年収の壁、第3号、適用拡大、そして勤労者皆保険

みなさん、こんにちは。公的年金界の野次馬こと、公的年金保険のミカタです。・・・・って自己紹介しても、最近は3か月に1回の投稿なので、もう忘れられたかもしれませんね。

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たかはしFP相談所(公的年金保険とおカネのミカタ)(@fp_yoshinori)さん / X (twitter.com)

年収の壁の誤解を正すメディアが増えてきた

さて、久しぶりに取り上げるテーマは、相変わらず「年収の壁」についてです。最近になって、ようやく、「年収の『壁』」、「働き『損』」といった、昨年来メディアや政治家が拡散してきた誤解を正すような記事が見られるようになりました。

そんな記事をちょっと紹介しつつ、それでも私からみるとまだまだ誤解を招くなぁという部分もあるので、そこら辺について述べてみたいと思います。

今回、取り上げるのは、毎日新聞の記事です。

こちらの記事では、誤解されていることが多い「130万円の壁」と「106万円の壁」の違いについて、きっちりと解説しています(太字による強調は、筆者が加えたもの)。

 配偶者に扶養されてパートで働く場合、社会保険料が生じる年収水準には「130万円」「106万円」の二つがある。

 水準を超えると保険料分の手取りが減る点で、「年収の壁」として意識されるが、意味合いはかなり違う。まず、その点を整理しよう。

 会社員など雇われて働く人は原則、被用者保険(厚生年金と健康保険)に加入するが、所定労働時間週30時間未満のパート勤務者は適用外にできるルールがある。その場合は、自営業者らと同様、国民年金と国民健康保険に加入する。

 だが、会社員の配偶者は年収130万円未満なら、扶養家族として健康保険に保険料なしで加入でき、公的年金は「国民年金第3号被保険者」として保険料なしで基礎年金が受給できる。第3号の98%は女性で、事実上「サラリーマンの妻」の優遇制度だ。

 年収130万円を超えると、国民年金・国保に加入して保険料を負担するが、給付は増えない。そこで130万円を超えないよう働く時間を抑える誘因が働く。これが「130万円の壁」だ。

 就業調整は、女性の就労を抑制し、人手不足を深刻化させる。政府は対応策として、パート勤務者が被用者保険に加入しやすくなるよう、16年から適用要件の拡大を進めている。

 国民年金・国保でなく、被用者保険に加入できれば、パート勤務者のメリットが大きいからだ。保険料は会社と折半で負担が軽減され、基礎年金に上乗せされる厚生年金の受給や、健康保険の傷病手当金など給付も充実する。

 現在、従業員数101人以上の企業の勤務者で、所定労働時間週20時間以上▽月額賃金8万8000円以上(年換算約106万円)▽雇用期間2カ月超見込み▽学生でない――の要件を満たすと、被用者保険の加入を義務付ける。24年10月には企業規模を「同51人以上」に広げる。

 適用拡大は、国民年金・国保の加入者となる前に、被用者保険への加入を促して「130万円の壁」を解消する効果がある。だが「手取り減」という負担だけが注目され、「106万円」は「新たな壁」と意識されるようになった。

2023年10月9日 毎日新聞「岸田政権『年収の壁対策』パート主婦保険料は誰が負担?」

「130万円の壁」は保険料負担が発生するが、保障は扶養に入っている時と変わらないので、「壁」であり、この壁を解消するための対応策が、パート主婦等の短時間労働者を、保障の手厚い被用者保険の加入対象とする「適用拡大」である、ということがきちんと説明されています。

そして、新たな壁として意識されるようになる「106万円の壁」については、メディアやSNSで発信されている情報が誤解を生み、就業調整を招いていると、述べています。

「年金の壁」を生む社会保険の制度は複雑だが、メディアやネット交流サービス(SNS)では「壁を超えたら損をする」という情報がまん延し、思い込みで就業調整が行われている面もある。

