岡潔「日本の教育への提言」⑵

「何も知らないのに」(1970年5月3日、豊島公民館での講演要旨)


 私は何としても、日本の滅亡を食い止めたい。それ以外何も思っていません。それについて一番基礎からお話ししたい。何も知らないのに動き回ることはますます危ない。

●不生不滅な「物質というものは無い」
 湯川秀樹氏の共著『素粒子論』(岩波新書)によれば、物質の基になっている素粒子には、安定した素粒子群と不安定な素粒子群があり、前者は100分の1秒、後者は100億分の1秒の短命である。この素粒子が生まれて来ては消えていく物質であることが発見されたのは1912年である。
 物質という不生不滅なものがあるという常識が破られたのです。物質という不生不滅のものはないということが分かったのです。「物質というものは無い」のです。それなのに、「唯物主義」に未だに反省を加えていない。
 理性は働かそうと思わなければ、つまり自分がスイッチを押さなければ輝かない電灯のようなものであり、理性がかような頼りないものであるということは知っておくべきです。
 欧米の学問思想は全て自然が存在するという基礎の上に成り立っている。しかも時間・空間という箱の中に入ってしまっている。箱を作ったが、底が抜けてしまっており、おもちゃ箱をひっくり返したようなものですね。
 この箱を調べてみると、時間と空間があり、時間というのは、点のぎっしり詰まった直線のようなものであり、空間と同一性質であって、時間のぎっしり詰まっている点は「実数の全体」という言葉で言い表せますね。時間の基は実数の全体。時間・空間というものが存在することは証明できない。

●大脳前頭葉・頭頂葉に宿る二つの心
 これを東洋では、「」という。山﨑弁栄上人は「自然は映像」であって存在ではない、と説いている。映像の内容は一時的な刹那消滅で、形だけが連続している。東洋の先覚者が言ってることに耳を傾けないで、おもちゃ箱をひっくり返した西洋の学問・芸術に飛びつくのは馬鹿だ。人類は今、滅びようとしているのに。
 人には心が二つあります。大脳生理学の時実利彦先生の『脳の話』(岩波新書)によれば、第一の心は大脳前頭葉に宿っている。この心は私というものを入れなければ動かない。私というボタンを押さなきゃ理性という灯はつかない。この第一の心の分かり方は必ず意識を通す。ギリシャ人や欧米人はこの第一の心しか知らないのだと思う。
 東洋人は第二の心のあることを知っています。この心は大脳頭頂葉に宿っている。この心は「無私」です。この心のわかり方は意識なんか通さないで直にわかる。この心のあることを知っている者を東洋人といい、知らない者を西洋人というのです。それが定義です。(笑)笑いどころじゃありません‼だから人類は滅びそうになっている‼
 西洋人の大脳生理と東洋人の大脳生理とは全く違うもので、欧米の模倣を近代日本においてすることを、なぜ日本の文化というのか、少し反省してみよう。終戦後はまるで腑抜けです。ちーとこういう所を反省することから始めめたら良い。
 私も欧米人の数学をやったというので文化勲章を受けた。何という馬鹿な(笑)やる者もやる者だけど、そんな者に文化勲章をくれる者もくれる者だ(笑)実際、ろくなのおらん(笑)これじゃ日本滅びそうだって当然でしょう。

●意識を通さない第二の心=「情緒」
 ところで、日本人は第二の心の中で住んでいる。日本人は深い友情というものを知っている。深い友情は意識を通さないでわかる。私の伯父の友人の中学校の先生が歌を詠んだ。
 向かわずば淋し 向かえば笑まりけり
 桜よ春のわがおもひ妻
 夫婦の情愛も桜を思う心も意識を通していない。直にわかる。で、第二の心がわかる。秋風が吹けば物悲しいでしょう。芭蕉は「もの言わぬ子も涙にて」と言っている。これも第二の心で、時雨が降れば懐かしいという。これも第二の心で直にわかるんですね。こういうのを「情緒」というんです。日本人は情緒の中に住んでいる。そして時々、喜怒哀楽・意欲・理性などを使うだけです。
 第二の心だけが常に存在する。これを「五蘊皆空 唯有識心」あるいは「万法唯心」という。山﨑上人は「物質は第二の心から生まれ出て、またそこへ帰るのだ」「自然は映像である。物質の古里は第二の心の世界である」という。
 第二の心には「無差別智」という智力が働く。それは四種類あり、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智です。そのうち大円鏡智という智力を使い、「現在・過去・未来は現在の一位に住し」、すなわち、過去・未来も現在の一点にあることを明らかにした。
 山﨑上人に自然科学全書を渡したところ、上人はその字引の背革のところを左手で持って。その反対の腹のところ、頁がむき出しになっているところへ右手の親指を当てて、頁をピーと弾いた。「お上人、一体何をなさったのです」と尋ねると、「はい、これですっかりわかりました」とお答えになった。それでその内容につて色々と質問したところ、悉く字引通りにスラスラとお答えになったというのです。
 全く驚きいった離れ技で、人類の滅亡を救うために天はかような物凄い神を、大円鏡智を持った神を生まれさせたのだと思う。山﨑上人は「光明主義を残して置かなかったら、今に日本は大変なことになる」と言われた。

