【軽貨物】3話。地元の先輩の会社に完全にコネだけで入ったのに退職した話。
当時、30歳手前の僕は独身。
無職で実家にいた。
5年間やっていた仕事を辞め、何もやる気にならずテキトーに食い繋いで生きていた。
実家だったし、その日暮らしをしていた。
お金はなくても、遊んでくれる友達や先輩がいたので暇ではなかった。
なにより前職で5年ほどやっていた仕事が凄くハードな仕事だったので、友達とも疎遠になっていた分久しぶりに遊び回っていた。
しかし、いつまでも働かないわけにはいかない。なによりお金がない。
そんな時、先輩がSNSで夜勤のバイトを募集していた。駅の中が現場らしい。
終電で行って、始発で帰ってくる。3〜4時間で15000円とかだったように記憶している。
その労働時間で、15000円なら割りが良い。
そう思って連絡を取ってみた。
『駅のバイトって募集してますか?』
『それもう終わっちゃった。』
『え?終わっちゃいました?』
『お前今何やってるの?』
『ニートですよ。』
『だったらうちで昼間働けよ。』
『どういう仕事ですか?』
『便利屋』
予想外の言葉だった。
バイトを探していたら、働かないかという話になった。
後日、詳しい話を聞きに行った。
久しぶりに会った先輩は、便利屋の代表をやっていた。詳しく話を聞くと、なかなかクレイジーな内容だった。でも、面白そうだった。
バイト探していたけど、正社員で働けるし、お金ないし、やろう。
普通はあり得ない。いくら昔から知っているとはいえこんな簡単に決まる事はあまりない。
感謝です。運はいい方です。昔から。
仕事を始めると、ロープの結び方から教わった。南京結び。この結び方だと外れない。
いまだに結べますね。
他にも手取り足取り教わった。
1ヶ月ほどで1人で現場を回るようになった。大きな現場を経験することも増えてきた。
ゴミ屋敷の片付けと引越しのセットの現場はいまだに覚えている。
生きてきた中で、あれだけの数のゴキちゃんいっぺんに見たのは後にも先にもこの時だけ。
一匹くらいならなんともないが、恐らく100匹近くいたと思う。普通に怖い。
殺虫剤を撒き、ギャーギャー言いながら3人で作業した。
引越しもセットだったので、荷物に紛れたゴキちゃんも一緒に新居に引っ越しを終えた。
こんな事が割と日常茶飯事だった。
周りのスタッフにも恵まれ、仕事が終わればよくみんなで居酒屋に行き、みんなでよくお酒を飲んだ。楽しかった。いい思い出です。
時が経つのは早いもので、気がつけば4年目だった。
この年に貯金が無くなった。
ここでの給料形態は基本給➕インセンティブだった。
インセンティブがないとキツいという感じ。
当時の感覚で、同業者が増えていたような気がする。お客さんは安い方に頼みたい人が多い。見積もりが決まらない。
インセンティブがつかない日々が続いていた。
思う様な収入が得られなくなっていた。
えーと、言い訳です。今もやられているスタッフがいるので言い訳です。
でも、稼がないと飯は食えません。
家族を養えません。
なにより、貯金が無くなったので家賃が払えません。産まれてくる第二子が普通分娩じゃなくて、帝王切開だったら手術費払えません。
会社で話し合いになった。
『軽貨物の仕事をしようと思っている。』
僕の言い分、会社の言い分、話はまとまらず平行線のまま。会社からしたらスタッフが1人いなくなるのはたしかに痛手だと思う。
こうも言われた。
『歩合の仕事は大変だよ』
『安定しないよ』
『本当に上手くいくの?』
何か新しい事を始める時、チャレンジする時、必ず反対する人が出てくる。
それはどんなに近く、親しい関係でも必ずつきまとうもの。仕方ない。
それでもやりたいからやります。
後日、直接話して承諾をもらった。
退社が決まった。
普通に就職活動をして、入社した訳ではない。
完全にコネだけで快く招き入れて頂いて、ニートの僕に仕事を教えてくれた。
収入を得て、結婚することもできた。
子供を授かり、ここまで育てられたのはこの会社のお陰です。
感謝しかありませんよ。本当に。
こうして、4年間働いた便利屋を辞め、僕は軽貨物ドライバーとしての一歩を踏み出しました。
つづく
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