渡辺 貴裕|教育方法学者

東京学芸大学教職大学院准教授。「学びの空間研究会」主宰。研究テーマは、演劇的手法を用い…

渡辺 貴裕|教育方法学者

東京学芸大学教職大学院准教授。「学びの空間研究会」主宰。研究テーマは、演劇的手法を用いた学習、実践の省察のための対話など。著書『なってみる学び』(藤原由香里と共著、時事通信出版局)、『授業づくりの考え方』(くろしお出版)ほか。

マガジン

  • 本のレビューやそこから考えたこと。好意的に取りあげたものも批判的に取りあげたものも。

  • 教職大学院での研究指導

    教職大学院で行っている研究指導の様子を紹介しながら、実践研究のあり方・進め方などの話を書きます。

最近の記事

教師の働きぶりを「評価」できるのか 〜リンダ・ダーリング-ハモンド『教師に正しい評価を』

リンダ・ダーリング-ハモンド著、無藤隆監訳『教師に正しい評価を』新曜社、2024年 ダーリング-ハモンドの著作は、これまで、『パワフル・ラーニング』『よい教師をすべての教室へ』を読んできた。『パワフル・ラーニング』は翻訳本が出る前に何かで知って原著で読んだ。とても面白くて一気に読んだ(ダーリング-ハモンドの英語は読みやすい)。 そのダーリング-ハモンドが、教師が力量を伸ばし学校のなかで力を発揮していくには、教師に対するどんな評価システムが必要かを述べた本。 さすがはダーリ

    • 研究を進めるうえで教師が/アーティストが文献を読むということ

      実践者(教師)当人が行う実践研究において、文献読解をどのように位置づけるか。 教職大学院で現職院生を指導していて難しさを感じるのが、文献の読みにかかわること。 院生らが教職大学院の課題研究のために文献を読んだり引用したりする際、つまみ食い的に自分の都合がよいものだけ引っ張ってきたり、その文献の文脈をふまえず的外れな切り取り方をしたり、単なる箔付け(こんなえらい人も言っている、的な)のために用いたりすることがしばしばある。また、文献の読み合わせを行うときでも、文章の字面に対し

      • ゲーマーの反省会とリフレクション

        昨年度末の教職大学院の授業で院生らに、自身らの学びの振り返りに加えて大学院説明会や広報媒体などでも使うのを想定して、「総合Pでの学びの実際」を書いてもらったのだが、興味深いものが多い。彼らがどんなふうに院での学びを受け止めてどんなふうに役立てているのかが、そこからうかがえる。 例えば次のもの(あまりに面白かったので、私のSNSでの利用許諾も本人から得た)。 院で身につけてきた省察(リフレクション)の深め方、そのための対話の仕方を、趣味のeスポーツ観戦のほうにも援用している

        • 本人の思いを超えるもの

          以前、研究者仲間が、休日にサイクリングに行ってお店で武蔵野うどんを食べた話をSNSに投稿していた。 「土手の菜の花が満開ですばらしかった」とのことで、青空と菜の花畑の上下の青と黄の対比が美しい写真と共に。 それがちょうど2022年4月。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1か月半ほど経ったときのことだ。 英語教育が専門でさまざまな国出身の留学生の授業も担当されてきたその先生のこと。 きっとこれは、直接言葉には出さない形で、今の国際情勢への批判と平和への希求を込められたのだろ

        教師の働きぶりを「評価」できるのか 〜リンダ・ダーリング-ハモンド『教師に正しい評価を』

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        • 30本
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          8本

        記事

          教師自身が心を動かし、頭を働かせること ~鈴木惠子、宇野弘恵『心を育てる』

          鈴木惠子、宇野弘恵『心を育てる』東洋館出版社、2024年 学校現場を退職されて10年になる鈴木惠子先生が、自らの実践を語る。 読んでいて懐かしい感じがする本。 20年以上前、私が院生だった頃、学校の先生方の実践記録をよく読んだし、実践報告をよく聞かせてもらった。そこで、教育実践そのもののよさ、また、出来事を捉える先生方のまなざしの素敵さに触れ、以降、実践と近い領域での研究活動を続けてきた。そうした気持ちを思い出す。 子どもの姿を面白がる。 教材に対して教師自身が心を動

