見出し画像

「底辺声優の所感」への写真家兼文学研究者からの所感

銀行口座を作るのに30分以上待たされている間、ツイッターのトレンドに上がってきた「底辺声優の所感」というものすごいパワーワードに惹かれてクリックすると、最近よくあるように、noteの記事が参照されていました。トレンドに上がってくる「所感」がどんなものなのか興味があって読み始めると、興味本位で開いたのが申し訳ないほどの重たい内容でした。一人の「底辺声優」に、日本の社会的な矛盾が凝縮されているような気がしました。そして身につまされた。

筆者は文章の最後に次の夢への挑戦を語られているので、重たい内容にも関わらず読後感は悪くないです。でも僕個人の履歴のために、このラストが、一瞬醒めない悪夢のように思えて、重たく、身につまされる思いになったんです。自らの声優の夢を諦め、筆者の泉水みちるさんはこれから研究職を目指されるということでした。そして僕はまさに研究職、もっというと「底辺研究者」です。写真をやってたおかげで、今は色んなところに出させてもらってるけど、30代なかばは結構きつい毎日を送っていました。

声優が茨の道であるように、研究者、なかんずく「文系研究者」は、茨の道です。しかもそれは、本当に未来の見えづらい泥沼のぬかるみ道。それを選ばれたことに対して、何か書きたくなりました。久しぶりに、内側から突き上げる衝動に任せて書いています。そして前半は重たい現実を書くけど、最後は希望を語りたいと思ってます。

(1)個人的な話

大学で哲学を学んでいたのだけど、大学院は英文科に入ることになりました。そのせいで内部進学ではなく「外部受験」という形になって、その年に外部から英文科に入ったのは、僕と後もうひとりの2人だけでした。これは自分の能力を自慢したいわけではなくて、ここにまず「トラップ」があったことに、後々になって気づいたんです。

大学院という場所は、学部時代から研究を始めている一部の熱心な学生が、そこまで教えてもらった先生の元でさらに深く学ぶために、内部進学を選ぶという形で進学する場合が多いです。つまり、外部から大学院を受験するというのは、その時点ですでにもう周回遅れのレースなんですね。その後人生をかけて続く「研究レース」は学部の時点からの選抜のような形で始まっています。そして大学の研究者として独り立ちするには、できるだけ早い段階から、圧倒的な研究業績をスピーディに積み上げていく必要があります。論文生産力のない学生は、次々にそのレースから脱落することになる。僕の場合、学部から院で学科が変わっているために、いわば一度「研究の流れ」が切れている状態で大学院に入るはめになりました。この時点で不利でした。だからでしょう、面接のときの先生の開口一番の質問が忘れられません。

「文学系で大学院を出ると、就職は本当に大変だけど、その辺考えてる?」

文学のこととか研究のこととかを聞かれると思っていたのに、質問は終始「卒業後」の仕事の心配でした。多分面接の時点で、試験の結果の大体の部分は出ていたのだろうと思います。だから、本当に大学院に入れちゃった後の「お金」のことを先生たちは心配していた。実家は大丈夫なのか、援助してくれる人はいるのか、卒業後のつてはあるのか、教員免許は持っているか。

大学院の面接だったけど、結局学問のことはほとんど一つも聞かれませんでした。そのことは、現代の日本における文系研究の難しさを端的に示していると思います。それは泉水さんが声優を目指すにあたって、お金が大事であることを書かれているのとほとんど同じ問題です。

「よくネット上で「声優は金持ちの子どもの道楽」などと揶揄されるが、道楽かどうかはさておき実家の経済力は重要である。」(「底辺声優の所感」より)

全く同じことが大学の研究にも当てはまります。僕は今一応プロとして写真家をやっていて、例えば徹夜で撮影とか、朝3時から極寒の中で撮影タイミングを待つとか、肉体的に過酷なことは割とありますが、でも大学院時代のことを思い出すと、いまの仕事が大変と思ったことはほとんどないです。大学院時代は本当に過酷でした。朝から夕方まで、例えば中学や高校や塾で生活費や研究費を稼ぎながら、夕方から夜中まで海外の文献を読んで、そして夜中から朝方にかけて自分の論文や発表原稿を準備する。そしてまた朝から仕事。ギリギリまで睡眠時間を削る日々。特に僕は外部から大学院に入ったから、学ばねばならない基礎知識が多くて、他の院生たちよりももっと勉強が必要でした。正直、思い出すと胸苦しくなる経験。

