見出し画像

【戯曲公開】魔術師

原作:谷崎潤一郎『魔術師』
脚本:髙橋亜美花

男:1名 / 女:1名 / 不問(魔術師):1名
上演時間:約40分


・音響/照明オペレーションが関わるト書きにはをつけています。
・上演に際して、加筆/修正などは自由です。
・上演の際は、特に何か頂いたり制限したりはいたしませんが、見たり応援したりしたいので、髙橋亜美花X DMまたは takahashi.amika1001@gmail.com までご連絡ください。


#開場:客電・客入れ
#開演:暗転・着信音(緊ソン)

0:開幕

#カーテンの向こうでライトが点灯。

魔術師:…サァ、どなたか、犠牲者になる方はありませんか?

着信音がただ鳴っている

魔術師 :(笑って)ここは薄暗いアパートの一室。

1:ワンルーム

#魔術師の合図とともに明転

ここは薄暗いアパートの一室。
中央には控えめな机、奥はカーテンが閉まっている。男が入ってくる。

#スマホを手に取り電話を切る。

緩慢な動きで床に座り、机に向かう。男の呼吸音が聞こえる。
酒の空き瓶・缶が散乱し、泥酔している様子だ。

女:ねぇ、今日はあの公園に行かない?

客席に座っていた女が突然明るい声を発する。

男:え? 公園?

女、男の向かい側に座る。優しく手を取り、囁くように続ける。

女:…あなたの好きな公園。もともとといえば私はね、ああいう場所に行くのは恥ずかしかったの。でも、あの公園に行けば、あなたに会える…ような気がして。物好きなあなたによく似た、物好きな公園。
…ねぇ、知らないはずないでしょう?

男:ああ、知ってるよ

二人の顔は見えない。二人の手は遊ぶように触れ合っている。

男:あそこには、…何だっけ、そう。
スペインの闘牛とローマの劇場と、それよりもっと突飛な、…妖艶なヒッポドローム。馬が駆けていく横には海が、…いや、海なわけないか。…あそこの……池、池にこの間、人魚がいたんだよ。そうだな…、ちょうどお前くらいの。
女:人魚は、あの公園の隅にあるメリーゴーランドで生まれるらしいわ
男:へぇ、まるで、
女:まるで?
男:何でもない
女:そう?
男:これ、昨日も話した?
女:あなたがそういうならそうかも
男:…今月は、いつ行くの
女:来週くらい
男:10日間?
女:の、つもり。
男:無理だね、4日間だな
女:1週間は頑張るよ、お金もらえないのは困るし。
男:どうだか
女:だって、本当に疲れるんだもん
男:それは、そうだろうね
女:減るもんじゃないだろって言われているの、店長には
男:そりゃ減るさ、心も、体も
女:でも、お金があれば、心も体も増やせるでしょう?
男:そう? 増やせたところで、元どおりになるってことじゃないの
女:ほんとだ
男:やめたら?
女:怖いもの
男:真っ赤に染まっていってるよ
女:何が
男:お前、が
女:可愛いでしょ
男:うん。…痛い?
女:気持ちいよ。馬鹿みたいで。
男:馬鹿みたいで?
女:大人だから
男:小さい頃、
女:?
男:まだ、小さかった頃、木が一本だけ生えた広場で追いかけっこしてて。夢中で逃げてたら、段差につまづいて、いったぁってなって。でも、つかまりたくなかったから、あんまり気にせず走ってさ。しばらくしたら、なんか右足が冷たくって、見たら、靴下が真っ赤に染まってて
女:……
男:見た瞬間に、泣き出しちゃった

女の手は赤いネイルが施されている。のを、二人はじっと見る。

女:可愛い
男:うん
女:可愛いよ、って、ネイルサロンのお姉さんが言ってた。ワンカラーで、シンプルに。深めの赤は、アニマル柄とかちょっと質感のある素材とかと合わせるのが流行で。シルバーとボルドーで合わせて、雪みたいにするのと悩んだんだけど、ブルベでもないしあんまり似合わないかなって
男:うん
女:やっぱり、痛い、のかも
男:そっか
女:おかしい?
男:おかしくないよ、似合ってる
女:似合わせてる、んだもの。
男:爪に、お前が?
女:そ、馬鹿みたい
男:好きなのやりなよ。
女:あんまり、わかんないし。
男:そっか

