身内が田舎マンセーだと詰むよって話。Part2

自分のルーツと母方(中学1年生でのお話)

全国の皆さんこんにちは。
2回目のエントリーです。TakahitoYと申します。

前回は幼少期に苦しめられていたお話をしました。

今回は中学時代のお話です。
それでは今日も自分のフラッシュバックのアウトプットをしていきましょう。

中学1年生編

2011年4月。
某大震災の影響で前月の卒業式、そして初めて身に纏った制服で公立中学の門をくぐった私。式典の紅白幕は晴れの日になるはずだった3月21日と同様に"シロクロ"と葬儀屋化粧された体育館で挙行された。
「開式のことば」が「開式の辞」へと変わり、少年時代の終わりを告げた瞬間に立ち会うような、人生における夏休み最終日、8月31日の夕刻の時報が聞こえてきた気がした。

1週間のオリエンテーションを経て、いよいよ授業が始まった。
私が期待していたものは自分の知的好奇心を満たしてくれ、中学から個人成績がつけられることは祖父母から聞かされていたので学年1位をここで取ることはモーニングルーティンの如くクリアする日課のようなものだった。

そして私には夢があった。2006年甲子園決勝で「WASEDA」のユニフォームに惹かれた私は高校で早実、ダメでも地元の偏差値ランクのトップ高校に進学は最低限。大学は早稲田大学に通うことが自分の思い描いた未来予想図であり"ぼくのかんがえたさいきょうのしんろ"だった。

だがやはり授業がつまらない。英語に至ってはなぜこの五線譜のような惹かれたラインに沿って行儀良くスペリングをしなければならないのか理解できなかった。また「This is a pen」のセンテンスひとつとっても「見たらわかるだろ!これがペンじゃないとしたらスパイ用の暗殺兵器か何かか!。」と突っ込みたくなるような馬鹿げたセンテンスのライティングを45分かけてさせる英語の先生に怒りを感じた。数学に至っては先生のやり方にそぐなわなければすぐに跳ねられる。答えも正答している上私の書いた回答が別解だとしてもプロセスのBパターンを踏んでたどり着いたわけだからそれを正解にすべきだと思うしましてや「ここは中学校だから高校数学的な解法をしないで。」と数学教師として此奴はプライドのかけらもないのかと憤りを感じた。

また部活動は野球部に入部した。生来の野球少年で小学時代に選抜チームに選ばれてもいたのもあった。だが野球部入って最初の練習は12km走である。水は飲めない。それが終われば応援練習といったタコ踊りである。馬鹿馬鹿しいにも程がある。途中から真剣に走るのをやめダラダラ走り始めた。ダラダラでも一定ペースランを続けた方がよほど練習になるからである。そんな折顧問のB先生に「なぜ真面目に走らないんだ。」と詰問された。我慢の限界から私は「そもそもこんな不毛な練習をして何になるんだ。あまりに非生産性で非効率的だから真面目に走る価値もない。かといってこのメニューをこなさなければならないのなら一定のペースを守り走るからな。」を返すと理不尽に干された。先輩方からバットで"かわいがり"を何度も受けた。
H先輩だった記憶があり、同級生でもWくんやOくんからはバットで殴打もあり、スパイクで顔を蹴り飛ばされも。B先生はそれを見て見ぬふり。
のちに私はこの環境でのサバイブを3年間強いられることになるのであった。

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