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「推し事」と「自分事」 【113/200】

先週のnoteは、たくさんの方に読んでいただけてとても励みになりました。
ありがとうございます。

「TEAM SHACHIという推しグループがどうしたらより多くの人たちに興味を持ってもらえるか?」という問いに対する、僕なりのアンサーブログでした。

たくさんのファンの方にリツイートをしていただき、TEAM SHACHIメンバーのYouTube配信番組でも取り上げていただいて、マジ感謝しかありません。
おかげさまでファン以外の方からもたくさん「いいね」をいただくことができて、少しでもTEAM SHACHIに興味を持つ人が増えてくれたらと願っています。

他にもファンの方々の素敵なブログが発信されて、僕のnoteのレビューブログを書いてくださった方もいて、同じ願いを持ちながら、様々な視点から意見・アイデアが出ることが、グループの運営にとっても、ファンコミュニティの活性化にとっても、とても大切なことだなと改めて思いました。
一つの目標に向かって、いろんな属性の仲間たちがそれぞれ違った視点で声を上げることで、アイデアの質が高まり、何より、その人の周りの人たちが新たに知って、興味を持ってくれるきっかけになるからです。

僕の周りでも、これまでTEAM SHACHIを観たことがない音楽ファン仲間たちが、10/24パシフィコ横浜公演を一緒に観に行ってくれることになりました。ボッチ民の僕も、少しは成長できたかなと思いました。


さて、そんなことを思いながら、今回は自分のこれまでのストーリーと照らして、「推し事」と「自分事」というテーマについて、書いてみます。


■誰かを推すことで、幸せになれる

子どもの頃、サッカーのおかげで僕は幸せでした。

成長が遅くてみんなより背が低いとか、足が遅いとか、レギュラーになれないとか、コンプレックスがたくさんあって、つらいこと・嫌なこともたくさんあったけど、それでも友達と夢中でサッカーをやっていた頃を思い返すと、とても幸せな気持ちになります。

中学校の最後の試合、あと一歩届かなかったあの夏の日。いつものようにベンチから声をからして仲間たちを応援していた僕は、身体中に“熱さ”を感じていました。
敗戦後の最後のミーティングで全員で泣いたあの瞬間のことを、僕は一瞬忘れることはないでしょう。

高校で腰を怪我して、手術を伴う数年間の治療が必要になり、僕は夢中になれるものを失いました。
大学進学で上京して一人暮らしを始めた僕は、とにかく早く友達をつくりたくて、居場所が欲しくて、どのサークルに入るかばかり考えていました。
大学構内の野外ステージでバンドサークルが演奏しているのを見て、音楽もいいなと興味を持ちました。カラオケでも友達に褒められてきたし、自分は歌が上手い方だと思っていたから、楽器は全くやったことないけれど、ボーカルなら結構いけるんじゃないかと。
声をかけてくれたバンドサークルの説明を聞いて、「初心者歓迎」の誘い文句に乗ってその場で入会を決めました。

正直「音楽がやりたい」よりも、「居場所が欲しい」の方が入会動機として強かったと思います。
「初心者歓迎」といいながら、実際に入会してきた同級生の多くは中学や高校の頃からバンド経験があって、洋楽もたくさん聴いていて、ファッションにも自分らしさがあって、僕には眩しく見えました。
ボーカルパートの先輩たちは自分の想像を遥かに越えて歌がうまく、新人歓迎ライブで僕が歌った演奏の音源を初めて聴いた時、あまりのレベルの違いに愕然としました。
楽器経験ゼロで、歌もたいして上手でなく、テレビの歌番組で流れている流行りの邦楽しか聴いていなかった僕は、またここでも補欠かと、正直落ち込みました。

ただ幸運なことに、自分でも意外なほどに、僕は音楽を好きになったのです。
サークルの仲間たちが教えてくれたアーティストの音楽を聴きまくり、洋楽だって聴くようになり、中古CDの棚を漁るようになりました。友達に連れられて、ライブハウスにも行くようになりました。身体に容赦なくぶつかってくる生音と、ステージの演者と客席のオーディエンスの全力のぶつかり合いに、こんな世界があるのかと驚きました。
そして thee michelle gun elephant にどハマりして、人生が決定的に変わりました。