男はいつの間にか、意識がはっきりしている。
#カーテンの向こうをバイクが走り去る。喧騒が聞こえてくる。

女:……私この間、あの公園で映画をいくつも見たの。あなたがいつも読んでいる、イリアッドだの、ダンテの地獄だの。

#照明変化。映画が映し出される。

女:その幻灯劇を、黙って静かに見ている数百人の人は、みぃんな悪夢に魘されたようにビッショリと寝汗をかいているのよ。女は男の腕に絡まり、男は女の肩にしがみついて、歯を食いしばって。たまに熱に浮かされた病人のようにため息をする。…「ハァ」
…そのほかは咳払いも瞬きもせずに、彼らの魂は驚異に満たされ、彼らの体は硬直しているのです。たまたま、あまりの明白さに耐えかねて、顔を背けて逃げ出そうとするものがあると、真っ暗な観客席のどこからともなく、

女は男を机の上に座らせ、映画(を再現する自分)を見せている。

女:気違いじみた、けたたましい拍手の声が起こる。すると、拍手はたちまち四方に広がって、建物を震撼させる盛んな響きが、しばらく場内にどよめくの。

#じじじ…と映画のフィルムが巻かれる音がする。

女があたりを見回しながら、鼻歌を歌いはじめる。男、しばらくの放心。

女:…部屋はきれいにって、言ったでしょう
男:ごめん
女:謝ったってしょうがないじゃない
男:…ごめん
女:いろいろ床に捨てないの
男:おいてるんだよ
女:なんかの並べ方があるっていうんでしょう?
男:ここは、リアリズムが神を殺したって、
女:ええ
男:こっちの作品にはムーサの寵愛が残ってるんだ、こっちには、ない
女:へぇ、じゃあこれは?
男:そっちは、ロマン主義、隣が耽美派で、
女:どれが、悲喜劇?
男:こっち
女:全部、机の近くに置く必要はないんじゃない?
男:手が届くところに置いておかないと、逃げていくんだよ。こいつらは。
女:本棚にでも入れてあげなさいな
男:あんな窮屈なところにしまったら、ホメロスもサロメもゲーテもイエスも、窒息しちゃうだろ? ロミオとジュリエットも出会えない。
女:この部屋ではいろんな方がそこら辺をうろちょろしてらっしゃるのね

いい感じのとこで床に座る

男:今日の昼下がりには散歩して、洗面所の蛇口の上で、愛と信仰について話してた。
女:あら、そう。
男:……
女:随分刺激的な部屋ね
男:でも。あの公園には、物好きな俺が夢にも考えたことのない、官能的で破天荒なものがあるんだろ? …俺はそれが何かは知らないけど、お前はきっと知ってる。
女:ええ、在るわよ。
男:在るっていうのは、見えるってこと?
女:さあね。感覚できなくたって、あるものはあるの。
男:何があるのさ
女:魔術師。若くて美しい魔術師が、夜な夜なショーをしているのよ!

#部屋の電気が消える

2:ベッド

#スマホのシャッター音。カーテンの向こうでネオンが光る。
男と女が座っている。

男:ん〜
女:はは。変なかお
男:撮った?
女:うん
男:なんで
女:自慢するから
男:なんの自慢
女:嘘だって
男:……それとって
女:まだ飲むの?
男:いいだろ別に
女:いいけど

女は酒を渡す

女:遊んでそうって思ってたけど、案外ね
男:すいませんね
女:いいよ、そーゆーとこがいいのよ、あんたは。
男:…仕事は?
女:明日は出勤遅いし
男:へえ?
女:来週ぐらいから出稼ぎ行こかなって
男:あーね、言ってたね
女:言ったっけ?

男はタバコを吸おうとするが火がつかなくて諦める。

男:言った
女:あなたがいうなら、そうなんでしょうね

男:なんで?
女:あなたの方が頭いいし
男:そうか?
女:ねー外飲みに行こーよ
男:ええ
女:せっかくまだ日付変わってないし。明日出勤遅いし。
男:うーん
女:来週から会えないし。
男:…
女:家でグダグダしてるより楽しいでしょう?
男:いや?

