ウェルビーイングの三つの視点と持続可能な福祉社会

 1月25日付note拙稿で紹介した中島隆博編『人の資本主義』(東大出版会)において、廣井良典京大教授は、持続可能な福祉社会とは「環境の持続可能性」と「分配の公正」を共に成り立たせる社会であると指摘している。

●持続可能な福祉社会と「地球倫理」
 持続可能な福祉社会は、ローカルレベルの経済指標から出発して、ナショナル、グローバルへと積み上げていく社会のあり様である。グローバル経済がまずあって、ナショナル、ローカルと下りてくるという発想ではなく、まずローカルがあって、ナショナル、グローバルへと発展していくということである。
 換言すれば、資本主義と社会主義とエコロジーの融合、あるいは、市場・経済・コミュニティのある種の最適な組み合わせとも言える。日本では人口20万、30万の地方都市に行くとほぼシャッター通りが普通になってしまっているが、ドイツの地方都市は中心部が非常ににぎわっていて、歩行者中心の福祉的、コミュニティ的な空間であると同時に環境のパフォーマンスもいいという。
 最近注目されている岐阜県石徹白(いとしろ)地区では、Uターン組の若者が小水力発電を中心とした地域再生に取り組んでいて、地域内の電力自給を数年前に実現した。東京の外資系企業でバリバリのグローバルな経済の仕事をしていた方が、ローカルなレベルで対応することが、結局はグローバルな問題解決につながることにに気づき活動した結果である。
 グローバルな問題も結局は資源の争いやエネルギーの奪い合いであるから、ローカルのレベルから食料やエネルギーの自給を図っていかないといけないと思うようになったのだという。
 人口学者のヴォルフガング・ルッツは、「20世紀が人口増加の世紀一6憶から61憶まで増加した一だったとすれば、21世紀は世界人口の増加の終焉と人口高齢化の世紀となるだろう」と指摘している。
 21世紀後半に向けて世界は高齢化が高度に進み、人口や資源消費も均衡化するような、ある定常点に向かいつつあり、持続可能なグローバル定常型社会、ポスト成長社会への移行期といえる。
 拡大・成長の時代は資源や土地やエネルギーの取り合いになって戦争が起き、20世紀は人口が最も増加した時代であるが、戦争の死者も最も多かった。人類史的に見るとかなり大きなせめぎ合い、曲がり角の局面を迎えており、廣井教授が提唱している「地球倫理」が時代の要請といえる。

●ウェルビーイングを支える「ゆらぎ・ゆだね・ゆとり」
 ところで、早稲田大学文学学術院のドミニク・チェン教授は、渡邊淳司との共著『ウェルビーイングのつくりかた』(BNN)において、ウェルビーイングをデザインする視点として、”わたし”と"わたしたち”を繋ぐための原理的なデザイン要素を3つ提案している。
 まず第一は、対象となる個々の”わたし”たちそれぞれにとって適切な、望ましい変化は何かを見定めること(ゆらぎ)。第二は、個々の”わたし”たちにとって望ましい自律性のレベルを見極めること(ゆだね)。第三は、ウェルビーイングを達成するという目的を設定せずに、行為の経験そのものが価値として感じられること(ゆとり)。この三つの価値は互いに重なり合う価値も含んでおり、同時に考慮すべきものである。

●適切な変化を見定める:「ゆらぎ」
  チェンによれば、人や生き物は固定されている存在ではなく、常に揺らぎ変化する存在であり、ウェルビーイングをデザインする上でも、対象者がその時にどのような状態であるかを踏まえて、丁度良いタイミングと内容で支援が提供される必要がある。
 「揺らぎ」に注目するということは、個々の”わたし”と同時に”わたしたち”という協働性の適時性と固有性を捉えながら、ウェルビーイングの生成や維持を支援するということである。適時性と固有性を固定的に捉えるのではなく、それ自体がゆらいでいくものとして捉える視点が重要である。
 一人ひとりのウェルビーイングのかたちが重なり合うことで、”わたしたち”のウェルビーイングを形成するにはどのような「ゆらぎ」が必要かを問うことが求められる。
 そして、”わたしたち”のレベルにおけるゆらぎを考えることは、複数人からなるグループや組織の在り方(ルールや約束事など)が、その時々の”わたしたち”の適時性と固有性に基づきながら、個々人のゆらぎと協調する形で変化していけるのかという点にかかっている。

●他律と自律の望ましいバランス:「ゆだね」
 多くのウェルビーイングの要因の中で、「誰かのウェルビーイングの実現を支援する」という姿勢に根本的な影響を与える要因が自律性である。自身で気づき、自分の意思や行動によってウェルビーイングを実現するという自律性の要因は、外部から体験が与えられることと相容れない場合がある。
 誰かのウェルビーイングを支援しようとすることが、支援される人の自律性を損なう結果にもなり得るということである。ウェルビーイングの支援では、当人の意思を尊重する、複数の選択肢を提示するなど、自律性を担保することがとても重要な原理となる。自律性を尊重しながら、どれだけ、どのように、他者にゆだねられるのかが適切なのかを探ることが重要になる。
 適切なゆだねを考える上では、自律と他律の順番が重要で、まず個人としての望ましい自律のレベルを見定め、その上で他者にゆだねられることを探すこと。自ら望んで他者にゆだねられる状況を見つけられれば、責任や負荷の分散であったり、連帯感や心理的安全性、安心の醸成などを生み出せる。
 他者にゆだねられるように意識が変化する「ゆらぎ」、気持ちよくゆだねられるプロセスとしての「ゆとり」を考えることにもつながる。何より、学習には自律的に失敗する自由を担保することも重要である。時と場合によっては、初心者が自ら望んで挑戦したいことを認めて、失敗の過程から当事者としての気づきを獲得することのほうが大事なケースもある。

●目的ではなく経験そのものの価値:「ゆとり」
 ウェルビーイングの実現を支援するといっても、現在を未来のための道具として捉えるのではなく、環境や周囲の人々との関係の中で、現在のプロセス自体に喜びや楽しみを見出せるようにすること、そして、ある現象の存在自体を価値とする内在的価値の視点から現在を捉えられるようにする必要がある。
 過程自体に価値を見出し、そこから本来の目標をいつまでも柔軟に再設定できるためのゆとりを生み出す設計が大切になる。互いの異なるプロセスに対する価値観の違いを知り、それを互いに我慢するのではなく、積極的に受け容れるという意識も求められる。自分は変わらないままで相手を変えようとするのではなく、自分も他者の「共に変容(co-becoming)」する「揺らぎ」の概念がここにも関係してくる。
 自律性(ゆだね)とプロセスの価値(ゆとり)、そしてそれぞれの人に固有のタイミングと文脈(ゆらぎ)に基づいて設計された体験によって、ウェルビーイングを生み出す支援が可能になったとしても、最終的にはそれが一時的なものではなく、当人によって持続される必要がある。
 


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