だから、お金がしっかりあるお金持ちの家の学生がうらやましかった。彼らは僕がやらねばならなかった「朝から夕方までのお金稼ぎ」が必要じゃなかったからです。朝から晩まで全部研究に使える。そして余裕のある時間に睡眠を取れる。そうすると次の日も体の状態がいいので、研究が捗ります。いわゆるポジティブフィードバック、正の循環。お金って本当に大事です。「お金を稼がなくても大丈夫」というのは、声優業のみならず、おそらくは何らかの修行が必要なすべての分野に共通の「最強のステータス」なんだと思います。

その点、大学教授の子息が大学教授になりやすいというのは、当然でした。大学教授は金銭的にも余裕がある上に、さらには学問への理解があり、家庭環境も研究向きの世界が構築されています。実家にお金がそれほどなく、サラリーマン家庭の僕が、分野違いのところから大学院に入るというのは、今から振り返るとかなり不利だったんですね。当時そんなこと全然知らず、ただ「もっと文学のことを知りたい」という、極めてピュアな動機で入ったのが、今から思い返すと恐ろしい。そりゃ「底辺研究者」にもなるってもんです。

ただ、少しだけ弁解というか、自己弁護しておくと、それでも最初は結構なんとかなりそうだったんです。外国文学研究なのに英語圏の留学経験もなく、ベタベタのジャパニーズイングリッシュの使い手だったのに、文章を生産する能力だけはあったので、ガリガリ色々文章を書きました。博士になってすぐに、研究分野で一番大きな学会誌に論文も掲載されたし、「若手特集」みたいなのに呼ばれてシンポジウムとかしたんですよね。一応「面白いことをやってる元気な若手」という枠で、少しずつ認知されていた気がします。

ただ、やっぱり最後まで問題になるのは「お金」の問題です。研究を続けていくと、上に上がれば上がるほど要求される研究の時間が必要になってくる。でも歳を食えば食うほど、例えば実家の親が徐々に年老いるので、そのあたりのカバーのためのお金も必要になってくる。30代になるにつれ、出費はどんどんと増えてくる。研究の時間が必要だけど、お金も稼がなくてはならない。二律背反でどんどん追い込まれていくうちに、後がなくなってきました。

そうこうしているうちに気づくと30代中盤。その時の僕の年収はだいたい600万円くらい。ガッチガチに講師のコマを入れて、塾でも教えて、朝から晩まで働いて600万。数字としては割と悪くないです。でもこれ以上は絶対ムリっていう数字です。だって、大学の非常勤講師の給料って、だいたいこんなもんです。

・1コマ90分担当で月にもらえるお金が月に2万8千円くらい。
・1日に3コマやって270分喋り続けるのを週に4日やったとして12コマ担当。月収33万6000円程度。例えば1日に4コマを4日やって週16コマだと、月収44万8000円。12コマ担当で年収402万、16コマ担当で537万6000円。
・でもこんなコマくれません。僕が一番コマを持ってたときでも14コマ。そこに塾講師でもらう150万くらいを足して、だいたい600万前後を維持してました。

これ、多分非常勤講師としてはめちゃくちゃがんばってたほうだと思います。現代ビジネスに記された内容はこうです

「非常勤講師組合が2007年に発表した調査結果によると、非常勤講師の平均年齢は45.3歳、平均年収は306万円。44%の人が年収250万円以下だった。」(参照元は下の記事)

半分くらいの人が250万以下で、これは周りの友人達を見るとそんな感じでした。僕が600万くらいまで引き上げることが出来たのは、僕がたまたま英文学をやってて、英語のコマというのはどの大学も豊富で、しかも大学レベルで教える日本人の講師が少ないので、コマの口は結構あったんですね。でも本当に全力の全力、毎週クタクタになって心身ともに限界まですり減らして仕事してせいぜい600万が上限。他の時間はすべて研究に使います。

その結果、生活はすさんでいくし、どんどん歳を食う。そして大学の研究分野においても、結局最後に教授に採用されていく人材は若手シフトが進んでいて、大体のボーダーラインは30代中盤くらい。ここまでで研究者として頭角を表していないと、後はよっぽどの強運か強烈なコネがなければ、おそらく教授職に付くことは出来ないんです。