●道徳と「真我(本当の自分)」
 第二の心の、頭頂葉の部分には大円鏡智が、後頭葉の部分には妙観察智が、側頭葉の部分には成所作智が、前頭葉の部分には平等性智が働いている。一方、理性は、私がボタンを押さなければ光らない邪性と時間・空間の中でしか働かない妄性という二つの穢れを持つ。カントはそのいい例だという。人類はあるものをないと思い、ないものをあると思う、完全な逆立ちの姿において、猪突猛進している。
 真善美の道徳は全て第二の心で、第二の心の内容が真善美でしょう。欧米は真を学問といい、美を芸術と言い、学問・芸術を文化と言っているが、善抜き、道徳抜きです。道徳的であるためには、何をおいても先ず無私でなければならんでしょう。ところが、このことが分かったギリシャ人も欧米人もいないのです。
 第二の心が「本当の自分」ですね。仏教ではこれを「真我」という。ところが、人は五尺の体と第一の心とを自分だと思う。これを「小我」という。この第二の心は「不一不二」の世界で、自分と自然、他人の関係も同様である。この人本然の姿に目覚めたら、花を見れば花がほほ笑みかけていると思い、鳥の声を聞けば鳥が話しかけていると思い、他が喜んでおれば嬉しく、悲しんでおれば悲しく、皆のために働くことにに無上の幸福を感じる。
 
●「幸せ」とは、赤ん坊の「懐かしさと喜びの世界」
 第一の心である個人の心を仏教は六つに大別し、六道という。天道・人道の二善道と、修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の四悪道である。二善道に踏みとどまるためには、教育勅語を守らなければ駄目なんです。それを退けましたから、マイホーム主義の畜生道、金、権勢、性欲が一番大事だと思っている鐘餓鬼、ボス餓鬼、色餓鬼の三種類の餓鬼道に陥っている。
 人は争うために生まれてきたと思うのは修羅道で、残酷なことを平気でするのが地獄道です。これを憲法が公然と認めている。欧米の政治体系は個人を基盤として組み上げられている、不道徳極まるものです。
 ところで、「幸せ」とは何か。「幸せ」は第二の心に住むということを知りたければ、赤ん坊を見るのが一番宜しい。一言で言えば、「懐かしさと喜びの世界」に住んでいる。外界は皆懐かしい。見るもの、聞くもの、人を見れば人懐かしく、音楽を聞けば音楽が懐かしい。この懐かしさの基盤から喜びがほとばしり出るんです。これが「幸せ」なんです。

●人類の滅亡を食い止める道
 人類の危機の原因は、第二の心のあることを知らんからです。だから第二の心があるということがよくわかっている人たちに粉骨砕身働いてもらって、人類の滅亡を食い止める外ない。第二の心があるということを一番よく知っているのは中央アジア民族です。
 しかし、メソポタミア民族、かつてのエジプト民族は奴隷制度を作りだして、自らの文化を汚したために滅びてしまった。今は日本民族と漢民族しかない。蒙古は中国の文化を輸血して滅び、清も中国の文化を輸血して滅びてしまった。
 戦後の日本は憲法をそっくり採り入れて、日本民族ほどエゴイズムが嫌いな民族はないのに、戦後「人は自己中心に行為するのが正しいのである」などと言い出した。こともあろうに善悪の方向を百八十度入れ替えた。こんな徹底した輸血は見たことがありません。私は、日本はこのまま死んでしまうのではないかと、死ぬほど心配しました。近頃になってやっと拒否反応らしいものが出始めた。だからもはや死線は越えたと言えるでしょうが、日本民族の現状は死に損ないのフラフラです。
 これは欧米文化という非常な毒物を食べたためです。これは明治の初めからいえます。だから日本民族のこういう胃にある毒物を皆吐き出させてしまって、あと徹底的に胃洗浄すべきです。そうしたら明治維新前の日本民族に戻れるでしょう。
 人類を滅亡から食い止める。人類が滅びされば、日本民族も滅び去ります。漢民族が今あんな風である以上、日本民族が滅び去れば人類も滅び去ります。


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