轟音のなか拳を突き上げて「ゲットアップルーシー!」やら「愛という憎悪!」やら「ジェニー ジェニー どこにいる⁉︎」やら全力で叫んでいた自分を思い出すと、あの頃の“熱さ”を今でも鮮明に感じることができます。
ミッシェルに限らず、あの頃ライブハウスで夢中になって追いかけたバンドたちの楽曲は、今でも何度も聴き直しています。

僕は学んできたのです。

夢中になれるものがあると、人生は楽しい。

誰かを推すことで、人は幸せになれるのだと。


■「推し事」が「自分事」に気づかせてくれた

thee michelle gun elephant を夢中で追いかけながら、ギターを練習して、鼻歌で曲をつくることを始めました。

エレキギターをかき鳴らしながら叫ぶように歌うロックギターボーカルに憧れたものの、自分の中から出てくるのは、子どもの頃からずっと聴いてきたJ-POP的な曲ばかり。
実際、コピーバンドをいくつもやって、自分はロックボーカルよりもJ-POPの方が明らかに適正があると認識するようになりました。

サークル内でオリジナル曲をつくっていたメンバーと仲良くなり、いろいろ教えてもらいながら一緒に路上弾き語りをやるようになって、曲もようやくまともに書けるようになってきた頃に大学卒業を迎え、サラリーマンとして就職しました。

働くようになって、自由な時間が少なくなって、「もっと音楽がやりたい」と思うようになりました。

相方との2人組弾き語りユニットは、同じサークルOBの同級生と先輩を誘って4人組バンド「the Brand-new Amsterdam」となり、都内のライブハウスに定期的に出演するようになり、初のオリジナル作品として5曲入りミニアルバム「Stairway」を制作・リリースしました。

あの頃は本当に楽しかった。
誰かがつくった音楽ではなく、自分たちがつくった音楽は、世の中のどの名曲よりも価値がありました。
そして、その音楽を聴いてもらえることが、どれだけ嬉しいことなのかを知りました。

しかし、楽しい時間はそう長くは続きません。

バンドメンバーの一人が遠方へ引っ越すことになり、ライブ活動は休止。僕自身、会社の仕事が忙しくなり、音楽活動に割ける時間も体力も気力もなくなっていきました。
「人間50年、アイドル5年」とはチームしゃちほこのキャッチフレーズの一節ですが、僕にとってのバンド活動の第1期は、5年も持たずに活動休止となりました。何かを続ける、ということは、簡単なことじゃない。

その後、会社でも責任ある仕事を任されるようになり、家族も増え、自分の居場所はいくつもできました。それぞれの居場所で、それぞれの求められる役割をこなすことで、僕は充実感を感じていました。もちろん、音楽のことを忘れたわけではなく、少しずつ書き続けてきた曲をもとに、2011年夏に発表した2ndミニアルバム『ソングライダー』を制作。その後も、音源配信のみで3〜5曲入りの作品を4つほど連続リリースしていきます。

ただ、僕が本当にやりたいのは、ライブでした。
欠員となっていたベースに新たなメンバーを迎えていくつか単発のライブ出演をしたものの、継続的にライブ活動を行える見込みは立たず、気づけば僕は、音源をつくってリリースできればいいや、と自分に言い訳をつくっていたように思います。
当時、ももクロやチームしゃちほこを推すようになり、彼女たちの成長ストーリーを追いかけることで、自分を満たしていたのだと思います。