女:これが楽しいの?
男:ずっとこうやって死にたいから
女:しんでるの?
男:そう、永遠にしんでるの
女:なんかやめてよ?…死なないでね。私、泣くからね。
男:死んだら、永遠に死ねないだろうが
女:ホラァ、そやって難しいこと言うから
男:ハァ?
女:パーっと!飲み行こって!今超気分いいの
男:わかったって
女:飲んで踊って、寝たら忘れてるって
男:踊らされてるんだろ

男、緩慢に立ち上がって、カーテンを少しめくって、窓の反射で髪や服を整えはじめる。
魔術師が、じっとこっちを見ているが、気づくことなく、カーテンを戻す。

女:鏡買いなよ、本当にこの部屋不便
男:夜しか起きてないんだから、窓が鏡になってるんだって。

3:公園

#突然大音量の音楽。舞台中心の小さなエリアがつき、二人は押し込められる。
男女は音楽にかき消されないように、大きな声で話している。

女:あなた、なにがそんなに珍しくて、見惚れているの?
男:え?
女:よくきてるんじゃないの?
男:何度も来ている。でも、何度来ても俺は、見惚れずにはいられないんだ。
女:…今日もすごい人ね

女は人の波に押されて離れる。あちらこちらへ踊りながら流れていく。

男:ここの人はみんな気でも違ってるみたいだ、今日は一体お祭りでもあるのか?
女:んーん、今日だけじゃない。この公園に来る人はみんな年中こんな感じよ。こうやって、あの人が吐いた二酸化炭素とコップに入った幸福の残滓に酔っ払っているの〜!

男はコップに入った酒を飲み干し、あたりを見回す。タバコを吸おうとするが火がつかなくて諦める。スマホで彼女の写真を撮る。

#シャッター音と同時に、あたりは暗転する

男:彼女はそこで、悪魔の一段に囲まれたたった一人の女神のようにきよく尊く俺の目には映った。

以降、男が手に持つ懐中電灯の灯りのみで進行する。
あちらこちらを懐中電灯で照らしながら話す。趣のない無機質な明かりが、劇場のスタジオのギャラリーの無機質な構造物をなぞっていく。

男:公園。
といっても見渡す限り丘もなく森もなく、全て人の手で象られた、人工の極致が連なっている公園です。百万粒もの光を灯して、ギラギラと人の夢と欲望を照らし出しているんです。
あっちには視界一杯の観覧車。観覧車では一面の電球が点滅して、巨人の花傘のように空を彩っている。その周りには、素肌同然の衣装を纏った数百人のサーカスの男女が、炎炎と輝く火の柱によじ登り、合間なく上へ下へと飛び回っているのです。火の粉の降るように、天使の舞うように、明るい夜の空を飛翔しているのが見える。だろ? なぁ、
女:ええ〜?
魔術師:はは

女の笑う声に続いて、魔術師の笑う声が聞こえる。男は天井を照らして続ける。

男:公園を覆っている天空の多くの部分に、奇怪なもの、道化たもの、妖艶なものの光の細工が、永劫に消えない花火のように蠢き、煌めき、這い回り、渦巻いている。それだけではなくて、チラッと見ただけでも、無尽蔵に伸びる線や緻密な模様が限りなく埋め尽くされていて、それは、悪魔が空の帳に買って気ままに落書きをしたかのような。世界最後の日に、太陽が笑い、月が泣き、彗星が狂い出して、様々な法師が縦横無尽に空を揺るがしたような。
そっちには、日本の金閣寺風の伽藍もあれば、インド式の塔、ピサの斜塔をさらに傾けたような突飛な櫓に、上に行くほど膨らんでいる殿堂もあって、あっちには建物全体が人の顔を模している家や、紙屑のように歪んだ屋根や、タコの足のように曲がった柱。波打つもの、渦巻くもの、反り返るもの、湾曲したもの……、地に伏し、天にそびえて明滅して、
まるで僕に降りかかってきている。
女:ね、魔術師の小屋はあっちにあるの。早くいきましょう!

男が手に持つ懐中電灯の灯りが女を照らす。女だけがここで、有機的なものだ。

魔術師:私が平気でいられるのは、あなたという恋人があるから。恋の闇路に入ったものには、恐ろしさも恥ずかしさもない、のよ!

