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スマホゲーム・オンラインゲームがもつ依存性の問題:かつての「ゲーム」と同列に捉えるなかれ

首都圏での緊急事態宣言の発出が見込まれるなか、小学校から大学まで段階を問わず、授業のオンライン化の消極派・積極派の間での議論が再びさかんになると思われる。
そうしたなか、少し違う角度から、いずれの立場にも認識しておいてほしいことを書いておく。

それは、スマホゲームやオンラインゲームがもつ依存性の問題だ。

これらが依存症を生み出すことについては、これまでにも危険性が指摘され少しずつ認知されるようになってきたし、昨年の休校やオンライン授業化のもとで「ゲームにハマってしまって昼夜逆転して…」といった事例も各所で報告された。

が、まだまだこの問題への認識は弱いように思う。
その原因の一つと私が考えているのは、かつて「ファミコン」やら「スーファミ」やらにハマった今の40代以上くらいの世代(私みたいなの)が、自分たちが経験してきた「ゲーム」と今の「ゲーム」を、おそらく同列に捉えてしまっている、ということだ。

「ゲーム、熱中するよねー。でも、だから、ルールを決めて守らせていけばいいよねー」
「まあ、一時期はすごくハマるけど、ひとしきりやりこめば、卒業していけるよねー」

といった受け止めだ。

けれども、この捉え方は、間違っている。
今のスマホゲームやオンラインゲームは、かつての「ゲーム」とは比べものにならないほどの依存性、危険性をもっている
私は今のゲームにそれほど詳しいわけではないのだが、それでも、いくつかには触れ、特に、かつて熱中していたのと同じタイトルや同じシリーズの作品をプレイして新旧を対比できたことにより、そのことを実感する。
(私は、小学校から高校くらいまではゲーム好きで、塾の帰りに「ゲーセン」によく行っていたし、ドラクエⅣの発売日には早朝から並んだし、友達がよく家に来て四人対戦で「ボンバーマン」大会をやっていたし、「ぷよぷよ」にハマっていたときには見るものすべてがぷよぷよに見えて頭の中でクルクル回していた。大学以降はゲームから離れて、「アングリーバード」やら「クロッシーロード」やら話題になったものをタブレット端末で遊ぶ程度だったが、ドラクエシリーズに関しては、懐かしさもあって、体験済旧作に未体験旧作、新作までいろいろプレイしたし、一部はかなりやりこんだ。)

今のスマホゲーム・オンラインゲームがもつ特徴

かつての「ゲーム」と今の「ゲーム」、何が違うのか。

1つめ。
かつては、ゲーム専用の据置機だったので、遊ぶまでに、テレビの前まで行ってゲーム機をセットして…といった多少の手間があった。もちろん、ゲームボーイなど携帯ゲーム機も登場したが、それでも、常に身につけているようなものではなかった(そういえば、専用機に限らずPCでもゲームをしていたが、今ほどPCの前に座りっぱなしの生活でもないので、やっぱり、ゲームを始めるときには「さあゲームするぞ」感があった)。
それが今では、いつも持ち歩いているようなスマホやタブレット端末でゲームができてしまう。ちょっとした待ち時間ですぐにプレイが始められる。いつでも手元に誘惑がある。
基本的なことだが、まず、この違いは大きい(後に挙げるさまざまな点の前提になっている)。

2つめ。
スマホゲーム・オンラインゲームでは、インターネット回線を通じて随時アップデートがされるため、新規要素が継続的に追加されたり、期間限定の「キャンペーン」が組まれてそのときしか遊べない/入手できない要素が取り入れられたりする(「ハロウィン・キャンペーン」でしか入手できない新キャラ、のように)。コンテンツの更新は、以前のゲーム機でもなかったわけではないが、今は、更新しようとする能動的な行為がなくても、自動的に新しいものが入ってくる。また、これに伴い、ゲームに以前のような明確な終わり(「クリア」)が必ずしも存在しなくなっている(いわば、以前ならラスボスを倒してエンディングを見ればおしまいだったRPGが、今では、テトリスばりにエンドレスになっている状態)。一方、「デイリー・ミッション」や「ログイン・ボーナス」などの形で、ゲーム・アプリを毎日開かせ「ノルマ」をこなさせるための工夫は満載である。
昔のゲームがプレイを途中で放棄しやすかったのは、自分がプレイを止めても、ゲームはそのままだという感覚があったからでもあると思う(私は、非オンラインゲームであるドラクエⅦをiPad版でプレイして、通常必要のない「モンスター職」に手を出して上級職まで育てまくるくらいハマっていたが、最後のボスのダンジョンまで行ったところで、余裕でクリアできるレベルにもかかわらず、なんだか面倒くさくなってそのまま止めてしまった。が、そんな止め方ができるのも、「まあ、続きがしたくなったら、また戻ってきたらいいや」と思えるからでもある)。けれども、オンラインゲームでは、「今しかゲットできない」という、焦燥感とセットになったお得感を刺激されるし、途中で止めるとゲーム世界が進んでいってしまう(自分が取り残される)感覚があるため、足抜けがしにくい。

