと同じくして、夕日は水平線に消えゆく。完全に沈み切った後、空に紅い余韻を残している。

 19時4分。桑川駅に到着。発車時刻は19時13分、9分の停車だ。この桑川という駅は、道の駅「笹川流れ」・「夕日会館」が併設されている。そう、夕日を観にここに来る人々の拠点なのだ。9分も時間があるなら。私は車両の扉を出て、駅舎の外へ向かった。道の駅はまだ野菜や土産物の販売を行っているが、特に買いたいものがあるわけでもない。展望台があることを知ったので、そこに向かってみた。

 

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 良い色合いだ。だがそれ以上に気を引いたものは、自分の眼下で同じように海を眺めている人々だった。人数は多くは無いが、カップルで来ている人もいる。この情景に彼らはとても似合っている。私は彼らがいる階段に走り、同じように夕日を眺めた。感傷に浸ることのできる時間は、そう長くはない。列車の停車時間は限られている。

 駅に戻ると、ちょうど新潟行きの特急「いなほ」が乗っていた普通列車を追い抜いて行った。あれに乗る旅は楽しいだろうと思いながら、新津行きのGV-Eに戻る。単線区間が長く、特急列車と貨物列車の走る中、その間を縫って運転される肩身の狭い気動車。それが羽越本線である。そして、沿線の名産品や景観に恵まれた、「鉄道旅行」の魅力が詰まっている路線でもある。観光列車が人気を評し新造車両が投入されていることは、それを物語っているといえる。私の頭によぎったのは、「羽越線に似合う旅人になりたい」という思考であった。また日本海に感情を狂わされてしまったのだ。

 私を知る人間が私と鉄道路線を結び付けるなら、まず選ばれる路線は大和路線だろう。私は大和路線沿線に住み続けていたし、本当にお世話になった。大和路線は関西の郊外を走る路線で、特段見どころのある路線というわけではないし、関西圏の都市間路線の一翼を担いながら新型車両がほとんど投入されない、不遇と呼ばれる路線だ。けれど私は確かに大和路線が好きだった。そこを行き来する列車に毎日のように乗ることが幸せだった。ただ、私の狂った感情は、その現状で満足することを許さなかった。

 羽越本線に似合う人間とは、果たしてなんだろうか。こんなことは考えるべきではなかったのだろうけど、それを止めることはできなかったし、一つの着想に至るまではそう時間がかかるものでもなかった。階段に座って夕日を眺めていたカップルたちは、これ以上なくこの風光明媚な景観に似合っているのではないか。

 これは悪魔的な発想であった。私は独り身であることを全く恥じようとは思っていないし、「恋人がいる人間はいない人間に比べて優れている」というような価値観とは相容れない。更に本心を包み隠さず書くのなら、一人でオタク的活動に興じることは、恋愛などよりもずっと高等な行為だと、そういった思想の持ち主なのである。少なくとも私の中ではこの思想は正しい(そうでなければそもそも思想として存在し得ない)から、この思想に基づく限りでは、今の私は彼らカップルより高等であるし、下等な状態に堕落せねばならない理由など存在しない。「恋愛とは素晴らしいものである」という考えを、ほんとうに酷く忌み嫌ってしまっている。

 そんな私が、恋をしたいと思ってしまったのである。古今東西、沈みゆく夕日と恋をする若者はとても相性がよく、画になるものだと相場が決まっている、というのは言い過ぎかもしれないが、私が創作家なら、この情景に登場させるのは私のような好事家ではなく、青春らしい青春を味わう恋人達だ。私をかき乱す感情は、もはや不愉快ですらあった。こんなことは考えたくなかった。けれど、感情をかき乱されているという事実は、大きな満足感を与えられた。羽越本線という路線とその景観が、私という人間のなかで大きい何かを形成したことは、喜ばしいことであるという確信があった。

 列車はやがて海岸線を離れ、日の暮れた闇の中をひた走る。新津、そして長岡まではまだ先が長いし、折からの空腹を満たす術もない。現実というものは得てして都合がよくないものだ。

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