日本思想の源流 2

 続きです。

  歴代天皇と政治の関係についても書かれておりました。私は社会をしっかり勉強していなかったのですが、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸なんていうのは勉強しましたが(正確を期すために調べました。)、元号や当時の天皇についてはあまり教えてもらえなかったように記憶しています。しかし、院政なんていうのも記憶にあるのでやっぱりやったのかな?各時代の幕府と朝廷との関係について解説されていました。私個人としては朝廷が天皇を中心とする政権であるという認識も、後追いだったので勉強しなおすことが出来ました。南北朝なんて言う時代はとんでもない話だったわけですね。本書を読むまで、南北朝なんて言う言葉も忘れておりました。

信長、秀吉は割と皇室を大切にしていたようですが、徳川家康はそうではなく、江戸幕府では「禁中並びに公家諸法度」という法律が制定され、皇室が出来ることを規制していたとありました。武家諸法度なら習った記憶があるのですが、「禁中並びに公家諸法度」は記憶にありませんでした。「禁中並びに公家諸法度」の第一条には「天子御芸能の事、第一は御学問なり。」とあり、要は天皇に対して「第一に学問に励め」と言っているというのですから、恐れ多いです。

時系列は少し戻りますが、豊臣秀吉はポルトガルやスペインの領土的野心を見抜き、キリスト教を大変警戒していたとありました。ポルトガルのイエズス会とスペインのフランシスコ会が日本国内で派閥争いをしていることに対して、「どっちもダメ」と京都在住のキリシタンの緊急逮捕、そして耳の一部をそりおとすという耳そぎの刑に処したとありました。いやいや、「耳そぎ」なんて聞いたのはキラー・コワルスキーのニードロップ以来です。著者は、江戸時代の265年の安泰は秀吉のこうした措置によるところが大きいと言っていました。

 全体的なまとめに入り、「日本に『宗教』が生まれなかったのは、日本人が『宗教的情操』を持ち続けていたがためで、『宗教』の必要性を感じていなかったからにほかならない。」とありました。「神道は??」と思い、そのあたりがすっきりしなかったのですが、別な方の記事に「神社に経典はなく、八百万の神様の中に生きている日本人は、普段は宗教を意識していません。」とあり、妙に納得させられました。それと同様に「法」と「哲学」も生まれなかったとありましたが、それは日本人が「我執」に対して素直に取り組み、この世に生きた人としての最高の喜びを、「没我」の高き価値の中に求めていたからだとありました。

 少々日本人を持ち上げ過ぎと感じられる部分もありましたが、大変勉強になりました。こうした本はまだまだ読んでいきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?