          教師自身が心を動かし、頭を働かせること ~鈴木惠子、宇野弘恵『心を育てる』

          デザイナーとは何をする人なのか 〜ドン・ノーマン『より良い世界のためのデザイン』

          認知科学者でもあり技術者・デザイナーでもあるドナルド・ノーマンの最新刊。 ドン・ノーマン 著、安村通晃・伊賀聡一郎・岡本明 訳『より良い世界のためのデザイン』新曜社、2023年 超有名な『誰のためのデザイン?』(2018年のセンター入試国語の出題文でも言及されていた)以降のノーマンの考えの発展をまとめたもの。ユーザーにとって使いやすいという「人間中心」だけでなく、人類や生態系全体も視野に入れる「人間性中心」のデザインのアプローチを解説する。 直近の本(原著は2023年の刊

          デザイナーとは何をする人なのか 〜ドン・ノーマン『より良い世界のためのデザイン』

          ネット社会がもつ暴力性 ~宇多川はるか『中学校の授業でネット中傷を考えた』

          宇多川はるか『中学校の授業でネット中傷を考えた』講談社、2023年 開成中で国語科の神田邦彦先生が行った、ネット中傷をテーマとする授業実践を、毎日新聞記者の宇多川氏が描く。スマイリーキクチ氏の『突然、僕は殺人犯にされた』をメイン教材に、人間の欲求やら正義に関する議論も入れ込みながら行われた授業だ。 授業の様子だけでなく、授業後の生徒3人らとの対話、生徒が論じた文章も収録されている。生徒に思考させる良質の授業実践の姿が浮かびあがる。 …といった紹介を書こうと思っていたら、

          ネット社会がもつ暴力性 ~宇多川はるか『中学校の授業でネット中傷を考えた』

          歯切れの悪さによってこそ語れるもの 〜大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』

          大学の同僚・大村龍太郎さんの初の単著が出た(ちなみに私とは同い年)。 大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』明治図書、2023年 世の中には、「スパッと言い切る」系の教育書があふれている。 一方、本書はそれらと比べると、歯切れが悪い。 例えば、学習計画を各自で立ててそれを共有し合ううえでのクラウドの有用性を述べたうえで、 として、そうした子どもについても、「私の計画が参考になるならどうぞ」という子と同様に尊重されるべきと説く。 また、紙かデジタルか

          歯切れの悪さによってこそ語れるもの 〜大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』

          「研究倫理」を形式的なものに終わらせないために ~田代志門『みんなの研究倫理入門』

          以前学内で研究倫理委員会にいたことがあり、そのときに研究倫理関連の書籍をいくつか読んだが、勉強にはなったものの、「面白い!」「目からウロコ!」というものはなかった。むしろ、何かにつけて出てくる「ヘルシンキ宣言」とか、医療の話を教育研究にもそのまま適用されてもなあと、正直食傷気味だった。 が、今回初めて、抜群に面白いと思える研究倫理の書籍に出会った。 田代 志門『みんなの研究倫理入門 臨床研究になぜこんな面倒な手続きが必要なのか』医学書院、2020年 3人の登場人物による

          「研究倫理」を形式的なものに終わらせないために ~田代志門『みんなの研究倫理入門』

          授業の協議会で何から話し始めるか

          微妙に得体の知れない相手と道端で出くわしたとき。 相手が拳を構えればこちらも拳を構える(か逃げる)だろうし、 相手が武器を出してくればこちらも武器になりそうなものを手にする(か逃げる)だろうし、 相手がおずおずと両手を挙げて争いの意思がないことを示してきたら、こちらもそれにならうだろう。 (あくまでも比喩です。こんな治安の悪い日常を送っているわけではありません。) おそらく、授業の後の協議会も同じだ。 誰かが、「これこれにはこういうやり方があって」とか「これの主題はこれこれ

