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登壇内容「SDGsとクリエイティブ・コミュニケーション」

先日、シブヤフォントオフィスにて、「SDGsとクリエイティブ・コミュニケーション」〜サスティナブルな社会へ、クリエイティブな仕事〜のお題で、北は北海道〜南は福岡までの印刷会社の皆さん(30名位)に、髙橋の根幹の部分(想い)を含めた取り組みの話しをしました。

スライドを使い、講演。
内容を抜粋して少し共有します。

その後、それぞれのグループに分かれて、「自分達の強みで何ができるか?」のアイディア出し。

初めに

自己紹介

自己紹介

初めて勤めた職場は、保育園。
保育士として5年間勤め、その後福祉保育に特化した労働組合(の専従職員へと進みます。

福祉職員の地位向上や、働きやすい職場作りこそ、福祉施設を必要としている利用者(子ども、高齢の方、障がいのある方、またその保護者など)に質の高い福祉を提供できると考えているからです。

その後、福祉施設で働く職員も確かに大変だが、保育現場の時は知らなかった、障がい福祉現場にも目がいくようになり、そこで働く障がいのある方達の給与(工賃)の低さや、いろいろな悩みを知り、何かできないかと思い、福祉職場を外から支援できる取り組みをしようと、一歩外へ出て活動しています。

今は、フクフクプラス/共同代表シブヤフォント/営業統括をおこなっています。

TOKYO2020パラリンピックにて、聖火ランナーとして走らせていただきました。(髙橋の数少ない自慢できる事です)

TOKYO2020オリパラの聖火ランナーで走りました。

コロナもあり、公道を走ることはできませんでしたし、当時聖火ランナーを辞退する芸能人が多く、世論としてもオリパラ開催に難色を示す声が多かったため、葛藤はありましたが、今回の聖火ランナーのコンセプトの「あなたは、きっと、誰かの光だ。」に少しでもなれるよう。またなれると信じて走らせてもらいました。(結果、いい想い出です)

東京2020パラリンピック聖火リレーのコンセプトは、「Share Your Light(英語)/あなたは、きっと、誰かの光だ。 (日本語)」です。 聖火リレーを通じて、社会の中で誰かの希望や支えとなっている多様な光(人)が集まり、出会うことで、共生社会を照らす光としよう、という想いを表現しています。

東京都オリンピック・パラリンピック調整部


髙橋の根幹

髙橋の根幹

僕は、起業してからずっと心に決めていることがある。
それが上記スライドにあるように「障がいの有無に関わらず、誰もが安心して暮らせる社会をつくること!」

下記にも簡単にまとめていますが、「誰もが」の中にはもちろん僕も含まれています。

障がい、性別、セクシャリティ、国籍、肌の色、宗教、労働環境、生活環境・・・など、今の社会にて「生きにくさ」を感じている人は障がいのある方だけではありません。

労働組合をやりながら。福祉職でいろいろな家庭や個人の問題を見聞きしながら本当にいろいろな課題が山積みだなと感じています。

僕が生きているうちに、誰もが安心して暮らせる社会に少しでも近づけられるため、何かできることをしよう。と、スライドの言葉を胸に刻みサラリーマンをやめ、一歩世の中に飛び込みました。


20代前半で父が視野障害に

僕の父親は、もともと料理人でした。

「天皇陛下も訪れたことがある」「名古屋城のすぐお膝元のすごいホテルなんだぞ!」とよく父が自慢していたナゴヤキャッスルにて修行をし、その後家庭の事情にて地元長野に帰ってきてから自分の店を持ち、料理長として夢だった料理人としての道を華やかに進んでいました。

そんな矢先、突然高熱と共に倒れてしまい入院。
そのまま視野障害となり、図書カード(テレフォンカード)の穴くらいの視野と、視力も0.02ほどになってしまいました。

「まな板の上にあるのが、玉ねぎなのかじゃがいもなのかわからない状況で、お客様に料理は出せない!」と料理人を諦め、店を辞める決意をした父。まだ、目が治る可能性もあるかもしれない!とお医者さんや母親の声を跳ね除け、「自分の体は自分が一番わかる!」と病院のベットの上から、盲学校の資料を取り寄せ、入学手続きを始めました。

県営住宅に入り、子ども3人を育て上げるため、父が盲学校へ通っている間は、母親が正社員にて働きつつ、多いときはバイトを2つ掛け持ち、朝から夜まで働き家族を支えてくれていました。

父はまだ保育園に通っていた妹の送り迎えも含め、家のことを全てやってくれ、学業(指圧師の勉強)と両立。
料理人だったため我が家のご飯はとてもおいしかったです。

しかし、やはり収入は一般的な家庭よりは少なく、当時含め今でも全く「不自由をした」とは思ったことはありませんが、誕生日プレゼントがなかったり、旅行や外食などはほぼありませんでした。

父と母が愚痴を行っている姿を1度も見たことはなく、逆にもし両親が「父親の障がいのせいで、子どもたちに不自由な思いをさせてしまっている(た)」と思っていたら、それこそ嫌だなと思い、障がいによって収入がグッと下がってしまうようなことが無いよう、障がいがあってもしっかりと収入が入る仕組みを作りたいと思いました。


あなたの夢はなんですか?