転機が訪れたのは2016年でした。

児童養護施設から社会に出ていく若者たちのスピーチコンテストに、運営ボランティアとして参加したこと。
児童養護施設では、虐待やネグレクト、経済的困窮など、様々な事情で家庭での養育が難しい子どもたちが暮らしています。
彼ら彼女らは原則高校卒業時に卒園(退所)となり、多くの場合、親に頼ることができないなか、自立して生活していくことを求められます。
僕が親に学費を出してもらい、毎月の家賃も生活費も仕送りとしてもらって「居場所探し」をしていた歳頃。
施設で育った、あの頃の僕と同じ年代の若者たちが、自分の夢に向かって経済的支援を受けるために、自分と向き合い、応援してくれる人たちへ向かって精一杯スピーチをしている姿を見ていて、言葉にならない衝撃を受け、人目を憚らずに号泣しました。

スピーチコンテストから数日後、僕は『叶える』という曲を書きました。


そのことをボランティア仲間に話したところ、スピーチコンテストに参加した若者たちと運営ボランティアたちの解散会で、みんなの前で弾き語りをさせていただく機会を得ました。
歌を聴いてくれた若者たち、ボランティア仲間たちが、みんなが拍手をしてくれました。涙を浮かべている人もいました。

こんな自分でも、人の心に届く歌をうたうことができる。
バンドじゃなくても、誰かと一緒じゃなくても、僕は歌をうたうことができる。

何かのせいにして、誰かのせいにして、本当にやりたいことをやってこなかった僕は、38歳にして初めて気がつきました。

僕は、ライブがやりたい。歌を聴いてほしい。

その、一番重要でシンプルな「自分事」から逃げていたんだなと。

「自分事」は、どれだけ「推し事」をやっても満たされない。
むしろ「推し」ががんばる姿を見れば見るほど、「自分はどうなんだ?」と突きつけられる。

ようやく僕は、自分に正直に向き合うことができ、ギター1本片手に、ひとりでライブハウスに出演するようになりました。


■応援の連鎖は「自分事」から生まれる

2016年8月21日、初のソロ弾き語りとしてライブに出演しました。

一人でステージに立つことの不安と、誰かお客さんが来てくれるのだろうかという不安。

それをかき消してくれたのは、ボランティア仲間たちでした。
一緒に若者たちを応援してきた仲間たちが、今度は、僕の活動を応援しに駆けつけてくれました。

私たちは、聴いてくれるお客さんがいてくれなければ、存在できない。


僕が推してきた数々のアーティストたちが口を揃えて言っていた言葉を、僕は心の底から実感しました。

ただ音源をつくって、聴いてもらう努力も特にせずに配信をしているだけでは、誰も僕のライブになんて来てくれなかった。

僕が誰かを応援して、そのために曲をつくったことで、周りの人たちが僕を応援してくれるようになった。

「自分にできること」「自分がやりたいこと」に正直に向き合って、一歩踏み出したことで、僕を応援してくれる人が現れた。

今振り返れば、簡単な一歩が、その時はとても怖くて、高いハードルでした。

そのハードルを勇気を持って越えてみたことで、まるで世界が変わって見えました。

数名のお客さんの前での、たった30分、5曲の弾き語りのステージが、僕にとっては奇跡みたいな瞬間でした。

それから毎月、ライブに出演するたびに、かつてのボランティア仲間たちが僕の歌を聴きたいと、いろんなつながりのお友達をつれてライブに足を運んでくれるようになりました。

対バンさせていただく方々とのつながりも増えて、アマチュア・セミプロの様々なミュージシャンのステージをたくさん観てきて、メジャーアーティストの世界とはまた違った音楽の世界の楽しさを知りました。
小さいけれど、ヤマカワタカヒロという歌うたいのファンコミュニティが、少しずつ広がっていって、キャパ50人クラスのライブハウスではあるけれど、初のワンマンライブも開催することができました。ソロ名義での1stフルアルバムも制作・リリースし、そのレコ発ワンマンにも、たくさんのお客さんが集まってくれました。


