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ひきこもりおじいさん#15 千昌夫

「隆史、着いたぞ!早く降りろよ」
紀之のぶっきらぼうな声とカローラのタイヤが庭の砂利に勢い良く滑り込む音が、ほぼ同時に隆史の耳に届き、目をゆっくりと開けた。眠るつもりなど無かったのに不覚にも落ちてしまった自分が恥ずかしかくなる。
「あれ、隆史もしかして眠ってたの?おまえこんな短い時間でよく眠れるよな」
「え?あ、そうみたいだね」
隆史が力なく答える。
「そうみたいって、なんだよ」
紀之はカローラが停止すると、すぐに後部座席のドアを開けて外に出ると、足早に家の中へ入っていってしまった。
「さ~着いた。着いた。取り敢えずこれでお葬式も一段落したことだし、ちょっと休んでから夕飯の準備でもしないとね。でもまだ葬儀に出てくれた一郎兄さん達もいるから、今日はお寿司でもとるかね?」
助手席の英子がシートベルトを外しながら伸一に尋ねる、。
「そうだな~。まぁ、こんな時ぐらいは寿司でもいいかもな」
「こんな時ぐらいって、お父さん生もの食べれないから、お寿司も駄目じゃないの」
「え~、あっそうだったわ」
「そうだったわじゃないわよ。まったく、いつもこんな調子なんだから。あっお父さん、今、何時かわかる?」
英子が少し呆れたように聞いた。
「え~と、今はちょうど四時半かな」
伸一がエンジンを切り、左腕の腕時計を見ながら答えた。
「四時半?もうそんな時間なの。やっぱり二月は暗くなるのが早いわ」
「あ~、確かに。日が沈むのが早いから、この辺りは山も近いし、すぐに暗くなる」
日常的ないつもの伸一と英子の会話を隆史は後部座席で、まだ意識がぼんやりとしたまま聞いていた。伸一もすぐにシートベルトを外して、ほぼ二人同時にカローラから出ていった。
ひとり車内に取り残された隆史は、なぜ突然、夢に小学校の頃のしかも祖父母参観のプリントを貰った時の記憶が出てきたのか不思議に思っていた。そしてそんな物思いに耽っていると、わざわざドアを開けて外に出るのが億劫になり、誰もいない車内でシートに身体を預けながら佇み、静かに時間をやり過ごした。まだ車内には焚き火の残り火が燻っているようにエンジンの停止した後の微かな振動が残っている。ふいにコンコンと窓を誰かが叩き、その音に反応した隆史ははっとして外を見ると、英子が外から隆史を見ていた。おそらくカローラから一向に出てこない隆史を心配して様子を見に来たのだろう。
「隆、早く出なさい!いつまでそんな所にいるの!これから夕飯の準備するんだから少しは手伝いなさい!」
車の窓越しに聞こえてくる英子の声は、多少聞き取りづらかったけど、中までしっかりと聞こえた。
「今出るから、ちょっと待ってよ」
ぶつぶつと文句を言いながら隆史は、ゆっくりとドアを開けて外に出る。二月の夕暮れ時の寒冷な空気に触れるとなんだか気持ちがすっきりした。
「まったく、さっきの火葬場でもそうだったけど、今日ちょっとおかしいよ大丈夫?」
渋い表情のまま立っている英子が言った。
「そうかな?いつもと変わんないと思うけど」
「じゃあなんで、家に着いてるのに車からも出ずにボ~っとしてるのよ」
「別にいいじゃん。ちょっと疲れたから、休んでただけだよ」
「だったら家の中で休めばいいじゃないの」
「はい、はい。すみま、千堂あきほ」
「はい?」
「・・・ねえ、母さん。今、絶対、千昌夫って言うと思ったでしょ?」
「は?思わないわよ!そんなこといいからとにかく早く入りなさい!」
「は~い」
英子から逃げるように隆史は家に滑り込んだ。

#小説 #おじいさん #ひきこもり #記憶 #千昌夫

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