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「自由」の意味を問う!ー福澤諭吉が鳴らした警鐘と「権理」の意味


●「権利」ではなく「権理」

フランスのバカロレア試験(大学の入学資格を得るための統一国家試験)では「自由の意味」を問う出題が見られるが、”自由”と”独立”をセットで捉える認識が我が国の戦後教育には欠落している(以下、「自由独立」と表記)。

福沢諭吉は『学問ノススメ』で、Rightを「権利」と訳すと、「必ず未来に禍根を残す」と警告し、Rightを「権理通義」すなわち「権義」とし、「権理」と訳した。
いま、「自由独立」という「自由の意味」も「権理」の意味も見失っているのではないかと思えてならない。

「通義」とは「義に通ずる」「道理」という意味である。
Rightには道徳的に正しいという意味が込められており、「道理」に基づいて行動することを「正義」イコール「通義」と把えたのである。

つまり、Rightは道徳的裏付けがあって成り立つものである。
子供の権利や人権、道徳を歪める或いは否定する立場から「性的自己決定権」などと主張する人々が一部いるが、「必ず未来に禍根を残す」と警告した福沢の指摘に耳を傾ける必要がある。

「世界人権宣言」作成の際にユネスコから意見を求められたワシントン大学のライエン政治学部長は、人権は「人間の尊厳を支える基石であり、自己管理(self-management)、自由をもたらす本質である」と指摘した。

”自由”と”独立”をセットで捉えて、自己を制御できる独立心に裏付けられて初めて「真の自由」を得るという「自由独立」を福沢諭吉は説いたのである。
フランスのバカロレア試験はこの「自由独立」の視点から「自由の意味」を問うている。

自由には市民的自由と精神的・道徳的自由の二つの意味があり、人間が自己の欲望を抑えることができる理性に立ち、自律的に自己抑制して行動する時にのみ自由は権利として認められるというのが本来の「自由権」の思想だ。

それ故に、子供たちは道徳的自由という真の自由に向かって鍛えられなければならないのである。

●「性自認」と「自由権」

「自由」ということについて、最近何かとニュースで目にするのが「性自認」の内容である。
自分の「性自認」によって、「性別」を子供が決める権利があると主張する人々は、この本来の「自由権」の思想をはき違えているのである。

ドイツの哲学者のカントは『実践理性批判』において、「道徳は自律と自由の上に成立する」と喝破したが、こうした観点から、「自由」の意味について根本的に見直す必要がある。

●「日本的ウェルビーイング」の二面性

「自由独立」について、ここで「ウェルビーイング」という視点からも考えてみたい。

バランスと調和を重視する「日本的ウェルビーイング」教育とは、公平なシステム、多様な生き方を認め、様々な人と繋がる「独立性」と他者の幸せを考えて人と協調する「協調性」という、二つの自己意識が二階建てになっており、「多様性のある協調性」が特色といえる。

「多様性のある協調性」の観点からLGBT理解増進法について考えると、LGBT当事者との調和とバランスを図る要がある。

子供と親、学校と教師の「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」(第4次教育振興基本計画の基本理念)を図るという観点から、LGBT理解増進法の基本計画・ガイドラインを作成する必要がある。

先天的な性別の共通性と後天的なジェンダーの多様性の調和とバランスを図ることが最大のポイントだ。
脳科学、生命誌、幸福学、ウェルビーイングなどの最新の科学的知見を持った有識者からヒアリングを行い、科学的知見に基づくLGBT理解増進法の「多様性のある協調性」の推進を期待したい。

●「侵略されたら逃げる」大学生が72%

ところで、有志の学生によって行われたアンケート調査について、その結果を教えてもらう機会があった。
「自国が侵略されたら戦うか」(母数は100人程度)の質問に対して、72%が「逃げる」突然、12%が「戦う」、17%が「受け入れる」と答えた衝撃的な結果を私たちは一体どのように受け止めればいいのであろうか。

かつて中曾根政権下の教育審議会の岡本道雄会長(京都大学総長)が「21世紀の教育理念」についてアドバイスを求めた田中美知太郎(同大教授でソクラテス・プラトン研究の第一人者)は、「自由の意味」について、次のように指摘した。

<「自由」ということの最も基本的な意味は、自分たちが住んでいる国家が他国によって支配されないということ、それが自由の根本的な意味なんです。かのペルシャ戦争においてギリシャ側が決定的な勝利を得たサラミス海戦で、テミストクレスという人が掲げた合言葉、日本海海戦における「皇国の興廃この一戦にあり」というふうな仕方で一般に受け取られた言葉は何かというと、「行きて祖国の自由を守れ、汝の妻や子の自由を守れ」>という合言葉だったんです。(中略)他国によって侵害されない、征服されないというその事実、それが「自由」という言葉の根本的な意味です。自由独立ということ、これが「自由」の基本的な意味です。>

『人間であること』文春学藝ライブラリー,2018年所収

今まさにウクライナがロシアと戦っている戦争は、「皇国の興廃この一戦にあり」の覚悟であり、ロシアからの侵略を国民が一丸となって守っている「自由独立」のための戦いに他ならない。

憲法前文に「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した…日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と明記した日本の大学生が他国に侵略されても「自由独立」のために戦わないのは戦後教育の当然の帰結といえる。

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