いきなりですが、みなさんの夢はなんでしょうか?
少し、考えてみてください。

今すぐで無いようでしたら、子どもの頃の夢はなんでしたか??

僕の子どもの頃の夢は、「パン屋」でした!
母親がパンが好きだったので「毎日美味しいパンが食べたいなー」と何気なく言っていた母親の言葉を間に受けて、パン屋になろうと思うほど単純な子でした!!

大人になってからは仕事等ではなく、プライベートで「海外に行きたい」や「日本各地の美味しいものを食べに行きたい」なんてそんな夢も!!

さて、話を戻しますが、あなたの夢はなんですか??

想い浮かべましたか??

僕がグループホームの夜勤にて、軽度の知的・発達障害の利用者さんと一緒に夕食の準備をしている時、ふとテレビからCMが流れました。

障害者グループホームとは?
障害者グループホームとは、障害のある方が必要な支援やサポートを受けながら、共同生活を行うことができる住まいのことです。

LITALICOワークス

その時、僕と同い歳の当時32歳の彼が「僕の夢はね・・・」と
下記のように話してくれました。



軽度の知的・発達障害の利用者さんが語ってくれた夢

僕は、この話を聞いて一瞬なんてコメント(話し)をすればいいんだろう!!と頭の中が混乱してしまいました。

僕は今日の夜勤が終わった後、帰り道に「かっぱ寿司」があれば寄って帰ることもできる。しかし、目の前にいる彼にとってはそれは僕が「海外に行きたい」と思うのと同じほどの「夢」として話している。

障がいの度合いによって、1人ではいけないからなのか?お金の問題か?それとも行ったことが無いから、憧れもあり「夢」として話してくれたのか?それともたまたま日中かっぱ寿司の話で盛り上がったのか・・・??

考えても答えは出ませんが、この話は僕の心の中にしっかりと残っていたので、少し時間を置き考えていく中で、僕なりにこんな答えになりました。

僕は、障がいがあっても「何かしたい!」と思ったときに、できるだけのお金を稼げる仕組み(場)を作りたい!」と


日本でも餓死をする?

また、労働組合にて働いていた時、世の中にはあまりでないニュースも耳にすることが多かった。

2007年7月とてもいたたまれないニュースが飛び込んだ。
「おにぎりが食べたい」と日記に書き残し、餓死した方が見つかった。

このかたは、病気にて働けなくなり生活保護を受給していた。
生活保護は日本での最終のセーフティーネット。

この方から直接話を聞いたわけでは無いので、ニュアンスや事実は見えていない部分もあるが、この話を聞いた時「なんで今、日本で餓死なんて起こるんだ・・・いけないことではあるけど、どこかでおにぎりを盗んで食べれば死なずに済んだだろうに。。。そーゆーこともしないような真面目な人だっったのかな」と。。。

何がいい悪いではないが、食品ロスも多い世の中で、「餓死」してしまう人もいる。

何かしら支援が必要な人に支援が届いていない現実。なんとかしていかなければ・・・と。

労働組合にて仕事、活動をしている身として、署名活動や厚労省交渉、国会議員への訪問・交渉などで国(法律)が変われば、日本全体が良くなる方に動いていく。しかし、それには時間がかかる。

時間がかかっても変えていく、改悪させないためにもこのような動きは必要だが、「今」まさに死に直面している人もいることを知り、僕は何ができるのか?と考え、その人たちに少しでも力になれれば、と起業する道を考え歩き始めました。

当時僕は労働組合の本部にて、会計・総務の仕事をしていた。
僕のポジションは、僕が辞めた後でも他の人が採用されれば僕の穴は埋められる。しかし、「僕がやろう!」と考えたことは僕にしかできない。なら!!と。


本題

障がい者? とは

みなさんは、「障がい者」と聞いて、何を思い浮かべますか??

守ってあげないといけない。何かしらのハンディを折っている。生きにくい??色々な考えがあると思います。

障害者基本法における「障害者」とは、「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」と定義している。また、障害者権利条約では、目的規定において、「長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な障害を有する者であって、様々な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることのあるもの」とされている。

厚労省:障害者の範囲

上記にも少し触れられているよう、「様々な障壁との相互作用により他の者と平等に社会に完全かつ効果的に参加することを妨げられることのあるもの」とも捉えられています。

僕は、「障がいは社会とその人との間にある困りごと」と捉えています。
社会が変われば、僕は障がいはなくなると思っています。

なので、僕は障がいのある方を個人的に「障がい者」とは呼ばない。なぜなら障がいがあるのは「その人」ではないから。


あなたにもできる事

会場にて、少しブレストを行いました。
今回は印刷会社に勤めるデザイナーや営業の方々。

それぞれがそれぞれの強みを生かし、また強みを出し合いつながることで新しいことが出来る!そんなことを感じてもらうよう参加者同士で軽くブレスト。

福祉職員は福祉(ケア、支援)のプロ。
そこに外からでも強みを持った人と関わることで(こらは外からの関わりを期待するだけでなく、福祉施設としても(内側からも)積極的に関わる姿勢をとり、関わっていくことが大切だと思っている)、新しい可能性が生まれる。