2023年10月9日 毎日新聞「岸田政権『年収の壁対策』パート主婦保険料は誰が負担?」

私が見る限り、テレビが「年収の壁」について発信する内容は、依然として、130万円と106万円の違いや、被用者保険に加入することのメリットについて正しく説明しているものがないように思います。

テレビの方でも、正しい情報発信をして欲しいものですね。

第3号被保険者制度はおトクな制度ではない

ところで、上で引用した毎日新聞の記事は大変良いのですが、「公的年金保険のミカタ」的には、まだ、引っかかる部分があるのです。それは、最初に引用した文章の以下の部分です。

 だが、会社員の配偶者は年収130万円未満なら、扶養家族として健康保険に保険料なしで加入でき、公的年金は「国民年金第3号被保険者」として保険料なしで基礎年金が受給できる。第3号の98%は女性で、事実上「サラリーマンの妻」の優遇制度だ。

2023年10月9日 毎日新聞「岸田政権『年収の壁対策』パート主婦保険料は誰が負担?」

せっかく、「被用者保険に加入することによって保障が手厚くなる」と言っているのに、最低限の保障しかない第3号被保険者を「優遇」されているというのは、矛盾していると思います。

このように、メディアが「第3号被保険者は優遇されている」と言うことが、パート主婦が第3号にとどまるインセンティブを与えているのではないでしょうか。

第3号被保険者の保障は最低限のもので、決して優遇されているとか、おトクだとかいうものではありません。

働く意欲があり、働く時間を延ばすことができるならば、わざわざ就業調整して第3号にとどまるのではなく、より長く働き、収入を増やし、それに見合った保障で生活のリスクに備えるという方が、夫婦世帯の経済的安定性を高めるものだと私は思います。

また、冒頭で紹介した2つの記事の後半の方には、次のように述べられている部分があります。

厚生年金・健康保険は加入にメリットがあり、政府はその適用要件を拡大している。企業規模の要件は、22年10月に「501人以上」から現在の「101人以上」に広げ、24年10月には「51人以上」にする。
将来、企業規模要件が撤廃され、最低賃金が時給1016円になれば「130万円の壁」はなくなる。週20時間以上働けば月賃金8万8000円に達し、全員が厚生年金・健康保険に加入することになるためだ。
それでも、育児や介護、健康上の理由などさまざまな事情から、働く時間を抑えて夫の扶養にとどまりたい人はいるだろう。

2023年10月16日 毎日新聞「社会保険106万円の壁で『残業できません』の大誤解」

文章の前半では、被用者保険に加入するメリットについて述べていますが、最後の文章には少々違和感を感じます。なぜなら、さまざまな事情があっても、わざわざ働く時間を抑えて扶養にとどまる必要はないからです。

本来は、以下のような文章にするべきだと思います。

育児や介護、健康上の理由などさまざまな事情から、働く時間を延ばせない人は、夫の扶養にとどまり、第3号被保険者として最低限の保障を受けることになる。これが、今の時代にあった第3号被保険者制度のあり方ではないだろうか。

第3号被保険者制度は、昭和の夫婦世帯を基にした時代遅れの制度なので廃止するべきという論考ばかりが目立ちますが、単純に廃止しろと言うのではなく、今の時代に合った制度の活用を促していくような情報発信をメディアや有識者に望みたいと思います。

「106万円の壁」から「20時間の壁」へ

話を元の記事に戻すと、記事では「3号にとどまりたい」人に対して、106万円という年収の基準について、正しく理解してもらうよう、以下のような解説をしています。

 年換算106万円の元となる「月8万8000円」は、給与のうち支払額があらかじめ決まっている所定内賃金だ。これは雇用契約時に決まり、労働契約書に記載される。

 所定内賃金は「基本給+諸手当」からなるが、この諸手当には精皆勤手当、通勤手当、家族手当を含まない。もちろん所定外賃金にあたる「時間外手当、休日手当、深夜手当」や賞与も含まない。

 通常、給与所得者の年収とは「すべての給与収入」を指す。つまり「106万円」は年収の基準ではない。

 ところが「年収の壁」という言い方から、それを年収の基準だという思い込みが広がっている。パート勤務者の多い小売り・飲食業では、年末が近づくと「年収106万円を超えたくない」とパート主婦が残業を控えて人手不足に陥ることが恒例化している。

