Jリーガーの幼少期。

みなさんこんにちは。
高木利弥です。
更新がなかなかできず、
申し訳ありませんでした。

どんなネタを書こうかかなり悩んでいました。笑

今回は僕の幼少期について書いていこうと思います。
いくつかに分けて僕の生い立ちを書いていきたいと思いますので、
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

僕は1992年11月25日に広島県で、
父である元プロサッカー選手現SC相模原監督の高木琢也と母の間で生まれ、
妹が1人います。
当時、父親がマツダ(現サンフレッチェ広島)に所属していたこともあって、広島県出身ということになります。

僕は現在、左利きのプレーヤーとしてプレーしていますが、
実は箸を使ったりペンを持つのは右手になります。
親から直された感じはないですし、
両親ともに足は右・手は左と混合しているので、
おそらくその影響で自然にそうなったのだと思います。

赤ん坊だった頃はかなりの泣き虫で、
母親じゃないとダメみたいな感じだったみたいです。笑
あるあるですが、
幼稚園バスに乗ることも嫌がっていたみたいです。

5歳とか6歳とかまで広島県に住んでいたのですが、
当時の記憶はあまり残っておらず、
当時住んでいた家をうっすらと覚えてる程度です。
現在、僕は愛媛FCに所属していて広島県もすぐ行けるのでコロナウイルスの感染拡大が収まってくれればぜひゆっくり行ってみたいなと思います。
広島県のおすすめスポット等ありましたら教えてください。

実家にある昔の写真や映像を見ると、
父の試合後インタビューに抱っこされて自分が写っていたり練習場に遊びに行ってピッチで走り回ったりと貴重な体験は記憶には残っていませんが、
記録としては残っていました。笑

よく父親とサッカーしてました?みたいなこと聞かれるのですが、
あまりしたことないですね。
次の記事では小学生以降のことを書きたいと思いますが、
小学生以降もあまりボールを蹴った記憶はないですね。
なんでかはわからないです。

ちなみに家は父が頑張っていたので、
いい家に住んでいたみたいです。笑

そして小学生になるタイミングの時に、
父のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)への移籍に伴い家族で東京へ引っ越すこととなりました。

今回はここまでにしておきます。
また続きは次の回に。

             高木利弥

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