#照明が付く。女が白く浮かび上がっている。
男は、タバコを吸おうとするが、火がつかなくて諦める。酒を煽る。
#けたたましい音楽が徐々に消えていく。

男:俺は、お前みたいな優しい女の恋人になる資格はないんだ。お前は俺と一緒に、この公園に来るにはあまりにも気高くて、正しい人間だ。
お前の幸福のためには二人の縁を切った方がいい。お前もわかっているんだろう?
女:魔術師の小屋は、この豪華な街の物寂しいはずれにあるの。ネオンの明滅する、騒がしい一角を抜けて、薄暗い道へ出たところよ。
男:なぁ
女:そこへきたら、初めて森が見える。これまで、なかったでしょう?
でも、ほらわかる? 自然の森じゃなくて、あくまで人工の、あのひねくれた人と建物を引き立てるための森。絵具の代わりに木の葉を使って、幕の代わりに水を使って、張子の代わりに丘を使った、お芝居の舞台なのよ
男:引き返した方がいい。お前に、
女:ねぇ、私は覚悟しているの。今更、あなたに聞かなくてもわかっているの。あなたと一緒にこうして街を歩けるのが、私にとっては、美しくて幸福なのよ。
男 けど、
女:かわいそうだと思うなら、捨てないでね。

男は、酒を煽る。

#無音

男:まだ、日付も変わる前だっていうのに誰もいないな。
女:そうね、一本道を入っただけで随分寂しくなる。
寂しい人が来るとことなのよ。爪を赤く染めた、爪弾きもの。
男:あの真っ暗なガラスの向こうは、もう何年も何も起こっていない空きテナントなのかな。それとも、黒い布とテープで目張りされた一酸化炭素? もしかしたら、僕が窓だと勘違いしているあれは、水がいっぱいにたたえられた水面なのかも。
女:ね、あなた? 私たちはね、試しに行くのよ。二人の恋と、魔術師の技とどちらが強いのか。
男:……
魔術師:お前は清い女のままで、僕は汚れた男のままで、二人はとこしえに愛し合う、そういう因果に支配されているのだ。
女:怖い?
男:いいや、お前が怖くないというのに、僕が怖がることなんてないよ。
女:(笑って)このあたりを誰が設計したか、知ってる?
男:…いや
女:この森は魔術師が作ったのよ。つい最近、勝手に植木屋さんに頼んで、大木を運ばせて、あっという間に。仕事をした人は誰も、この森が最後にはどんな風になるのか、気がつかなかった。ただ、魔術師のいう通りに一本一本植えて行っただけで。そして、森が出来上がったときに、魔術師は笑って、「森よ森よ、お前は蝙蝠の姿になって、人間どもを威嚇してやれ」
そして杖で地面を三度、叩く。
すると、そこにいる人にもこの蝙蝠が見えたのよ。自分が植えたこの森が、二匹の蝙蝠だったことに気づいたの。
男:この森が蝙蝠の形?
女:さあ、魔法をかけられているのは、森なのか、それともここを通る私たちなのか、わからないの。知っているのは魔術師だけ。
男:……
女:あそこ、あそこが小屋の入り口
男:しまっているみたいだね
女:うん
男:人の声もしない
女:そうね
男:本当に魔術をしているのか?
女:今ちょうど、やっているんじゃない? この魔術師は、普通のマジックショーみたいに客を煽って囃子を入れたり、拍手を求めたりしないんですって
男:それは気楽だね
女:…それだけ、深刻な魔術ってことよ
男:……

二人の浅い呼吸音が聞こえる。

4:小屋

#突然、カーテンの向こうが光る

男:うわ、(眩しい)
女:…
男:人が
女:ぎっしりね。
男:…
女:みんな変な服ね!
男:紅蓮白蓮の花畑だ。パレードみたいに
女:キラキラ光ってる
男:時代も国籍もないのかここには
女:わかるのは、私たちみたいなのはただの一人もいないってこと、だけね
男:ナポレオン、ビスマルク、ダンテ、バイロン、ネロ、ソクラテス…
女:あら、ロミオとジュリエットもここなら出会えるわね
男:ゲエテもドン・ファンも…、みんな、不思議には逆らえないんだな
女:旅しているのよ! 私もあなたも、この人たちも
男:彼らも僕らのように、ただ美しい夢を夢見る、そういう素質があるんだよ。
女:御託とお酒は十分よ。ここに並んでいるだけでお腹いっぱい

