天寿を全う

 「天寿を全うする」という言葉があります。聞いたことがありますが、おそらく使ったことはありません。勝手に意味を想像してみると「天から与えられた寿命を、全て使い切る」みたいな感じです。「天寿」だけ調べてみるとやはり「天から授かりし寿命」ということでした。「全う」は「物事を最後まで完全に終わらせる」という意味で、そういう意味では「天寿を全うする」ことができる方というのは稀有なのかもしれません。人生で思い残すことなく、全てをやり終えて死に至るなんて言うのは難しいでしょう。多分、私は、あれもやりたい、これもやりたいなんて思いが残っていたり、「もう少しビール呑みたい」なんて思っていたりすることでしょう。

 また、基本的には遺族が使う言葉で、「おかげさまで大往生いたしました。」という意味で用いられるのだそうです。生前の厚情に感謝して、「故人が大変お世話になりました」なんていうお礼の意味も込められているのでしょうね。残念な私は、遺族が使う言葉であることは知らなかったので、おかしなところで使わなくてよかったです。そもそも使う機会もそれ程ありませんが。

 福島県の高校三年生の女生徒が、昨年4月に自殺した件で、亡くなって三日後の全校集会で、校長が「この生徒は天寿を全うした」と発言したそうです。なんでこんなことを言ってしまったのやら訳が分かりません。とはいえ、この校長の話の全文を見ることができるわけではありませんので、「この生徒は天寿を全うした」の後に「とはとても言えない」といったことを切り取られた可能性があります。それくらい報道というものが信じられなくなっていますが、とりあえず本当に行ったとすれば、なんとも不見識ですね。

 17歳、高校3年生で自殺、様々思い悩まれていたことは同情しますが、残念ながらこうした洗濯をしてしまったことには全く賛同できません。しかしながら、責任の一端を感じなければならない方が、こんなことを言うのはどうしようもありませんね。看護師になりたいという夢を持っていたなんて聞いてしまうと、志半ばであることは間違いありません。いや、学生が自殺するなんて、これからまだまだ楽しい人生が待っているはずなのに、どう考えても「天寿を全うした」ではないでしょう。

 「天寿を全うした」という言葉自体は、遺族の感謝の気持ちなども含んだ素敵な言葉だと思いますが、こんな訳の分からないつかわれ方をしては言葉が哀れでなりません。度々引用しておりますが、なぎら健壱は楽曲がテレビやラジオの放送禁止の対象になることに対して「言葉に罪は無いんだよね。使う人の意識の問題なんですよ。」と言っています。自戒して、改めて言葉に気を付けたいと思います。

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