ずっと補欠だった僕は、不惑を迎えて初めて「推してもらえる経験」を得たのです。

すごく当たり前なことだけど、誰かが「自分事」に取り組んでいないと、「推し事」は存在しない。

人は誰かを推すことで幸せになれるし、誰かに推されることでも幸せになれる。

誰かに推してもらうには「自分事」に向き合って取り組む必要がある。

推しの連鎖、応援の連鎖は、「自分事」から生まれるのだと、思います。


■なりたい自分に なれない人はいない


こうして「自分事」に向き合って活動を始めた僕は、なおのこと「推し事」にも身が入るようになりました。

僕が「自分事」に気づいた2016年は、ちょうどチームしゃちほこが興行的な辛酸をなめ、グループとして失速をリアルに感じながら、必死に食らいつこうとしていた年でした。

僕のソロ初ライブの数日後の、チームしゃちほこ2回目の日本武道館ライブ。
キャパに対して大きくショートしたチケット販売を受けて、広い間隔をとったアリーナ席、座席をつぶして360度スクリーンで埋めた1階席、後方を暗幕で隠した2階席。その中で、来てくれたお客さんのために全力でパフォーマンスを行うメンバーの姿は、とても胸に迫りました。

その後も、グループとして苦しい状況が続くなか「俺らが支える!」的に推し度は高まっていき、TEAM SHACHIへの改名を経て、タフ民となり今に至るわけです。

最近はすっかり「TEAM SHACHIががんばっているんだから自分もがんばらねば」の精神で日々を過ごしています。



さて、最後にもう一つだけ、「推し事」と「自分事」がクロスオーバーした話を。

僕が初めて「ヤマカワタカヒロ」としてTEAM SHACHI推しを公言したのが、このnoteでした。

どれだけこのシャチZEROに心を打たれたのかは、↑の記事をお読みいただければと思いますが、僕はこの時、どうしてもこのライブのことを多くの人に伝えたい、と思ったのです。

もともと僕はオタ専用アカウントで細々呟いていたわけですが、僕なんかよりも影響力のあるファンの方々がたくさんいて、むしろその方々から学んだり、情報をいただいたりしていただけで、そこで何を言おうが、大したことはできないなと思いました。

そして、じゃあどうすれば、と考えたときに、ふと、「ヤマカワタカヒロ」で堂々と発信すればいいじゃん、と。

それまで僕は、ももクロやTEAM SHACHIのファンであることを、同じファン以外の人に公言することは避けてきました。うまく言葉にすることは難しいですが、自分に自信がなかったから、かもしれません。

ただ「自分事」を一生懸命やってきて、推してもらえることがどれだけ尊いことかを感じてきて、なんとなく、勇気が湧いたというか、素直に話そうと思ったのです。
(推しである咲良さんがhideさんやhydeさん推しを公言している影響を多分に受けている気もします)

裏アカを捨て、ヤマカワタカヒロとして素直にシャチZEROのことを書いて発信してみて、すごくすっきりしました。

これまでまったくTEAM SHACHIのことを知らなかった僕の周りの人たちが、TEAM SHACHIのことを知ってくれました。
たくさんのタフ民の方々が「いいね」やリツイートをしてくれて、ファンの輪の中に入れてもらったような気持ちになりました。

「推し事」と「自分事」を“リンクさせてgo!”したら、前より少し、なりたい自分になれた気がしました。

他人事でしょう?
本当にそうなの?
同じ未来願ってるなら
綺麗事じゃない
リンクさせてgo!
(TEAM SHACHI 『JIBUNGOTO』より)



先日の豊洲PIT公演で発表された、2021年秋にリリースされるTEAM SHACHIの1stフルアルバム。
おそらくこの中に収録されるであろう未音源化曲『Today』の歌詞が、とても好きです。

なりたい自分に なれない人はいない


僕は「推し事」のおかげで「自分事」に向き合うことができました。
そして「自分事」にがんばる力を「推し事」から日々もらっています。

なりたい自分に、一歩一歩近づいている気がします。


僕を推してくださっている方々に心からの感謝を。
僕にパワーをくれている「推し」へ心からのエールを。


「推し」って、尊い。

本当に。


noteを読んでくださりありがとうございます。 歌を聴いてくださる皆様のおかげで、ヤマカワタカヒロは歌い続けることができています。 いつも本当にありがとうございます。