見出し画像

論文紹介:西岡加名恵ら(2022)「デジタル化されたドリルの現状と今後の課題」

興味深い論文が出た。

西岡加名恵、石井英真、久富望、肖瑶「デジタル化されたドリルの現状と今後の課題 算数・数学に焦点を合わせて」『京都大学大学院教育学研究科紀要』第68号、2022年3月、pp.261-285

学校現場で用いられているデジタル・ドリル5点(AIの活用を謳うもの2点、特にAIを謳わないもの3点)について調査を行ったもの。実際に院生・学生がこれらドリルでの学習を体験している。また、デジタル・ドリルを活用する小学校教師3名へのインタビューもあわせて実施。
きちんと中身を見てみたうえで、デジタル・ドリルの意義と問題点の両方を挙げている点、興味深い。

意義としては、

レコメンドや遡行の機能を有することで学習者の「つまずき」を乗り越える機会を拡大する可能性が認められる

p.276

ことなど。ただし、そうした「遡行」(それまでの学習内容への立ち戻り)にも例えば次のような限界はあるという。

遡行範囲の設定には、まだ人間の目から見れば不十分と感じられる例も見受けられた。たとえば、「縦3000m、横4000m の長方形の面積は何㎢か」という問題に単位換算でつまずいでも、長方形の面積の求め方に一律に戻されたりする。また、「つまずき」の原因の質的な違い(例:平行四辺形の求積問題でつまずいている時に、求積公式を覚えていないからなのか、「高さ」の意味がわかっていないからなのか)に対応するものではない

pp.278-279

また、「教育データ利活用ロードマップ」に見られるように「自分らしく学べる」という文脈で喧伝されがちなデジタル・ドリルが、かえって「適応的熟達化や自律的な学びを阻害する懸念」(p.280)があることへの指摘も重要だ。

自らや周りの「つまずき」に違和感を覚え、立ち止まってその原因と意味を考え、回復の手段を講じたり学習計画を立てたりするといった、適応的熟達化や自律的な学びに至る機会を奪う

p.280

恐れがあるというのだ。

そして、データの活用そのものについても、インタビュー調査を通して以下のような実情が浮かび上がってきている点は興味深かった。

小学校の先生方へのインタビュー調査では、そのような機能がデジタル・ドリルに実装されているからといって、必ずしも有効に活用されるとは限らないという声も聞かれた。従来であれば、丸付けの作業の中で個々の学習者の「つまずき」の傾向が把握されていたのに対し、現状のデジタル・ドリルでは、まず学習状況管理画面を開き、クラスの学習状況を把握する画面から、検討したい学習者のリンクをクリックし、さらにその学習者が誤答した問題の解答を見るリンクをクリックしないといけない設計になっている。実際のところは、多忙な教師がそこまでの作業をすることはなかなかないというのが実情のようである

p.274

「おわりに」で示されている、

現在のデジタル・ドリルは、AI的な機能を含め、実は1980年代頃までの知的CAIの枠組みにほとんど収まっている

p.281

は、正直なところ、予想通りなのだが、それがきちんと実際の各社のドリルの具体的内容とシステムを精査したうえで示されている点は重要だ。

一方、本稿で指摘されている問題点に関して、どこまでを技術的なもの、どこからを原理的なものとみなしているのかという点は気になった(ある程度透けて見えはするのだが)。つまり、技術革新がさらに進み「ユーザーの声」を取り入れて改善していけば解決される問題なのか、あるいは、それでも解消できない(あるいはより悪化する)、学習観や教科内容観のレベルでの根本的な問題があるのか。まあ、これは、本稿でも一部触れられているように、カリキュラムや学校教育全体のなかでどのように位置付けられるかによって変わってくる部分でもあるだろうが。

いずれにせよ、こうした調査は貴重である。現状では、個人では、比較調査どころか個々のシステムの体験さえままならない(公教育で用いられる教材のこうしたブラックボックス化の危険性そのものも問題だ。実際、今回の調査でも2社は依頼に無反応ないし断っている)。

本稿は、当面の間、「AI型教材」を活用した「個別最適な学び」の類いを論じるときの必読文献になるだろう。

※以前私が書いた、関連するnote記事も2点、つけておきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?