というのが、現在の文系研究者の流れです。僕が「底辺声優の所感」を書かれた泉水さんの文章を読んで、「身につまされる思い」をした理由は、こういうことの全部を思い出したからです。

(2)とはいえ

ただ、この話は「だから夢は諦めろ、もっと現実を見ろ」ということを言いたいわけじゃないんです。この現状を押さえた上で、泉水さんだけではなく、今文系で研究職を目指す多くの人たちにリスク管理をして、しっかり夢を見てもらいたいからなんです。だって、研究者がいなくなったら、日本の研究は先細りになります。そして理系の研究と同じくらい、文系の研究も絶対必用なんです。それはまた別のところでどこかで話すけど、そう僕は信じている。

で、どのようにリスクマネージメントをするかなんですが、一つにはやはり教職です。最初の方に書いた僕自身の面接の話で、面接官の教授が「教職は持ってる?」って聞いてきたのは、まさにこれが最も大事なリスクマネージメントになることを知っていたからです。大学院生が実家の支援を受けられない場合、お金を稼ぐ手段として中高の教員が一番適しています。それは、そのままもしかしたら中高の教員になれるかもしれないという非常に魅力的な道があるというだけではなく、非常勤でもコマをたくさん入れれば、例えば「私学共済」などの極めて有利な社会保険に入ることができる。もう一つ大きいのは、「夏休み」「冬休み」「春休み」があって、専任教員ではない講師はこの時間が大きく空くので、ここで研究ができるというのがすごく大きい。そして何より、しんどいけど、中高で教える経験は、めっちゃ人生にプラスになります。僕は数年だけ中高で教えたけど、あの頃の経験は人生一番貴重な時間の一つになってます。

後、研究分野はどうしようもないけど、泉水さんの場合は実は文系では筋が良い心理学を選んでおられる。これ、文系にしては珍しく外部の職業現場に直接結びついている分野です。僕のいた英語も、上で書いたように筋がいい。「世の中で必要とされている文系ジャンル」は割と少ないんですが、そういう分野にいる人は、それにまつわる仕事をサブでやっておくと、後々の命綱になります。心理学の院生だった僕の友人は、現在、大きな精神科の先生になっています。研究者としてのドクターではなく、まさに現場のお医者さんですね。ただ、英語や心理だけでもなく、意外と「外につながっている部分」ていうのが探せばあるもんだと思うので、そういうのを丁寧に拾っていくのが大事です。

もう一つ、大学院は現在「博士前期課程(修士課程)」と「博士後期課程」に分かれていると思うんですが、博士前期まで勉強して後期に行くかどうか迷ったら、そこは一端止まってもいいと思うんです。博士後期に入ると、本当に逃げ場がなくなる可能性があります。博士前期だと、ギリギリ就職が望めます。というか、僕が知ってる限り、博士前期で終えて上手く就職へと切り替えた研究者は、割といいところに就職が決まっています。博士前期の2年間で、「あ、これはやばい」と感じたら、このタイミングがいわば「最後の脱出口」なので、その見極めはできるだけ慎重に。僕はまったく適当に後期まで行っちゃったので、どん詰まりまで行く羽目になりました。

(3)悪いことばかりではない

さて、リスクマネージメントって言いながら、結局良いことあまり書いてない感じがしますが、実際には僕はそう思ってないんです。人生において僕がやった決定ですごく大事なことは

・大学院に英文科で研究職を選んだこと

だったと思ってます。それは、まさに上に書いた「死ぬほど勉強した経験」が、今になって生きているからです。それは「今しんどいことがそんなにしんどく感じない」というネガティブな理由ではなく、もっとポジティブな理由。一つには英語が日本語と同じ様に使えること。これは、写真というグローバルなジャンルを相手にする時に、すごく楽でした。数年前、National Geographic社のNature Photographer of the yerarの2位をもらったんですが、NatGeoのフォトコンは、応募から、入賞後のやり取り、その後の話まで全部英語で進んでいく。これを例えば一つ一つ日本語から翻訳頼んで、、、とかしてたら、めっちゃ大変だし、多分心が折れる。英文科を選んだ時、こんなことになるって全然思ってなかったですが、今になって本当に良かったと思うことの一つです。