 実際は、残業は適用条件と無関係で、こうした就業調整は意味がない。

2023年10月16日 毎日新聞「社会保険106万円の壁で『残業できません』の大誤解」

壁と言われる「106万円」という年収は、元は月収8.8万円と定められているもので、その月収は雇用契約で定められている所定内賃金で、残業代は含まれません。したがって、年末に残業を控えることは意味がない、と述べています。

しかし、このように賃金の金額を基準に壁を論ずることも、これからは誤解を招くことになりかねません。なぜなら、最低賃金が上昇していくと、壁になるのは賃金の額ではなく、労働時間になるからです。

もう一度、適用拡大による被用者保険の加入要件を確認してみましょう。要件は以下の4つです。

  • 週の所定労働時間が20時間以上であること

  • 所定内賃金が月額8.8万円以上であること

  • 学生でないこと

  • 2カ月を超えて使用される見込み

したがって、時給が1,500円で週15時間働くと、賃金の月額は、97,500円(=1,500×15×52÷12、1年=52週として計算)となり、賃金の要件は満たしますが、労働時間の要件を満たさないので、被用者保険の加入要件は満たさないことになります。

最低賃金が、1,016円以上だと、週20時間働くと、賃金の月額は、88,000円を超えるので、加入要件の可否は、労働時間によって決まることになります。

東京など6都府県では、最低賃金が1,016円を超えています。いずれ、すべての都道府県の最低賃金が1,016円を超えれば、「106万円の壁」は意味がなくなり、今度は、週の労働時間「20時間の壁」という問題になります。

ちなみに、労働時間の要件も、雇用契約や就業規則で定められた所定労働時間を基準にしており、残業は含めないことになっています。

会社都合による就業調整とは

そこで、記事ではもう1つ重要な指摘をしています。

 リクルートワークス研究所は、日本の働き方の実態を把握するため、16年から、同一の個人を毎年追跡調査する「全国就業実態パネル調査」を実施している。対象約5万人の大規模調査で、政策や研究に広く活用されている。

 北海道大学の安部由起子教授(労働経済学)はこの調査を使い、パート主婦の働き方の変化を分析した。15年末にパートで働いていた女性3704人の6年後を追跡すると、56%はパートを続け、年収130万円未満が45%を占めていた。「年収の壁」を脱して収入を増やす人は少ないと確認できた。

 だが「労働時間を増やしたいが、それができない」というパート主婦について、理由を分析すると、「年収の壁」による手取り減など「社会制度」は10%程度にとどまり、「勤務制度など会社都合」が30%程度にのぼった。

 つまり、パート主婦が勤務時間や年収を増やすことを会社が阻んでいるという要因も大きい。会社が社会保険料負担を回避するため、パート主婦の勤務時間を調整していることがうかがえる。

2023年10月16日 毎日新聞「社会保険106万円の壁で『残業できません』の大誤解」

上の記事で、最後に述べられていることは、どういうことなのでしょうか。

これは、会社の勤務制度を以下のようにしているところが、相当数あるのではないかということです。例えば、私の知り合いがパートで働いている某上場企業では、パートの勤務制度は、次の2つのいずれかを選ぶことになっています。

  1.  1日の労働時間6.5時間、週3日勤務(週の労働時間19.5時間)

  2.  1日の労働時間8時間、週5日勤務(週の労働時間40時間)

この企業は上場企業ですから、従業員数はゆうに100人を超えていて、適用拡大の対象事業所となっています。しかし、1の勤務制度で働くパート労働者は、労働時間の要件を満たさないので、被用者保険の対象外となり、2の勤務制度で働くパート(といっても実質的にはフルタイムで働いていますが)だけが、被用者保険の対象となるわけです。

