告別式の朝に思う

 妻の告別式の朝を迎えた。4日前から妹、昨日から姉が兵庫県から駆けつけ義母に寄り添い、部屋の片づけを手伝ってくれている。いざという時に駆けつけてくれる兄弟がいるということは本当に嬉しいことだ。心強い限りである。
 昨日は斎場の飾りつけ、準備を見守り、妻とも対面し、今にも目を覚まし「おはよう」と言いそうな仏様のような顔をした妻に最後の「ありがとう」の感謝の言葉をかけた。髙橋塾で撮影した素敵な笑顔の写真を遺影に選んだ。明治神宮の閉門前に参拝し、その遺影の写真を本殿に向けて明治天皇の御霊に報告させていただいた。
 20年前に御主人を亡くした埼玉大学の長谷川三千子先生から、「御愁傷様、と言いますが、奥様の場合は違いますね。見事な覚悟の死ですね。私の夫は20年前に亡くなりましたが、一緒に生きているという実感はますます強くなっています。先生もますますパワーアップされますね」というお電話をいただいた。
 寂しさが深まるのではなく、20年間「一緒に生きているという実感がますます深まっている」という夫婦の絆はすごい、と思った。曽野綾子氏との対談で語られた、死に際してクリスチャンが「ハレルヤ!」「おめでとう」という代わりに、私は「あっぱれ」「今までありがとう」と妻に言いたいと話すと、「あっぱれ」という言葉が、突然死した妻の見事な覚悟の死には最もふさわしいですね、と同意して下さった。
 行徳哲雄先生が村上和雄氏のご逝去の際に「私は御冥福をお祈りしません。生きておられるのに失礼でしょう。死生一如ですから」と豪語された指摘と相通じる、「”御愁傷様”、ではなく”あっぱれ”、見事な覚悟の死」という言葉が妻の死には最もふさわしいと思われる。
 61歳で亡くなった義父は臨終の瞬間、ニコッと笑った。私の実父も突然死だったが、重い障害を背負って残りの人生を妻の介護に専念する覚悟を決め、妻と約束していたホノルル・マウイ・カウアイマラソンには車椅子で参加しようと密かに思っていた。
 4月6日8時50分の突然死が「見事な覚悟の死」だというのは、私の天命を全うせよ、という妻の強い後押しに違いない。目には見えないが、妻の魂は常に私のそばにいて私と共に生きている。
 妻と出会わなければ、私がアメリカに留学し、研究者人生を歩むことはなかった。別の就職が内定していたからである。その意味では、妻に導かれた人生であったといっても決して過言ではない。
 義父は妻と私がけんかして別れることになれば、妻と親子の縁を切るから覚悟しておけと言われた、と妻は何度も口にした。それほどの愛情をかけてくれた義父を実の父のように慕い、臨終の瞬間にニコッと笑った時、思わず「また会おうね」という言葉が出た。
 義父と同様、我が子のように愛情を注いでくれた、同居している95歳の義母の悲しみにどう寄り添っていくかが今後の最大の課題である。そろそろ支度をしなければならないので、ここまでとする。
 
 
 
 

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