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本気で応援している仲間を、本気で応援する学校になろう

野球応援の季節となりました。夏といえば高校野球という言葉がありますけども、夏がよく似合うスポーツだなと思います。僕も高校野球でプレーもしましたし、スタッフ側の一人としてもやらせてもらっていた時期もあったりで、この季節になると毎年ワクワクしてしまいます。

コロナ禍で野球応援がなくなってしまった時期もあり、熱中症の心配等もあり、これからの野球応援は見直しの時期にきていることは確かです。そもそもなぜ野球だけ特別に学校をあげて応援するのかということについても疑問の声は毎年あがります。静岡県は野球応援は学校行事の一つとして位置付ける学校が多くあり、1年生は全員応援に参加するという学校がほとんどです。なぜ、高校野球はそれほど特別なのか。

個人的な考えを述べさせていただくと、「夏の高校野球」は応援することそのものに目的を置いているのではなく、すべての学校が、応援を通して「創りたいもの」があるからこれほど特殊なのだと思います。それはこのように応援を通してじゃないとできないものなのかという部分に議論はあると思いますが、応援することで形成されていくものがあります。それは「ホーム」だと思っています。一人一人のホームを作る、一生の居場所をつくっていくことは決して簡単なことではありません。

「あなたのホームはどこですか?」と問われた時に、あなただったらどこと答えますか。そして、それは何故ですか。

僕は、高校。そして大学だと思っています。なぜなら、一番心を熱くした場所であると同時に、本気で誰かのために心を燃やした場所だからです。自分を本気で応援してくれる仲間たちの顔を今でも覚えていますし、逆に本気で頑張る仲間を応援している自分の姿も覚えています。その仲間たちの存在、背中を押してくれた先生たち、一生懸命応援してくれた保護者のみなさんがいてくれました。当時、みんなで歌った校歌、応援歌は今でも変わらず歌うことができます。

では、野球応援以外にも手段はいくらでもあるだろうという意見もあると思います。その通りだと思います。野球応援だけがその役割を担うということでもないと思いますし、他にもたくさんの機会はあると思います。ただ、なぜ高校野球はこれだけ多くの人の心を動かすのか、これだけ多くの人が巻き込まれていくのか。僕はずっと不思議に思っています。そして、その答えはまだまだわかりません。

長崎の創成館高校の奥田校長は「本気で頑張る人を本気で応援しよう!」といつも言っています。利己主義的になりつつある社会、希薄化し続ける人との繋がり、失われていく共感性。そんな時代だからこそ、これからの学校が担うべき役割は、この「ホーム」をいかに作っていくかであり、「本気で頑張る誰かを、本気で応援する」というシンプルな姿勢だと思います。それが全日制の普通科高校の良さであり、不易な部分なのだろうと思っています。


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