見出し画像

遠近法(Perspectives)

 この前投稿してから二週間になります。前々回の投稿から数えると、二ヵ月近く、二冊の原書読みと格闘していたことになります。結果としては、どちらもボツ。編集者サイドからボツになったというより、翻訳者と編集者の合意の上で。
 まさに骨折り損のくたびれ儲け、ですね。でも、こんな仕事を三十年以上もやってきたのです。人生そのものが、骨折り損とは申し上げませんが。
 心機一転、話題を変えましょう。
 今の仕事の中心がトリスタン・ガルシアの『7』(Tristan Garcia : 7, Éd. Gallimard, 2015)という大長編小説であることは何度か触れました。それと並行して進めているのが、ローラン・ビネの四作目の小説『遠近法』(Laurent Binet : Perspective (s) , Éd. Grasset, 2023)です。
 今、並行して、と言いましたが、『7』が長い上にとても手間暇のかかる翻訳なので、なかなか『遠近法』にまで手が回らないのが実際のところです。
 でも、とてもおもしろい小説です。このおもしろいは、もちろん小説として興味深く刺激の多い作品だという意味ですが、いつものようにビネさんは、いろんな仕掛けを持ち込んで読者を楽しませようとする人ですから、トリッキーでおもしろいという意味も含まれています。
 原書の帯は、「書簡体歴史ミステリ」と謳っています。
 そう、ずばり書簡体小説です。そして謎解き小説、すなわち推理小説です。
 では、いつの時代が舞台か。
 ルネサンスです。正確に言えば、後期ルネサンス、すなわち、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロに代表される盛期ルネサンスと呼ばれる時代が過ぎたあとの、美術史ではマニエリスムと呼ばれる時代が舞台です。
 晩年を迎えたミケランジェロはフィレンツェを去ってローマに移り、あのシスティーナ礼拝堂の壮大な壁画と格闘している。
 一五五六年の大晦日の夜、そのミケランジェロを師と仰ぐポントルモが、ローマから遠く離れたフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂で壁画の制作中に、何者かの手によって無惨にも、撲殺、刺殺された。
 さぁ、犯人は誰だ?
 本書には、二十人以上の歴史上実在の人物が、書簡の書き手として登場します。ミケランジェロとその伝記を書いたヴァザーリは、この事件に関して、何度も書簡を交わします。
 ほかにも、フィレンツェを支配するメディチ家からフランス王アンリ二世のもとに嫁いだカテリーナ・デ・メディチ、画家の同業者、聖職者などが書簡を交わし、読者に犯人探しのヒントを提示すると同時に、その時代の背景となる教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の最後の抗争でもあるイタリア戦争を浮かび上がらせるという構図になっています。
 ポントルモはマニエリスムを代表する画家として有名ですが、言うまでもなくマニエリスムという言葉自体、二十世紀の美術家が発明した概念ですから、この時代の画家が自分をマニエリストだと自覚しているわけもありません。そして、多くの美術史家が指摘していることですが、あの盛期ルネサンスを代表する「神の如きミケランジェロ」(建築家にして伝記作家のヴァザーリの命名)こそがマニエリスムの先駆者だとされています。
 問題はタイトルですね。
 Perspective という単語を辞書で引くと、様々な訳語が並んでいます。
 予想、見通し、視野、観点、見晴らし、眺望……。そして、言うまでもなく美術用語としては遠近法。
 ここではとりあえず、「遠近法」と訳しておきましたが、原著のタイトルには、ご覧のように(s)と、複数形をおまけにつけています。この複数形を重視するなら、観点とか視点ということになるでしょう。書簡の形で、多くの人が各自の「観点」を語っているからです。
 それはともかく、個人的なことを言わせてもらえば、学生時代からイタリアの中世からルネッサンスにかけての本が大好きで、やたらにあちこち読み漁ったものです。
 でも、その話をしだすときりがないので、次回以降に回すことにしましょう。今日のところは、とりあえずこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?