シブヤフォント

まず、動画(ニュース)にてわかりやすくまとめてもらっているので、こちらをご覧ください。

一般社団法人シブヤフォントは「障がいのある人の力を、デザインの力で、みんなの力にする」をミッションに、渋谷で働く障がいのある人の描いた文字や絵から、デザインを学ぶ学生がフォントやパターンを制作し、「シブヤフォント」として誰でも利用できるように公開しています。

渋谷でくらし・はたらく障がいのある人の描いた文字や絵を、渋谷でまなぶ学生がフォントやパターンとしてデザインしたパブリックデータ。さまざまなモノやコトに使われることで、より多くの人に渋谷を好きになってほしい、シティプライドを感じてほしい、そして障がいのある人の活動を知ってほしい。こうした願いをシブヤフォントに託しました。

「ちがいをちからに変える街」、これが渋谷の未来像。ひとり一人でちがう文字を、パブリックデータというちからに変えるのも、いろいろな人が集まり(ダイバーシティ Diversity)、取りこむ(インクルージョンInclusion)街だからできること。このサイトに訪れたアナタと、シブヤフォントを使ってなにかを一緒に創れたら、それは渋谷の新しいソーシャルアクションになるはず。

だれもが主人公になれる街、シブヤ。
YOU MAKE SHIBUYA

*シブヤフォントは、平成28年度渋谷みやげ開発プロジェクトとして、渋谷区内の障がい者支援事業所と桑沢デザイン研究所の学生の協力により生まれました。

シブヤフォント公式HP

今まで、色々な障がい者施設や、企業、団体とのコラボレーションにて、さまざまなアートを商品や紙媒体へ使用している取り組みはあった。

スキャンして、写真データ(JPEG、PNP)やPDFデータにして使用する。など。

シブヤフォントの強み

シブヤフォントの強みは、aiデータとし作成してあり、色を変えたり、サイズを変えたり、切り取ったり抜き取ったり・・・デザインの素材として使用できること!

シブヤフォントを使用したい企業や団体の方が、それぞれのテーマカラーやクライアント、ブランディングに合わせて使用できること。この自由度にプラスして、フォントやaiのパターンデータなどの使い勝手の良いデータ形式になっていることにより、使用してもらえる頻度が増えてきました。

使用例:タンブラーデザインに4つのデータを使用
300種類を超えるパターンデータ
使用例:トートバックデザインに3つのデータを使用


シブヤフォント採用のトートバック

実際の展開

ユニクロ原宿店限定 UTme! × シブヤフォントコラボ

しまむら 子ども服「バースデイ」にてシブヤフォントコラボ

渋谷区役所のサインディスプレイ

渋谷区役所のサインディスプレイ

Canon 年賀状にてシブヤフォントご採用

多くの企業、団体様に使用していただき、そのデータ利用料をシブヤフォント参加施設(11施設 / 2022年度)へ還元しています。

シブヤフォントは、障がいのある方達のアートの中でも、「描くこと(表現すること)が好き」な人たちと、デザインを学んでいる学生とのコラボ作品として世の中に出ていきます。

最終的にはプロのシブヤフォントのデザイナーの目を通し、世の中に発信していきますが、毎年関わってくれる学生が変わることにより、施設としても学生との交流がもて、学生としても社会に出る前に、自分達のデザインの持つ力を知れること、また色々な人との関わりによってデザインが生み出されるという仕組みを知れるいい機会になっています。

そして、シブヤフォントとしても多様な人の目と手と関わりから生まれた多様なシブヤフォントを蓄積し、可能性を広げています。

シブヤフォントへ、ある施設利用をしている障がいのある方のお母さんからの声をいただきました。


シブヤフォント、フクフクプラスを通して

僕は、今やっている活動を通して、障がいのある方の「選択肢」を増やしたいと考えています。

働く場所、職種、余暇の過ごし方など、障がいがあるが故に選択肢がとても少ないのです。

父も視野障害になった時、選択できたのは「指圧師」の道のみでした。
父は軽度だったので、引っ越しをしたり、働く場所を選ぶことはできました。

しかし、障がい者施設を利用する障がいのある方達は、基本的に自分の住んでいる場所を変えたり、例えば「料理の仕事をしたいから、1人で長野の実家から東京へ行く!!」と言って動ける人はほぼいません。

生まれ育った地域で生きていくからこそ、どこにいても質の良い福祉、選べる仕事を提供できるよう、少しずつ幅を増やしていきたいと考えています。

そのためにも、まずアートに特化した就労継続支援B型事業所「アトリエ にっと」を設立する予定です。


最後に参加してくださったみなさんへ投げかけ!



今回の講演にてワークも含めそれぞれが自分ごとに落とし込んでくれ、「自分達の強み×〇〇」でやれる事はある!と良い気付き(学び)にしてくれていました!

色々な地域に、自分(会社、団体、本人)達の強みと地域の強みを活かした取り組みが根付くことを祈ってます!

感想をいただきましたので、抜粋して下記に少し掲載しました。

長々と書かせていただきましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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