ただ、もっと大事だったのは、文章読解と作成の基盤を、学部で学んだのとはまったく違う位相で培うことが出来たという点に付きます。文学研究とは、つまり「言葉の研究」、それは人間にとっての基本的なコミュニケーションツールに、深く深くコミットすることにほかなりません。そして文学研究だけではなく、大体の文系の研究分野は、いろんな専門の根底に「言葉の研究」が横たわっています。外国語の文献の読解から、論文作成まで、「言葉」を洗練させないと、全然刺さらないからです。だから、必死に研究すればするほど、「言葉」への感度が高まっていく。そしてそれが、後々、他のことにも強烈なシナジーをもたらす。

30代以降になると、仕事をするにあたって多様な資質が求められるようになりますが、その時、大学院の研究過程で得た「言葉の力」は、極めて有利に働きます。僕が今、写真家の仕事の中で一番楽なのは、原稿を書くことなんですが、例えば大学院の博士後期課程を出た人間なら、原稿用紙30枚分を3時間程度で書くことも出来ます。例えばこのnoteの文章はこの時点で5000文字、原稿用紙12枚程度分ですが、大体30分程度で書いています。博士課程で浴びるように読ませられ、耕運機のように文章を吐き出し続ける経験をした人にはたいてい備わる技術ですが、これが今になってものすごく大きくプラスになっている。

また、研究者は多くの場合、大学教員として講義を持つことになるので、「話すスキル」が磨かれます。これもまた、人前で講演やイベントをやる時に、とんでもなくプラスに働くことになりました。そんなこと全然予想もしなかったけど、今僕のトークの基本は、全て大学で授業をする課程で培われたスキルです。1時間程度なら、原稿無しで突然話をしろと言われても、なんとかなっちゃう程度には「人前で話す力」が培われる。

こうした、「すぐには活きないけど、いつか必ず必要になる基礎的な力」が、大学院の研究過程では培われます。そしてそれはおそらく、普通に生きているだけではなかなか身につかない資質の一つだと思うんです。

(4)エール

やはり大学の研究というのは、すごく大変な世界ではあります。最後にもう一つ、リスク管理の話に戻るんですが、一方それは未来の話につながっていきます。おそらく今後、働き方の構造が変わって、フリーランスが増えて行くにつれて、実は「大学院で研究した内容」というのは、仕事に対して付加価値を与えます。「底辺声優の所感」の中で、声優に求められることで、こんなことが書かれていました。

「現在声優は、変わった特技・資格、楽器、ダンス、外国語……などなど、「演技」以外でも本人の能力に依拠する何かが多く求めらる。付加価値を付随することによって、その人のタレントとしての価値(「使える」か否か)が上昇、かつ活動の幅の広がる。それはとてもありがたいことで、チャンスが増えるすばらしいことだ。しかし、前述のとおり、たいていは本人の能力に大きく依拠している。」(底辺声優の所感」より)

こうした傾向は、声優の「キャラ化」のいち側面で、いわば批判的に泉水さんは見ておられたのだけど、大学院の場合は逆です。超高度な専門分野の知識や経験「だけ」が要求されます。お金が必要なのは、つまりはこの超高度な専門性を培うために必要ということなので、大学院では例えば歌って踊れても、あるいは写真がうまくても、小説が書けても、おそらくは研究職は降ってこない。だからこそ、大学院の研究はシビアなんですが、一端外に目を向けると、研究過程で培われた専門性は、「外に向けて」使うことが出来ます。上に書いた文章力なんかもそうですが、僕は今、「写真家 + 文学研究者」という肩書で、これまであまりなかったはずの写真界隈における文学的な専門性というものを打ち出しています。それが具体的に仕事に結びつくのかはさておき、少なくとも過当競争の仕事の中で、「すり減らない価値」を大学院の研究は与えてくれる。その核を研究の中で身につけることが出来たら、おそらく、それはとても心強いアイデンティティの核心になるはずなんです。

というわけで、「底辺声優の所感」を書かれた泉水さんの文章を読んで「身につまされる」気持ちになったことを書いてみました。そして、できるだけ「外」に開いて、希望を持てる方向へと話を積み重ねてみました。そして、苦労を重ねた後、再び夢に向かって歩み始められた泉水さんや、あるいは今苦労している大学院生さんや若い研究者さんにも、全力のエールを!

記事を気に入っていただけたら、写真見ていただけると嬉しいです。 https://www.instagram.com/takahiro_bessho/?hl=ja