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春は心踊る季節なのか?(note de ショート #17)

「春は心踊る季節」

だなんて、誰が言い始めたんだろう。

「早くあったかくなって春が来て欲しいですね」

って、みんな春に何を期待してるんだ?

 春が嫌いだ。

 寒かった冬が終わろうとする気配を感じ取ると身体は筋肉を緩め、「もういいよ」というサインを頭に送る。吸い込む空気は花の香りをふんだんに含むようになり、あたりの景色が桃色に染まり始める。小鳥の鳴き声が耳に入るようになり、街行く人は地上から数ミリ浮いているみたいに、どこか浮かれている。ついこの前まで服を着込んで寒さをしのぎ、「いかにして死なずに生きていくか」ということが最優先で考えなければならなかったのに、すぐそばにまで来ていた死は、春が近づくにつれて僕のもとを去っていった。僕はこの緩い空気を感じ始めると、毎年憂鬱で仕方がない。卒業式がある年は、

「卒業式を終えた後はもういっぺん秋が来ればいいんだ。卒業式の後に春が来るからややこしいんだ」

 と思ったけれど、学生じゃなくなっても春が辛いのには変わりがなかった。桜が芽吹き始めて桃色の花びらをつける頃、いよいよ憂鬱さはピークを迎える。冬と春の変わり際には、空気は冬の気配をまだ含んでいるけれど、朝でも晩でも寒さで身構えるということがなくなる。足を踏ん張らなくて良くなる。何の力みもなく暮らせるようになり、体から力が抜けてゆき、脳みそも頭の中でふわふわと浮かんでいるような感覚で、いつも酔っ払っているようだ。この酔っているような感覚が辛いんだ。これはいつか覚めるもので、これはいつか無くなるものだ。心地よければよいほど、それが去った時の寂寥感が沁みる。

 僕は愛想は悪くない。むしろいいと思う。その人の持つトーンに合わせて話をしたり、空気を作れる方だ。少し話をすれば、話をする時の目線であるとか声の調子であるとか、多くの情報がキャッチ出来る。その人の持つ雰囲気に重ね合わせて、自分の立ち振る舞いを変化できる。でも世間の人のほとんどは驚くぐらいに鈍感だ。人の表情を見たり、人の声のトーンからその日の調子をキャッチしたり、その人の持つ雰囲気に合わせてコミュニケーションするなんて事はほとんどできない。みんな各々勝手なのだ。1 +1 = 2、2 +2 = 4、4 +4 = 8、みたいに、言葉を整数の設定の中の範囲でしか使ってないし、キャッチしてない。百分率、千分率の小数点以下の微妙な情報を検知できないのだ。

「みんな私のことわかってくれない」

と言う人は多い。でもそんな人はそれ以上に人のことを分かってないし、分かろうとしていない。整数の感情を大したコントロールもしないまま、思いっきり投げつけ合ってる。自分が放つ雑な整数のメッセージを、相手がどう受け取るかも考えないまま、そして相手にどう受け取られたかも感じないまま、延々と不毛なやりとりが進行していく。発信する側も受信する側も、感情表現のドットが本当に粗いのだ。そんな鈍感な人だらけのところにもまれ、間に入り、触媒みたいな役割をやってると、疲弊する。日本語と日本語で会話している同士なのに、その間に入って通訳をしているようなものだ。1年中そんなことをやっている。だから緊張感が体から解かれていく春に、その疲れがどっと出るのだ。決壊したダムのように、溜まりに溜まったモノが放出してくる。そしてあたりをみると、整数の人々が浮かれている。憂鬱にならない方がおかしい。

そんな景色を眺めながら、汗が吹き出す夏を待っている...

というのは5年前の僕。今は春が好きで仕方ない。変われば変わるもんだ。何が原因かって? なんだろう? 寒い冬が好きではなくなったから? 春に好きな食べ物を見つけたから? 整数なやりとりをする人々とは離れて付き合う人を減らして厳選したから?この世のほとんどはノイズだ。特に現代は。無理に付き合いをする必要はない(何年も会ってない『かつての』友人らしき人とwebで繋がって何を期待するの?)し、無理に情報に接する必要はない。自分が見(え)ない情報は、自分にとって存在しないのと同じ。情報とはほとんどが人に関することで、しかも自分とはほぼ無関係の人のこと。人まみれの場所から離れると春に疲れなくなった。疲れなくなったら、季節を楽しめるようになった。春の憂鬱さのあまり、彼岸に想いを馳せるなんてこともなくは無かった。今は生温い空気も、鳥のさえずりも、満開の桜も、どこか浮世離れした霞んだ景色も愛せるようになった。

生きてこそ その目に沁みる 春霞


〈このエピソードの他にも、「note de ショート」というシリーズで2000文字〜8000文字程度で色々なジャンルのショートストーリー(時にエッセイぽいもの)を、月10話くらいのペースで書いていますので、よろしければお読みください。〉




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