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ひきこもりおじいさん#73 顔見知り

怒りに身を任せ感情的になった私は、素早く起き上がると、机の引き出しから筆記用具と便箋を取り出し、その便箋にここまで自分が直接見て聞いた二人の駆け落ちに関しての経緯、日時、時間、場所などの詳細を殴るように書き記しました。そうして書き終わると、直ぐに私はその手紙を持って、正ちゃんの父親である田中喜一郎氏にこの手紙を渡すために西雲閣に向かったのです。嫉妬と怒りの感情に駆られたその時の私は、事前に駆け落ちの事が発覚すれば、きっと計画は失敗するか若しくは中止になると思っていました。当時の日本の世間は現在よりも遥かに家族同士の面子や体裁を重んじる傾向が強く、特に田中喜一郎氏のような経営者をしながら、議員をやるような社会的にも立場の高い人はきっと身内から駆け落ちをするような人を出したくないと考えたのです。今、冷静に考えれば、信じられないような愚かで浅はかな行動でしたが、そうやって私は二人の駆け落ちを邪魔しようとしたのです。
久しぶりに訪れた西雲閣は、時間的には深夜でしたが、その夜もお客さんが大入りで、多くのお客さんと女給さんが忙しなく店内を行き交っていました。何とか店の出入口で私は顔見知りの女給さんを捕まえると、今日は喜一郎氏はいるかどうか訊ねました。しかし、ちょうどその日は地方へ出張だったらしく不在とのこと。仕方なく私はその女給さんに手紙を喜一郎氏に渡して欲しいと言伝し、その日は家に戻りました」

#小説 #おじいさん #駆け落ち #手紙 #言伝

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