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遙かなる宝珠山の産声

なんで生きているんだろう?

労働もせずじっとしてたら、そんなことをつい考えてしまいます。

今までの人生が、サラリーマンの時がほとんどだったので、なんだかそんなふうに考えないとないといけないような氣がしたりするのですね。

かたや、自由の身ででいる事、とても良い。

絵を描くのはとても楽しい。

社会とは、スマホ越しで関わっているようなものかも知れません。

物価とか、少し上がってるみたいですが、そんなに極端には変わってないし、相変わらず人々はマスクが多いみたいですが、別にわたしに強要してくるわけでもないし。

なんて考えてると、もはや世捨て人になってしまったみたいです。

タヒチのゴーギャンみたいな?

作品でしか大和の社会と関わっていません。

否、このブログが有る!

わたしのブログにも、少ないながら「スキ!」とかしてくださるお方がいらっしゃいます。

少ないのをさいわいに、「スキ!」をしていただいたお方の投稿とか、結構チェックもできます。

「スキ!」が10を超えたら、きっとそのお方様たちは、オーディエンスに?

それは嫌です。

わたし対多数、それは仕方がなくなりますが、わたしの絵はその人一人ひとりに相対してくれるものでしょう。

もはや、肉体とかの縛りのある河野隆尋とか、そんなものはどうでもいいみたい。

大体が主張とか、どうでもよろしい。

世界人類がわたしの絵を認知する頃には、こんなゴニョゴニョとか、必要なくなりますし。

しかし、ブログ、それを友との語らいのつもりと捉えたら、一生続けたいですね。

コンタクトをとってくれるお方とか、それがたとえ批判であっても、ていうか、批判ならなおのことありがたい。

いわんや共感をやです。

北欧が俺を呼んでるぜ。

ゆっくり旅しよう。

ポストカードされあればどんな所も発表の場所です。

作品は小さい方が機動力が有るってものです。

何せ零円だもの。こんな氣楽なこともありません。

資本主義を超えて、表現者が生きやすい世の中になりますバイ。

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