          授業の協議会で何から話し始めるか

          ALACTモデルを形骸化させないために

          いくら出来事を振り返ることが大事とはいっても、 では振り返りは深まらない。 場面の捉え方が雑で、また、自分の(教師側の)視点からしか見てないから。 そんなときに役立つのが、コルトハーヘンのALACTモデルに出てくる「9つの問い」。文脈を押さえたうえで、教師側と学習者側がそれぞれ何を行ったか、何を考えたか、何を感じたか、何を望んだかを考える。そして、そこから浮かびあがってくるズレやら欠けやらを、問題を掘りさげる(「第3局面 本質的な諸相への気づき」に向かう)手がかりにする。

          ALACTモデルを形骸化させないために

          「効果が統計的にも示された」の魔力

          例えば、「植物育成ゲーム」というアプリが新たに開発されたとする。教育用途のシミュレーションゲームで、植物を選んで種をまくところから始まり、その後、プレイヤーが随時さまざまな働きかけを行っていくと植物の生育具合が変化し、最終的にそれが育成スコアとして点数化される、みたいなもの(架空の例です。まあ、実際に似たようなものもあるかもしれないが)。 それで、子どもたちにこのゲームを各自の端末で一定期間プレイさせたとする。 その結果、プレイの初期と終期とを比べると、育成スコアの平均値が

          「効果が統計的にも示された」の魔力

          「がまくんとかえるくん」は仲良し友情物語!? 〜木村・上田・明尾「アーノルド・ローベル『おてがみ』の『名づけ得ない関係性』を読む」

          木村季美子・上田楓・明尾香澄(2023)「アーノルド・ローベル「おてがみ」の「名づけ得ない関係性」を読む ―教材可能性を開くクィアの思弁的なプロセス―」『国語科教育』第94集、pp.23-31 私の知り合いでもある若手研究者・明尾香澄さんらのこの研究、昨年の全国大学国語教育学会大会時の発表でも聞いたが、このたび無事学会誌に掲載された(明尾さん、おめでとう!)。 よい論文だと思う。 小2国語教科書に「おてがみ」が掲載され、教育現場でも有名&人気があるアーノルド・ローベル。

          「がまくんとかえるくん」は仲良し友情物語!? 〜木村・上田・明尾「アーノルド・ローベル『おてがみ』の『名づけ得ない関係性』を読む」

          「悲しそうに読もうと思います」「悲しそうに読めていてよかったと思います」でいいの!?

          以下は、7年前に、今はなきfacebookのノート機能で書いた文章。当時、20件以上シェアされ、それなりに反響を呼んだ。先日訪れた学校で、ここで述べていたのとまさに同じ事態に遭遇し、この記事のことを思い出した。再掲しておく。 国語の授業において、物語や詩、古文などの音読表現の活動が行われることがある。 その際しばしば次のような形で発表が行われる。 発表者(グループ)が「工夫した点」を言う。 発表する。 「工夫した点」が伝わったか聞き手がチェックし、感想を伝える。 例

          「悲しそうに読もうと思います」「悲しそうに読めていてよかったと思います」でいいの!?

          教育とアイデンティティ

          先月大阪のあべのハルカスで一般向けの演劇的手法の講座を開いたときに、小2の女の子が母親と一緒に来ていたのだが、その子は、私が声をかけてもほとんどしゃべらず、「おれはかまきり」(工藤直子『のはらうた』より)の詩を読むときに誘っても首を横に振っていた。 おとなしい子なのかなーと思っていたが、後で主宰の先生経由で聞いたところでは、「あのときは、『だぜ』って言うのが恥ずかしかったから(読めなかった)」と言っていたらしい。 後日、家で別の本でまたこの詩が出てきたとき、最初は、「だぜ」を

          教育とアイデンティティ

          「いっぺんに全部書こうとしてしまう」問題

          精力的に調べ物や取り組みを行って、いろんなことが新たに見えてくる面白さを知った院生が、それを論文(教職大学院だと課題研究)にまとめる段階になって、直面しやすい問題。 自分に見えてきたことを、論文の中で最初からいっぺんに書こうとしてしまう。 例えば…。 といった枠組みで研究を進めていたとする。 そうやって進めるなかで、このYのやり方が、Bのほうだけでなく、Aのタイプに関しても実は意味があるのではないか、ということが見えてきた。 その際に、「Yのやり方はAにもBにも大事なん

          「いっぺんに全部書こうとしてしまう」問題