3つめ。
スマホゲーム・オンラインゲームでは、しばしば、時間の経過によって、「スタミナ」などと呼ばれる数値が回復して、作中のミッションに挑戦するための権利が得られるようになっている。この「スタミナ」を使い切った状態だと、時間経過によってそれが回復するのを待つなどしなければならない(課金によって補う方法もある)。そして、「スタミナ」の回復には上限値があり、一定時間で一杯になってそれ以上は溢れてしまうため、回復した「スタミナ」をプレイに使わず無駄にしてしまうことに抵抗感を感じるようになる(行動経済学の知見が明らかにしてきたように、人間は、得をすること以上に、損をしないことに敏感だ)。こうした時間回復システムが、より、ゲームの依存性を強めている。
このシステムは、一面では、回数制限を設定することで、ゲームを延々とやり続けるのを抑制するものとも言える(課金への誘導という面も否定できないが)。が、これは多分この手のゲームをしたことがない人には伝わりにくい感覚だと思うが、ゲームによって拘束されるのは、実際にバシバシ操作して「遊んでいる」時間だけではない。「あと○分したら○○がプレイできる」「○時までにプレイしないとスタミナが無駄になる」とゲームのことが気になって過ごすような時間も、立派に、ゲームに意識が乗っ取られている状態である(アンデシュ・ハンセンが『スマホ脳』で「脳のハッキング」と呼んだような)。私自身、「ドラクエ・タクト」のスタミナ回復待ちが気になって、どれだけ無為な時間を過ごしてしまったことか!

4つめ。
抽選であれパチンコであれ競馬であれ「めったに当たらないものに当たったー!」という快感は、人間を激烈に興奮させるものだが、こうしたギャンブル性が強い要素が、今のオンラインゲームには多くの場合取り入れられている。いわゆる「ガチャ」の存在だ(「ドラクエ・タクト」でいうところの「スカウト」)。
もちろん、昔のゲームにも、ギャンブル性をもつ要素はあった。ドラクエ旧タイトルにも、それこそ「カジノ」が作中に存在し、スロットマシーンなど回してアイテムを手に入れることができた(私もスロットを回しまくって一通りのアイテムを手に入れた)。
けれども、今のオンラインゲームの場合、ギャンブル性をもつ要素が、ゲームシステムの根幹に組み込まれている。「ガチャ」で入手したキャラクターによって「冒険」をし、そのキャラクターの強さ(当然、当選確率が低いキャラクターほど強い)が、プレイのしやすさに直結するといったように。
「ガチャ」といえば課金との結びつき(月に何十万円も費やしてしまうといった)がクローズアップされやすいし、それはそれで大きな問題なのだが、その前提には、このように、ゲームシステムに組み込まれたギャンブル的要素がもつ魔力の問題がある。課金に走る人も、まずは無課金の「ガチャ」から入っているはずだし(私自身は、無課金でしかプレイしたことがないので、課金沼へのはまり方は必ずしもよく分かっているわけではないのだが…)。

5つめ。
SNSのプラットフォームを土台にした「ソシャゲ」に代表されるように、今のスマホゲーム、オンラインゲームには、オンラインでつながっている誰かと協力したり対戦したりするといった対人の要素が存在する。これが、よりゲームから抜けられなくする。
多分これは、スマホゲーム、オンラインゲームへの重度の依存症の場合に決定的に大きな役割を担っているものだと思うが(食事も睡眠も取らずぶっ続けでゲームをし続けて死亡といった痛ましい事故もこのタイプだ)、実はこれに関しては、私は、実感をもって語ることはできない。というのも、こうしたオンラインでの誰かとつながってのプレイは、本当に抜けられなくなりそうで、あと、単純になんだか面倒くさくて、試したことがないからだ(ドラクエシリーズで唯一のMMORPG、対人要素を取り入れたタイトルであるドラクエXには手出ししていない)。
とはいえ、ドラクエXをベースにしたラブコメのコミック『ゆうべはお楽しみでしたね』での描写からもうかがえるように、対人協力プレイの楽しさ、そして、そうであるがゆえの吸引力の強さは、容易に想像がつく。
まあ、このオンライン上での対人プレイがもつ問題はいろいろな書籍でよく触れられているので、そちらに譲ることにしよう。

「依存物」として取り扱うことの必要性

以上、今のスマホゲーム・オンラインゲームがもつ特徴として、

・いつも持ち歩いている端末でプレイできてしまう
・継続的に新規要素が追加され、終わりがない
・時間によって回復するシステムがあるため、常に気にかかる
・強いギャンブル性をもつ部分があり、「引き当てたい」衝動にかられる
・オンラインで誰かとつながってプレイする分、抜けにくくなる

