情動の科学的解明と教育への応用一いじめ・不登校を予防する「子育て支援学」

 文部科学省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」提言に基づく文科省委託事業「子どもみんなプロジェクト」の10大学と8府県8市教育委員会が連携した画期的成果が令和2年に発表された。
 このプロジェクトが始まった背景には、不登校(小中)が16万5千人、いじめの認知件数が54万4千件、暴力行為が7万3千件という問題行動の深刻化があり、これらの問題行動と「情動発達との関連」などに関する脳科学等の科学的研究が不在で、科学的知見が教育に活かされていないという根本問題があった。
 そこで文部科学省は平成27年度から「いじめ対策・不登校支援推進事業」の中に、「脳科学・精神医学・心理学等と学校教育の連携の在り方に関する調査研究」を位置づけ、その委託事業として同プロジェクトがスタートしたのである。
 この教育現場と研究者が連携した「情動発達研究」と現場との往還による5年間の研究成果で特に注目されるのは、不登校・不安・いじめ・暴力行為などを予防する「メンタルヘルス支援学」「子育て支援学」を核とする早期発見、早期支援・介入プログラムが開発され、その効果がエビデンスとして明示され、立証されたことである。
 また、学校全体の雰囲気を32項目の質問で測定する「日本学校風土尺度」を開発し、磐田市教育委員会では、2017年度より1中学校区を指定し、⑴「ありがとう」で学校を変える⑵深呼吸を初めとするストレス軽減や感情コントロールの方法を知らせる⑶話し合いの方法、学習スキルの共有により、授業参加と子供同士の関係性を促進し「共感」を深め、学校風土が向上した。
 國米欣明『その子育ては科学的に間違っています』(三一書房)によれば、UCLA医学校精神医学科のアラン・ショア博士が、大脳新皮質と大脳辺縁系を繋ぐ唯一の自己抑制回路で、自制心の中枢である「眼窩前頭皮質」の発達の臨界期は三歳までで、乳幼児期の躾が必要不可欠であることを明らかにしたという。
 脳解剖の専門医で京大総長・臨教審会長・医道審議会会長を歴任された岡本道雄氏によれば、前頭前野(大脳新皮質=人間性知能)を「鍛える」ことが創造性の土台となり、自我が形成される時期に甘やかさず厳しい壁になって、正義と不正義を説く躾教育をすることによって「強い個性」が育ち、7歳以降は伸び伸びと創造性を育てることによって、道徳心を創ることができる。
 脳の発達は刺激によって大脳辺縁系が促進的に働き、大脳新皮質が抑制的に働く。人間形成において促進性と抑制性のバランスが大事であり、同氏によれば、最初は模倣が大事で、愛情によって裏打ちされた教え込み、躾の時の叱責と称賛、忍耐の養成が必要であり、脳には臨界期という発達の時期があること等が「教育の不易」な部分であるという
 母性的な関わりの促進性(アクセル)と父性的な関わりの抑制性(ブレーキ)のバランスが大事であるという親学の基本原理は、この脳科学の不易な教育原理に立脚している。
 さらに、岡本氏は、「私が脳と教育の問題で注目しているのは、正常な脳機能の中で、教育の基本になるものは何かという点なのです。教育の不易な部分と脳科学の関係です」と述べ、「教育の不易な部分は二つあって、一つは古くから受け継がれてきた先賢・祖先の教えや伝承の中にあり、もう一つは脳の研究の成果にあると考えてきたのですが、この二つは通じるものがある」という。
 岡本氏が92歳の時に入院されていた京大病院で、ある月刊誌で「脳科学研究」をメインテーマに対談をする機会があった。私は「21世紀の教育理念」をメインテーマとする臨教審第一部会の専門委員として、三年近く毎週三時間に及ぶ審議に参画したが、当時は岡本会長が強調される脳の機能と「教育の不易」との関係が全く理解できなかった。
 脳科学研究は時代の「流行」にすぎず、脳の機能はコンピューターのようなもので、コンピューターを操作するオペレーターが人間存在の本質であるから、人間の心や道徳は「脳科学研究」にとって解明されるものではないと考えていた。
 岡本氏は1950年にオーストラリアのジョン・エックルスという生理学者が神経細胞を繋ぐシナプスの中に「抑制」のシナプスを発見して、ノーベル賞を受賞したことにものすごく興奮したという。厚労省は「体罰によらない子育て」指針を発表したが、こうした脳科学の科学的知見を踏まえる必要がある。


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