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僕にとって、インスタグラムはつまらないものになった

 僕がインスタグラム(Instagram)を始めた頃、それはセンスのいい日用品やお洒落なコーディネートがそろう魔法のツールだった。2010年に創業したインスタグラムだが、僕が利用し始めたのはたしか11年の夏。当時、画像をメーンに扱うお洒落なSNSといえばタンブラー(Tumblr)だったが、それは海外の利用者が圧倒的に多く、アートやビジュアルイメージを探す場所という印象だった。

 特にモードが好きだった大学生の僕にとって、海外だけでなく国内にも同じような趣味を持つ若者がいて、しかもハイセンスな着こなしをしている人がこんなにもいるのか、と衝撃を受けた。メンズでもモード誌はいくつかあったが、ブランドに縛られたコーディネートは参考にならず、しかも月間というのは遅過ぎた。それに比べてインスタグラムは、ハッシュタグでブランド名を調べるだけで、日々たくさんの画像が更新され、しかもみな一様にお洒落だった。僕自身もフォロワーがすぐに1000人を超えたことに驚きつつ、同じような嗜好の若者がたくさんいるんだ、と安心したことを覚えている。

 その後、インスタグラムは急激に成長した。12年にはフェイスブック社に売却され、広告モデルが導入された。インスタグラムを“リアルタイムに更新される斬新なモード誌”と位置付けていた僕にとって、この頃からタイムラインに違和感を覚えるようになった。利用者が急増し、ハッシュタグ検索では感度の高い画像を探すことが困難になってきた。いわゆるインスタグラマーとステマ投稿が一気に増えたのもこの頃だ。インスタグラムがビジネスツールになると気付いた人が大勢出始めた。

 そのうち自分も社会人になり、視野が広がったこともあって、モードなファッションから少し遠ざかるようになった。一般的にもカジュアルな投稿が主流になった。16年8月に導入された24時間で消えるストーリー機能が大きな変わり目だったと思う。タイムラインを荒らさずに、お洒落じゃない画像・動画も投稿できるようになったのだ。マス認知も広がったタイミングというだけあって、インスタグラムは着飾る場所ではなく、日常をリアルにさらけ出す場所になった。もう、作り込んだ世界観のある写真は時代遅れだ。ハッシュタグ検索を使って街ごとのレストランを探したり、クリップ機能を使って、お気に入りのアイテムや読みたい本を誰にも見られずに保存してみたり。数年前には考えられないような使い方で、日常に入り込んできた。こうして、インスタグラムはつまらないものになった。

 これは全て僕の主観である。実際には、インスタグラムはさまざまな機能を増やしながら、着実に業績を伸ばしている。何が言いたかったというと、インスタグラムの世界では、ビジネスとクリエイションの両立は叶わなかったのだ。感度の高い人だけが使うツールとしては広告ビジネスは成り立たなかった。大衆が認知したことでビジネスは成功したのだ。SNSがプラットフォームだとするならば、これは当然のことである。

 しかし、SNS市場が大きくなった今、ウェブの中でもビジネスとクリエイションの両立が叶うのではないかと考えている。インスタグラムがプラットフォームだとするならば、そのユーザーをうまくセグメントし、それぞれの小さい世界を作ってあげればいい。僕みたいなニッチな趣味を持つそれぞれの世界でユーザー同士が出会い、その世界観に共感できる広告主が広告を出す。言うなれば、SNS版マス・カスタマイゼーションだ。そんな次世代のSNSは誕生するのか。はたまた精度の問題で、近い将来インスタグラムがそうなるのか。もしかしたらすでにそんなアプリが誕生していて、今の若い子たちはすでに使い始めているのかもしれない。

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