という5点を挙げてきた。
とはいえ、私が触れたゲーム・タイトルもごく限られるので、偏りや抜けている部分もあるだろう。十把一絡げにして論じている乱暴さはあると思う。そのあたりは、詳しい方、遠慮なく指摘してほしい。

こうした特徴は、きっと、今のスマホゲーム・オンラインゲームに馴染んできた人たちからすれば当たり前のもので、「はぁ? 今さら何言ってんの?」といったところなのだろう。
けれども、最初に述べたように、おそらく、こうした今のゲームの特徴を知らないまま、自分たちが子どもの頃に体験してきた「ゲーム」の感覚でもって、ゲーム依存の問題(医学的にも「ゲーム障害」として、治療が必要な対象として扱われるようになっている)を軽く見ている40代以上の人々も多いように思う(私自身もそうだった)。そして、ゲーム依存の危険性を訴える類いの文章は、ゲームの中身には踏みこまないものも多いので、こうした違いは、なかなか知られていきにくい。

武田信子氏が、ゲーム依存の問題について、「もはや特別な子どもの問題ではありません。普通の子どもの問題です」という表現でもって警鐘を鳴らしているが、 それも、今のゲームが、あまりに身近で、かつ、(アプリを)開かせる、絶えず気にかけさせる、止めさせないといった、強力な依存性を有しているからだと思われる。

スマホ依存やゲーム依存、ネット依存を扱う書籍では、いずれも、スマホゲームやオンラインゲームを、アルコールやギャンブルと同様の危険性をもった「依存物」として扱う必要性を訴えている。
依存状態になると、本人は必ずしも楽しんでゲームをしているとは限らず(一時的な高揚感や気晴らし効果はあれ)、逃れたいと思っていても逃れられない、止められない、という状態になる。これを「自己責任」で済ませるには(中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』で繰り返し主張されているように)、一個人や一家庭の手に負えなさすぎる

(なお、上に挙げたような特徴は、SNSやら動画やら他のオンラインコンテンツにも当てはまる。ゲームの場合と同じような意識の乗っ取りは、「新しいやつ、よさそうなやつが出てないかな」などとコミックや中古品のサイトを延々眺めたり、「反応ついたかな」「面白い記事出てないかな」などとSNSやブログを巡回したりしているときにも起きている。これらは「行動嗜癖」と総称され、また、そこにつけ込むビジネスは「依存症ビジネス」と呼ばれたりもしている。アダム・オルター『僕らはそれに抵抗できない』は、この問題を概観するための良書)。

さて、最初の話に戻るが、授業がオンライン化され、各自が自宅の自分の端末からアクセスするといった状況は、スマホゲーム・オンラインゲームへの依存の危険と隣り合わせの状況でもある。
なにせ、授業を受けるために使うタブレットやスマホは、ゲームをできる端末でもあるのだ。授業動画を見る合間や課題に疲れてきたときに、何の気なしに手を伸ばしてしまうというのはおおいに起こり得る。
また、オンライン授業をPCで視聴しながら、別ウィンドウあるいは手元のスマホでゲームを開いて、経験値稼ぎのために周回プレイをしておくといったことも簡単だ(もちろん、大学の対面の授業でもこっそり机の下でスマホを操作している困った学生はいたが、家でオンライン授業を視聴しながらゲームする簡単さは、その比ではない。多分、私が、まだゲーム熱が続いている時期に同じ状況にあったならば、間違いなくそうした隠れプレイをしていただろう)。

感染対策のため自宅からのオンラインへのアクセスが必要となる状況下でこうした危険を当面どう回避するか、より長期的に、各種モバイル機器が生活に必要不可欠となり学習においても道具としての有益さが期待されるなかで、ゲームをはじめとするオンラインコンテンツの依存性の問題にどう対処していくのか、そのためにどのような社会システムや理解が必要になるのか(ストロング系チューハイのときに規制の議論が出たように)といった問題は、今はここでは扱いきれない。とりあえずは、本文で触れてきたような依存問題関連書籍を手がかりとして読んでほしい。

何しろ、まずここで強調しておきたいのは、ゲーム依存の問題を考える際に、(私と同じ世代以上の人間が持っているかもしれない)かつての「ゲーム」イメージのまま「たかがゲーム」と思ってはならない、今の「ゲーム」がもつ強力な依存性を認識しておかなければならない、ということだ。
大学教育について語るときに、かつての(「レジャーランド」と呼ばれていたような時代の)「大学」イメージをもっては語れないのと同様に、ゲーム依存について語るときも、かつての「ゲーム」との違いを認識しておく必要がある。

引用文献
アダム・オルター著、上原裕美子訳『僕らはそれに抵抗できない』ダイヤモンド社、2019年
アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳『スマホ脳』新潮社、2020年
中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』朝日新聞出版、2020年

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