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心洗われる空気のある場所に

あの本に出会って価値観が変わったとか、あの音楽を聴いてミュージシャンなったとか、海外旅行で見た光景が今のビジネスにつながったとか。取材をしていると、そういう話をよく聞く。

人生を変えるほどの出会いって、どの程度あるのだろう。ぼくには、そういう経験がない。もちろん、単純な経験不足かもしれない。気付くべき感性が欠如しているだけかもしれない。でも、何かとの出会いが人生を大きく変えたことは今のところ多分ない。

たしかに大学時代もその後の進路も今の仕事も、どれもあんまり普通じゃないとは思うけれど、なんとなくなるよるようになってきた結果が今だとしか思えない。それらが努力の先で勝ち取ったものだとしても、喜びはそれほどなかった。何も変わらず日常は続いていくし、また、未だ見ぬ明日が待っている。全ては予定調和の上に成り立っているとしか思えない。

これから、人生を変えるような出会いがあるのだろうか。少し、そんな瞬間を嘱望にしているような気もする。いつか来る日を、待っているのかもしれない。だけど、その日は訪れてはいけないような気もする。ぼくが待ち続けたその出会いは虚構像のままでいてほしいとも思う。救われたいけど、救われてしまってはどうしていいのか分からない。

一番上の写真はフランスの超有名観光地Mont Saint-Michelから見渡した干潮の海。大天使ミカエルが命じて作られた神聖なる修道院で、海と空、陸をつなぐその光景に心が洗われた。ノートルダム大聖堂もそうだが、本当にパワーのある場所というか空間は、何かを変えてしまいそうな空気を含んでいると思った。

もちろん人生が変わったということはなかったが、少しだけ救われる感覚に陥った。心が浄化され、天に召されるというキリスト教的な価値観が理解できた。人生を変えるほどの出会いがなくても、心が洗われる空気はこの世に間違いなく存在するんだ。ただ、果たして、人間を救うのは宗教だけなのだろうか。



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