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「エモい」の数だけストーリーがある

 朝食を食べながら妻がふと「朝日ってエモいね」と言った。「夕焼けの方がエモくない?」と僕が答えると、妻は「朝日がエモいと思わないのは、朝にエモい経験をしていないからだよ」と答えた。

 この説明に朝から感動してしまったので、今このnoteを書いている。「エモい」という単語をググると、だいたい「感情が動かされた状態」と出てくるが、妻曰く「エモい」は「人が共感できる感情やストーリーがある状態」だ。

 例えば、ミスチルの曲を聴いて誰もが「エモい」と思うのは、みんなが昔聞いたことのある大衆的な曲だから。一方で、朝日を「エモい」と思うのは、朝になんらかの思い出・ストーリーがあるからで、朝日を「エモい」と思うかどうかはその人の経験による。

 この考えについては、まさにラブグラフ代表のこまげさんがツイッターで昨日書かれていた内容にも共通するわけで、「エモい写真は背景のストーリーにフォーカスする」という考え自体、この「エモい」の定義の上にあるのビジネスだなあと思うのである。

 そもそも「エモい」の使い方がみんな正しいという前提になるが(正しい使い方なんてあるのかもわからないけれど)、若者が「エモい」を多用するということは、それだけ語りたい・共感してほしいストーリーがあるということなのではなかろうか。だとすれば、とてもいいことじゃないか。

 「エモい」を使う背景にはいろんな思い出があって、それを共感してもらうためのある種の共通言語として「エモい」という単語を形骸的に使ってるように感じる。だから「エモい」という言葉自体に具体的な意味はないし、そのニュアンスは状況によって変化する。

「エモい」はビジネスの指標にもなる

 僕はこの夏「エモい」ってなんだろうってことを考えて、いくつかのインタビューをしたのだが、そこにもすでにヒントは隠されていた。例えば、イラストレーターのたなかみさきちゃんは「エモい」を「懐かしさ」に近い言葉と定義し、その「懐かしさ」を少しでも多くの人に自分ゴト化してもらえるよう、イラストから背景といったシーンを特定してしまう要素を省くのだと語った。彼女の絵が誰にとっても「エモい」と感じられる所以はここにある。

 他にも、翔子ちゃんとroseさんも「平成ラストサマー」のイベントに関連して、「「平成が終わる」というイベントは、もしかしたら全世代的な最後の熱狂になるんじゃないか」という話をしていた。平成生まれにとって「平成が終わる」という初めての経験が、全員で共感できるストーリーだからこそ、「平成最後」には「エモさ」が生まれるというわけだ。

 「エモい」という言葉を多用する背景には、人に語りたいストーリーが人それぞれたくさんあるということで、誰かの「エモさ」に共感できるということは、趣味嗜好が細分化されたこの時代に同じ価値観を持つ仲間を見つけたことを意味する。ここには何より一時期のミリオンヒット連発のような“全世代的な熱狂”が起きなくなってしまったという時代の流れも大きく関係していそうだ。

 そんなわけで、これだけが正しい理解だとは決して言わないが、「エモい」という言葉自体の意味を考えるのではなく、その背景に何があるのか、という視点も「エモい」を捉える一つの側面になるんじゃないか、ということを書いてみた。裏を返せば、「エモい」が多用されるビジネスやコンテンツには、それだけストーリーが詰まっているとも考えられる。ビジネスにおいても世界観や感性が重要視される時代だからこそ、「エモさ」をもっと前向きに捉えてもいいんじゃなかろうか。


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