これは、基本的にはパートの保険料負担を避けたい会社の思惑によるもので、保険料負担するならば、いっそフルタイムで働いてもらおうという事なのでしょう。

しかし、育児や介護などの事情で、フルタイムで働けない人は、1を選ばざるを得ません。そして、1を選ぶと、適用拡大における労働時間の要件は、残業を含まないものであると説明しましたが、残業が恒常的に発生して、実態として1日7時間の勤務(すなわち、週21時間)となっている場合には、年金事務所から加入させるように指導が入る可能性があります。

年金機構が公表している「短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用拡大Q&A集(その2)(令和4年 10 月施行分)」には、就業規則や雇用契約書等で定められた所定労働時間が実態と異なる場合の取扱いとして、以下のように定められています。

会社は、実際の労働時間が恒常的に週20時間以上となり、被用者保険の加入義務が生じないように、パートの労働時間が契約通りの時間内に収めるようにする必要があり、それが会社都合による就業調整が行われていることになるのでしょう。

会社都合による就業調整が一定程度行われているという事実は、労働政策研究・研修機構(JILPT)による「社会保険の適用拡大への対応状況等に関する調査」のデータからも、うかがうことができます。

「社会保険の適用拡大への対応状況等に関する調査」(労働政策研究・研修機構)より

労働時間を短縮して、被用者保険の加入を回避した者の理由のひとつに「育児や介護、病気等の事情で)働く時間を増やせないから」というのがあります。

これは、先程例として挙げた企業のような勤務制度を、適用拡大の対象事業所となることをきっかけに、導入しているところがあるということではないでしょうか。

そして、勤務制度の変更によって、これまで、例えば、週25時間で働いていた人が、週19.5時間か週40時間のいずれかを選択しなければならなくなり、週40時間は無理なので、週19.5時間を選択したということが推測されます。これも会社都合による就業調整といえるでしょう。

パート従業員が、週19.5時間か週40時間のいずれかを選ばないといけない会社の勤務制度は、働き方の選択肢を狭め、結果として就業調整を招いているものです。

働く側と雇用する側にとって、真に中立な制度とすることが必要です。

適用拡大から勤労者皆保険へ

適用拡大を進めることによって、週20時間以上の労働者は被用者保険によるセーフティネットでカバーされることになるので、次は、週20時間未満の労働者を被用者保険に取り込む、被用者皆保険をいかに実現するかということが課題となります。

これについては、年金部会において、権丈善一教授(慶應大学商学部)が「厚生年金ハーフ」という案を唱え、是枝俊悟氏(大和総研)は「1.5号/2.5号被保険者制度」という案を唱えています。

これらの案については、今後、年金部会においてさらに議論がなされるものと思われますが、共通している点は、いずれも、週20時間未満の労働者に対して、保険料の事業主負担を課していくということです

そうすることによって、企業が、保険料負担を回避するためにパートの労働時間を週20時間未満に抑えるインセンティブがなくなり、パート労働者は、働きたいだけ働けることになるでしょう。

これは、岸田首相が政務調査会長時代に取りまとめた「勤労者皆社会保険制度」でも謳われているものなのです。

社会保険の適用拡大:「勤労者皆社会保険制度(仮称)」の実現
「勤労者皆社会保険制度(仮称)」により、いかなる雇用形態であっても、企業で働く方は全員、社会保険に加入できるようにして、充実した社会保障を受けられるようにする。その際、所得の低い勤労者の保険料は免除・軽減しつつも、事業主負担は維持すること等で、企業が事業主負担を回避するために生じる「見えない壁」を壊しつつ、社会保険の中で助け合いを強化する。

2018年5月29日 人生100年時代を生きる将来世代の未来を見据えて これまでの議論のとりまとめ

ちなみに、この勤労者皆社会保険制度は、権丈教授が昔から唱えていた厚生年金ハーフと同じものなんですね。

以上、久しぶりの投稿で、長めになってしまいましたが、年収の壁、第3号被保険者制度、適用拡大、そして勤労者皆保険について、皆さんの理解が深まれば幸いです。

それでは、次はまた、いつになるか分かりませんが、皆さんごきげんよう!

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