2人がカーテンを開ける。

#照明がさらに明るくなる。

男:……

魔術師はゆっくりとポーズをとる。2人は急いで席に座り、魔術師に見惚れている。

魔術師:……今は午前の五時

女は時計を確認する。

女:本当だ
男:そんなばかな、さっきまで夜の23時すぎだった。
女:だから、ここは魔の王国よ

#朝日が登る。

男:夜明けだ
女:プログラムの感じじゃあ、もうショーは終わりかけね
男:さっきのは……、メスメリズム。催眠作用による集団幻覚。一個前には不思議な妊娠?をやってたらしい。10分で妊娠から分娩までする…
魔術師:ここは海

#魔術師の合図で、海になる。微かな波の音

女:想像妊娠じゃなくて?
男:ああ
女:まぁ、でもここならできるって言われても否定できないわね
男:見物人の中で希望者を募る
女:いなかったら?
男:王国の奴隷が
女:ふうん…奴隷、ねぇ


#魔術師の合図で小屋に戻る

魔術師:さて、

堂々と座っていた魔術師はそっと立ち上がり、子供のように恥じらいながら、可愛らしい羞恥を孕んだ低い声で話し始める。

魔術師:今晩の大詰の演技として、私はここに最も興味ある、最も不可解な幻術を、諸君に御紹介したいと思います。
男:お前が美しい美しいというから、若い美男子かと思った
女:そうじゃない。絶世の美男子
男:いや、まあ、そうなんだけど
女:何?
男:なんというか、男からしたら、美少女だな
女:…

魔術師はじっと客席を眺め、ふと、コソコソと話す2人に目を止める。が、また、話し始める。

魔術師:この幻術は、仮に『人身変形法』と名づけてありますが、つまり私の呪文の力で任意の人間の肉体を、即座に任意の他の物体……鳥にでも虫にでも獣にでも、もしくは如何なる無生物、たとえば水、酒のような液体にでも、諸君のお望みなさる通りに変形させてしまうのです。或は又、全身でなくとも、首とか足とか、肩とか尻とか、ある一局部だけを限って、変形させることも出来ます。
男:男性的な快活さと知恵が、女性的な繊細さと陰険の中に溶け込んである
女:どこの子かもわからないわ。
男:コーカサス?
女:美人の国ね
魔術師:ああ、ところで私は、予め皆さんにご相談をしておきますが

魔術師はタバコを取り出し、無言で男に火を要求する。

男:ああ、今日オイルを切らしているんだ。さっきから、何度やってもつかなくて。ほら

魔術師はもう一度強く無言で男に火を要求する。魔術師がライターを奪うと、火が灯る。

男:……

魔術師の深い呼吸音が聞こえる。男に息を吹きかける。

男:……

魔術師:皆さんに御相談をして置きますが。
私の妖術のいかに神秘な、いかに奇蹟的なものであるかを立証するため、私は是非とも満場の紳士淑女が、自ら奮って私の魔術にかかって頂くことを望みます。既に私がこの公園で興行を開始してから、今晩でふた月あまりになりますが、その間毎夜のように観客中の有志の方々が、常に多勢、私のために進んで舞台へ登場され、甘んじて魔術の犠牲となって下さいました。犠牲……そうです。それはたしかに犠牲です。貴き人間の姿を持ちながら、私の法力に弄ばれ、犬となり豚となり、石ころとなり糞土となって、衆人環視のうちに恥を曝す勇気がなければこの舞台へは来られない筈です。
にも拘らず、私は毎夜観客席に、奇特な犠牲者を幾人でも発見することが出来ました。中には身分の卑しからぬ貴公子や貴婦人なども密かに犠牲者の間へ加わっておられるという噂を聞きました。それ故私は、今夜もまた例に依って、沢山の有志家が続々と輩出せられることを信じ、かつ誇りとしている次第なのです。

魔術師はカーテンの向こうに戻る。笑っている。

魔術師:頭上を瞬く孔雀、椅子に敷かれる豹の皮、私を照らす純銀の燭台、付き纏ってひらめく二匹の蝶々。
全て、この魔の王国の奴隷だよ。彼らは、人間界の女王になるよりも、この王国の奴隷になる方が遥に幸福だと知っているのさ。

