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ものレボ取締役としてジョインした理由

どうも、ものレボ株式会社 取締役COOの松下です。私は大学卒業後にアイシン精機/生産技術部へ入社して約6年間、工法限界を追求した要素技術開発や現場改善、ライン新設といった一連の生産技術の業務に携わったのち、現PwCコンサルティング合同会社へ転職。製造、運輸、金融、小売といった多種多様な業界のPJへ飛び込み3年半で20弱のプロジェクトを経験しました。そこで自信で目標としていた条件をクリアし、2019年11月にものレボ株式会社へ入社。ものレボでは主に成長戦略の策定から実行のための組織デザイン、組織を機能させるために必要なオペレーションの設計と営業マンをやってます。今回はものレボ株式会社がよちよち歩きだった早期になぜ参画を決めたのかについてまとめてみました。

もともと起業しようと思っていた

私は、大学時代から自分で起業して会社を立ち上げようと思っていました。理由はすごく単純で兄が自分で会社をやっていたから、ただそれだけです笑

小さい頃から機械が好きでブラウン管のテレビのネジを外してはよく母に叱られるようなそんな子供で、その後もの心がついて自動車が好きになりまして、大学卒業後には自動車とものづくりの両方に携われるアイシン精機に入社しました。

新入社員研修後、生産技術部に配属されると生産技術に特化した研修があったのですが、そこでラインを成立させている生産設備のほとんどが内製でないことがわかり衝撃を受けました。(当時、研修日報を毎日書いていたのですが設備を内製しないことによる未来のデメリットを偉そうに書き綴ったことを覚えています)

その後、私はマニュアルトランスミッション車に搭載されるクラッチチームを希望しまして希望通りの配属となりました。そこからというもの治具を作るにしても、設備やラインを構築するにしても当たり前のように外製、外製・・・で三河に所在を構えておられる俗にいう中小製造業のメーカーさんに助けてもらいまくりで、中には正社員よりアイシン精機の標準(設備を作る際のルール)に詳しい方もいるほどでした。
少し大きい目のライン構築をほぼ一人で担当させて頂くことがあったのですが、この時に大企業のものづくりは中小の方々がいなかったら成立しない、Made In Japanの崩壊の危険すらあるなと強く感じました。
このあたりから自分の起業の方向性みたいなものがみえてきて、中小製造業にトヨタ生産方式のようなしくみを導入し事業成長を支援するような事業をやりたいと考えました。

↓当時の新聞記事の切り抜き

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なぜ外資系コンサルティング会社へ転職したか

その後、色々と悩み起業するのではなく転職を決断します。理由は中小製造業にしくみを導入し事業成長を支援するといった事業を行う上で、お客様目線で私を見たときに製造業の生産技術の経験に加えて、しくみを導入した経験があった方がより安心感を頂けると考えたからです。併せて、これから自分が経営者として事業を推進し、かつお客様の経営状況をより正確に理解するために経営感覚を身に着けたいと考えたことも転職を決断した理由となります。
今振り返ると自分の人生を題材にして何をいつまでに達成するかというところからやるべきことを逆算して、何をいつまでに終わらせておかないといけないかを考える良い経験になったと思ってます。

CEO細井さんとの関係

私と細井さんの関係はというと、アイシン精機時代の同期になります。部署、グループが同じで寮まで同じでした。最初の彼の印象はシンプルに「関西弁のハーフ顔で確実に名古屋でモテまくるやん」でした。担当している製品が違ったので、業務上で直接関わることはなかったのですが、私の所属するチームは人数が少なくて相談できる人とは物理接点が持てないことが多かったため、後ろの席に座っている細井さんに設備の寸法検算の網羅性について相談したりとか、よく数学がらみの内容は相談していました。

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PwCコンサルティングへ転職後、私は東京に住んでいました。(入社後最初のプロジェクトは地方常駐で東京にほとんどいませんでしたが…)
細井さんは、私がアイシン精機を退職してちょうど1年後にものレボを創業していまして、当時東京での仕事があったのか、なかったのかはさておき笑、3か月に一回くらいの頻度で東京出張に来ておられ、その度に「飯いこうや」と連絡をくれていました。
たぶん2回目くらいからかの食事の後半ではお決まりで「ものレボ来たらええやん」の押し込みトークがされるようになり、時には何の脈絡もなくぶっこんでくることも。
私はもともと自分で起業したいと強く思っており、そのために転職までしたので、いつも丁重にお断りしていました。また細井さんに何の事業をやっているのかを聞いてもよくわからなかったというのもお断りの理由の一つでした笑。

なぜジョインしたのか

私がぼちぼち起業アイデアを考えようかと思いはじめた頃、細井さんがまた例のごとく東京にきて、夕方くらいにカフェかなんかで初めて具体的な事業の話を聞きました。そこから食事先へ移動をしている京浜東北線大井町駅近辺での出来事がジョインを決意するきっかけでした。
私は細井さんが勧誘してくれるたびに毎度毎度「なぜおれなのか?ほかのやつでもええやん」と聞いていました。細井さんも毎度毎度「まっちゃんしかおらん」との返答でこのやり取りが天丼されていました。で、この日は意表をついた私の右アッパー「じゃあCEO代わるのはありか?」とを放り込みました。するとすごい切れ味のカウンターで「会社の成長のために必要であればすぐに変わる」と来ました。
もちろんこのやり取りがすべての決め手ではなく、その後私自身が考えていた事業やお世話になっていたメーカーさんの業界である中小製造業をどう変えていきたいかを細井さんと話をして、ものレボがやっていこうとしてることと私の考えの一致があってジョインを決めました。

あとは気持ちの面ですが、私も起業するなら関西でと思っていたので二人で協力した方がマーケットの成長を加速させられると強く感じたこともジョインを決定する十分な材料にはなりました。

今回はものレボにジョインした理由というタイトルで、私のこれまでの歩みを踏まえて書きました。これを見てものレボのこと、細井さんのこと、私のことを少しでも知ってもらえ、ご興味を持っていただけましたら幸いです。


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