身内が田舎マンセーだと詰むよって話。Part1

自分のルーツと母方(幼少期から小学校までのお話)



全国の皆さんこんにちは。
初めてエントリーします。TakahitoYと申します。

私は東北の片田舎(最新のデータでは消滅可能性都市に指定されているので出身地は「市」の体裁を成していてもひょっとするとある面では限界集落なのかもしれませんね。)の生まれです。
父方の本拠は仙台にあり、親族も都心部や地方都市にいてかなりダイバーシティのある構成で刺激的な身内だと自分でも思います。
対し母方は私の実家と比べさらに過疎化激しい集落一体に親族が家を構えており、身内が密集して生活しているという父方と母方とのコントラストが鮮やかに映えるような見た目の親族構成です。

そんな生まれでしたのでどうも父方と母方の考えやマインドは共存し得ない両極端に振り切っておりベン図でマインドを重ねようと試みてもベン図として成立できないほどに親和性がないんですね。

この母方に、幼い頃から私は苦しめられており幼稚園年少の時期からお盆や正月が近づくたびに気味がわるい体調不良を抱えるほどその前後はストレスフルで申し訳なさを抱えながら毎度のこと母に「家に帰りたい。」と漏らすほど母の実家や親戚の家は苦痛でした。

母方について小学校編



それが表面化したのが就学年度になった小学一年生から。
私は小学校に入学して一番はじめに感じたことが「勉強がつまらない。」こと。
それは私が不出来のあまりにではなく30秒で理解できることをなぜ毎時間45分もかけてくだらない先生の話を椅子に座らされお行儀よく聞き続けなければならないのか。そして周囲の同窓生はそれに疑問を抱くことなく大人しくできるのか。なぜ自主学習で獲得した知識を駆使してテストに挑んで重箱の隅をつつくような「まちがいさがし」を先生にされた挙句結果ではなくプロセスの部分で減点されなければならないのか。この不毛な時間を過ごすのが私を磨耗していく感覚を半強制的に学んだのでした。当然保護者同窓生先生方からは完全に厄介者扱いされる始末でその後中学3年まで続くいじめに発展。

自分が最も辛く堪えたものは学校ではない。自分の血のつながりを持っている母方から猛烈に糾弾されたことです。「先生の言う事を聞けない。馴染めないのはお前の人間性、馴染めるように地元で親や祖父母の目の前で将来を過ごしなさい。交際相手もじいちゃんばあちゃんが決めるかんな。」

これは小学校4年生の時にいじめが激化する最中に祖父母に現状を話した際に返ってきた※カウンターのひとつでした。(アンサーではなく、カウンターというのは当時の自分に対して最大の攻撃性を伴ったパンチ以外の何者でもないといまだに思うからです。)

祖父母は農業の他、当時町議会議長を務めていました。市でなく町議会といった小規模自治体の議長でしたので典型的ムラ社会である以上周囲とのリレーションシップは職務に直結するくらい重要性の最優先事項だったが故の発言でしたのでしょうがここまで苦しみその日その日をなんとか生き抜いている孫に、果たして浴びせる言葉でしょうか。この言葉が今も自分を苦しめる発がん性物質になっていることは言うまでもなく、何かを失敗すれば地元に強制送還され三度祖父母にとって都合のいい惨めな奴婢同然の扱いになることを一番のプレッシャーとしてのしかかることほどの地獄は個人的にはないのではないかなと思うわけです。

また母方の祖父母は「医師」「弁護士」「教師」等。人に何かを教えを説く職業に対し信仰に似た崇拝主義的な価値観を持っているのも印象的でした。なぜそう感じるかと申しますのは父方は上記の職業に従事するライセンスを持った親族ばかりで、かといってその職業は確かにお金はもらえど偉いか、人間として立派か、勝ち組かと言われたら間近で見てきたからこそ私は大層な立場であるかと問われれば疑問符がつく見方をしていて「先生の言うことは絶対。歯向かうお前が絶対悪」と責める祖父母に反発感情を未だ持ち合わせているのです。

いくら主張すれど曲げない祖父母、それが波及し従兄弟や母方の一族全員から猛攻撃もされるわけで私の自尊心や自信といった類は、フィクションの作品設定でよく見かける核戦争後の世界で草の根も生えない土壌のように、全てが灰色に染まった世界へと変わり果ててしまいました。

また私にとっての不幸はこれだけで終わらせようとはしてくれず、祖父母はいじめっ子グループのご両親ともネットワークを持っており相手方の主張を100とするのなら私の主張は0、まああったとて0.1ぐらいでしょうかね。僕に対し有罪以外何者でもない態度で叱責し懲罰として地元で長男坊としての責務を果たす・地元での就職と地元でのお見合いに意を唱えない等を唱えてきました。(冗談だと信じたいし冗談であってほしいと思うほどです。)この点に関しては父母同席ではないテーブルで対私に対して叱責する際に祖父母が発した言葉でした

私の心は中学1年生に上がる際には既に最後の骨まで粉砕骨折されているといっても過言ではないほど打ち砕かれていました。

ここまでが中学校に進学するまでの私のルーツです。

私がこのnoteで過去を曝け出すことの基本方針

私はこのnoteを通じて自分の過去を精算しアウトプットをしていくことで苦しかった自分の半生にパープルハート賞を自ら授けたく執筆し始めています。

今私は地方国立の大学院にて経営学を専攻しており、ある種自分の人生を新しく始めていく転換期にいると私自身は感じていて毎日1記事投稿を始めていけたらなと思っています。
最初は自分のルーツを曝け出しながら自分の半生を可視化したいと考えていてこのnoteがいずれ誰かの目に留まり自分のリアルタイムの成長記録に画面の向こうの誰かに偶にでも目に留まり、見知らぬところで誰かにとっての支えになればと思い執筆活動を続けていきたいと思います。

どうか皆さんこの記事を良かったと感じたら是非シェアしていただけますと幸いです。

これからどうぞよろしくお願いします。


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