魔術師が豹の皮を踏みにじると、女は怖がって男にすがる。

魔術師:どうですか、みなさん。…どなたか、犠牲者になる方はありませんか?
男:……

#無音。

魔術師:みなさんは魔の王国に捕虜となることを、そんなに気味悪く思うのですか。人間の威厳や形態というものに、それ程執着する値打ちがあると思うのですか。あなた方は、私のために変形させられた収隷たちの境遇を、浅ましいもの哀れなものと考えるかも知れません。しかし彼等の外見は、たとえ蝶々であり孔雀であり、豹の皮であり燭台であっても、彼等は未だに人間の情緒と感覚とを失わずにいるのです。そうして彼等の胸の中には、あなた方の夢にも知らない、無限らの悦楽と歓喜とが溢れ張っているのです。彼等の心境が如何に幸福を感じているかは、一遍私の魔術を試したお方には、大概お分りであろうと思います。
男:……
女:みんな、魔術じゃなくて、あの人の美貌に惑わされているのよ。叶うことのない恋の情熱を美しいビーズとシルクに変えて、綺麗なままに閉じ込めてしまおうという魂胆で。

男、そっと立ち上がり、魔術師の方へ向かう。

女:あなたは魔術師に負けてしまったの?
男:……
女:私のあなたを恋する心は、あの魔術師の美貌を見ても迷わないのに!
あなたはあの人に誘惑されて、私を忘れてしまったの?私を捨てて、あの魔術師に支えようとなさるの?
…意気地なし。
男・お前のいう通り、意気地なしだ。あの魔術師の美貌に溺れて、お前を忘れてしまったのさ。でも、俺には、負けるか勝つかということより、もっと大切な問題があるんだ!

男は魔術師の元に駆け寄りながら、ひざまずく。

男:魔術師、私は醜いファウンになりたいのだ。ファウンになって、魔術師の玉座の周りを道化て滑稽に踊り狂っていたいのだ。どうぞ私の望みを叶えて、お前の奴隷に使ってくれ。
魔術師:よろしい、よろしい。お前の望みはいかにもお前に適している。お前は初めから、人間などに生れる必要はなかったのだ。

魔術師の合図とともに、男は床にのたうち惚ける。
女は慌てて魔術師の元へ行く。

女:私はあなたの美貌や魔法に迷わされて、此処へ来たのではありません。私は私の恋人を取り戻しに来たのです。あの忌まわしいファウンの姿になった男を、どうぞただちに人間にして返して下さい。それとももし、返す訳に行かないと云うなら、いっそ私を彼の人と同じ姿にさせて下さい。たとえ彼の人が私を捨てても、私は永劫に彼の人を捨てることが出来ません。あの人が醜いファウンになったら、私もファウンになりましょう。私はあくまで、彼の人の行く所へついて行くの。
魔術師:よろしい、そんならお前もファウンにしてやる。

#魔術師の合図とともに暗転

5:閉幕

#明転。町の喧騒が聞こえる。

女と男は机に伏せて、たまに痙攣のように笑う。魔術師はカーテンの向こうに座っている。

男:何時だよ、今
女:眩しいの、朝でしょ
男:カーテン閉めろって、言っただろ
女:風が気持ちいんだもん
男:こんな時間に眩しくて起きるの、俺は嫌
女:不健康
男:お前もな
女:私はわりとちゃんと活動してる、の!
男:どうですかね
女:なんかジメジメしてるのよ、ここ
男:来なきゃいいだろ
女:あんたが一番、顔がタイプ
男:…
女:ウソ、嘘。好きだから来てるんでしょ

二人の顔は見えない。二人の手は遊ぶように触れ合っている。

男:お前、爪切りなよ
女:背中、痛い?
男:お前は?
女:私?私が痛いわけないでしょ。あなたが痛いんじゃないの?
男:うん。
女:ハハ
男:うん、痛い。

男はふらふらと立ち上がり、カーテンを締める。

魔術師:二匹のファウンは角を絡ませ、とんでもはねても離れなくなってしまいました。
男:…?

閉めたカーテンの向こうを覗こうとしたところで、女が後ろから抱きつく。

#徐々に暗転。

女:また寝るの?
男:ん
女:はは

二人はふらふらと絡まって横になる。

#着信音

女:電話
男:いい

#ぷつりと電話がきれる。暗転。




初演映像



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?