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【小説】光の三分間と声と言葉の青春②「紙飛行機は落ちこぼれを乗せて飛んでいく」

前回

 入学早々、担任からいじめられたのかと思った。
 新入生学力確認テストで赤点を取ったのはここ十年で俺が初めてらしい。
「Be動詞なんてワケ分かんねえよ」
 心の中で叫ぶ。解答用紙に書かれた三十四点の赤字が忌々しく光る。点数の横には担任から「これは高校生のレベルではない。もう少しやる気を出しましょう」のご丁寧なコメントが付されていた。
 何が高校生のレベルではないだ。僕は、休み明けで伸び切った髪を掻きむしる。コメントに反論しようとするが、先生の指摘は正鵠を得ている。今回のテスト内容は、中学レベル。しかも、中学入学してすぐの授業で習ったような問題が多い気がする。なんとたちが悪いことか。
「うるせえ、こっちだってそんなこと分かっとるわ、ダラ」
 もはや八つ当たりだった。声を出さずに絶叫する。ちぎり捨てた解答用紙が春の終わりを告げる桜吹雪のように周囲に舞った。
 顔を上げ、教室を見渡す。談笑中の女子と目が合う、が、ヤバいものを見たと、すぐに逸らされる。僕はため息を一つして、しぶしぶゴミとなった紙くずを独りで一つ一つ拾い上げる。

「テストどうだった?」
 背後からの声にハッとする。僕か? 僕は声の主に返事をしようと振り向く。
「いや、全然駄目だった!」
 ――違った。声をかけられたのは隣のやつだった。一人気まずさを感じ、ストレッチのフリをして体の向きを戻す。
 彼らは、奇妙にもお互いテストの点数の確認と謙遜を繰り返している。ちなみに横目で見えた全然駄目だったというやつのテストの点数は七十八点。ふざけるな。
 挙句の果てに、そういうやつに限って「全然勉強していなかったからな~」なんて言っている。もぐぞ。
 そうか、やつらにとってテストの点数は「自分は全然駄目だった」という相互同調のうえで気持ち悪い連帯意識を生み出し、さらに他人との比較でカタルシスを得るための道具でしかないのだ。そして、「勉強していないから」という言い訳を場に出しておくことで、勉強していないのに高得点を取れる自分最高。と、愉悦に浸る悪趣味さ。まったくもって不愉快極まる。
 思わず歯噛みする。そして、怖気を感じて机の上で組んだ自分の腕に顔を埋める。

 その時だった。紙くずを胸に抱えて机に突っ伏す僕を見かねたのか「鷹岡君、どうだった?」と、同級生のタカハシが声をかけてきた。同情か? 同情なんてほしくないぞ。彼奴をキッと睨むと、タカハシは愛想笑いを残して集団の中に戻っていった。
 また一人になったことに気づき愕然とする。やってしまった。差し伸べられた手を振り払ってしまった。
「高校デビュー失敗した」
 八方塞がりで独り言を呟いているのに気付き、再度、自分の腕に顔を埋める。そして、誰にも聞こえないように肺の中の空気を絞り出して深いため息をつく。
 なぜ、素直にみんなの輪に入っていけないのか。みじめで情けない。今は、とても泣きたい気分だった。
 教室の中心にある僕の机の半径二メートルを避けて、クラスメイトたちの楽しそうな声が響く。残りのホーム・ルームは机に突っ伏したままで、高校での一日が終わった。

 僕は高校入学以来、携帯電話の電話帳に母さんの番号だけが追加された以外、何ら変わりない人間関係を送っている。僕に話しかけるクラスメイトはいなくなり、一人だけ空気のようにぷわぷわと浮いた存在になっていた。

 五月初旬。教室の窓ガラスに横殴りの雨が叩きつけ、校庭の葉桜が揺れる。
 僕は携帯電話をいじりながら時間をつぶし、教壇では英語教諭の平井が語気の強い口調でまくし立てている。
 どうやら、先日の英語の学力テストで特別進学コース(一年一組及び二組の僕たちが所属しており、一般的には特進コースと呼んでいる国公立、有名私大受験を目指す課程)内に一人だけ赤点を取った生徒がいるらしく、今日から毎授業ごとに課題のジャバラバを出すらしい。平井の提言にサッカー部のヨシモトが不服そうに手を挙げたが、すぐさま教壇から諫められる。ヒステリーだか更年期障害だか知らないが、平井の大声は頭に響くので勘弁してほしい。

 一年二組の教室は赤点を取った不届き者探しにざわついた。
 お互いがお互いを確かめ合っている。しばらく和気あいあいとした空気が流れた後、一人のクラスメイトが沈黙を貫く僕に何か察したのか、腫物を触ってしまったような顔をした。そして、それに気づいた生徒たちに伝播し、歓声がひそひそ声に変わる。ようやく教室は落ち着きを取り戻した。
 配られたジャバラバはおよそこのようなものだった。横向きのA3の紙が、縦三十六列、横七列の長方形のマスに区切られている。窓の外では雨足が早くなった。
 平井曰く、左端の縦一列目に覚えたい英単語を三十六個書き、その隣の二列目に今書いた英単語の日本語訳を書く。二列目が埋まると一列目の英単語を折って隠し、今度は二列目の日本語訳を見ながら英単語を三列目に書く……。どうやら英訳と日本語訳を繰り返して英単語を覚えていくツールらしい。
 ちなみに人間が覚えられる最大の数は七つ前後ということで、その数字はマジカルナンバーと呼ばれているらしく、その理論を踏襲して横七列のジャバラバを作ったとのこと。なるほど、中央大卒の教師らしいいかにも理屈っぽい素敵な発明ですね。

 平井はジャバラバを毎授業の課題だと言った。加えて、授業の初めには、課題の英単語が覚えられるかを確かめるミニテストをするとも言った。教室中から大きな溜息や愚痴が漏れる。
 まあどうでもいいか、どうせ出さないし。何の気なしに教壇に目をやる。携帯電話を弄るのにも飽き、机に突っ伏していた僕と平井の目が合った。平井の厚化粧した目元が鋭く歪んだような気がした。僕が苦笑いすると、平井は目をそむけた。
 僕は授業中ずっとジャバラバの裏に、妄想して思いついた気の利いたフレーズの断片を書いていた。

 二限目終了のチャイムが鳴った。僕はジャバラバで紙飛行機を折り、窓の外に飛ばした。
「これで授業を終わります。課題について補足ですが、一人でも課題のジャバラバを提出しなかった場合は、連帯責任でクラス全員に課題が追加されます。注意してくださいね」

次回

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