ひらがなではなして(note de ショート #11)
デパートのレセプションという仕事が、果たしていつまであるのかわからないけれど、私は3年ほどやっている。ブティックが立ち並ぶ有数のショッピング街に立つ、高級とされるデパート。その入り口で案内をするのが私の仕事。入ったばかりの頃は、先輩の水島さんから色々注意された。
「島谷さん。あなた、身長高くてスタイル良いけど、猫背気味なのはいけないわね」
スポーツもやっていないのに小さな頃から背が高く、学生の頃は男の子に一緒に並ぶことを嫌がられた。みんなと馴染もうとすればするほど背中は丸くなり、だんだん猫背になっていった。でも私からすれば、「態度がデカい女の子」と思われるよりはマシだった。私が今まで人の中でそれなりに生きてくることができた秘訣を、ダメだと言われた気持ち。
「私たちの店はエレガントさが売りだから、そういうところはちゃんとしてね」
、エレガントさ、か。
「背筋をスッ、と伸ばすの」
「スッ」ですか。
「胸を張って...あ、両肩を開いてね。そうそう。それで、お腹をひいて腰を落ち着かせる」
お腹をひいたら腰が落ち着かないんですけど。
「お腹を引いても、身体が曲がっちゃダメよ。お腹引くってわかりづらい? へこませるって感じかな」
お腹を引くとかへこませるとかはどっちでもいいんだけど、それで身体を曲げるなというのが難しい。先輩は私の肩と腰に手を当てて、そのポージングを伝えてきた。スッと立つってこんなに辛いの?
「そうそう!いいわよ」
辛いのがいいのか。エレガントさって大変だ。
「あと、言葉遣いね。入ったばっかりで仕方ないけれど、でもうちの顔なんだから、言葉遣いもエレガントにね」
エレガントな言葉遣いかー。今までエレガントに喋ろうなんて考えたこともないしな。このデパートに採用されただけでもびっくりしたのに、受付に配属になってさらに驚いた。人事の人はわたしのどこを見たんだろう?
「慣れないうちは、ペアになる先輩の所作を見てよく勉強してね」
「所作」という言葉を生まれて初めて聞いた。意味がわからなかったけど、その場で先輩に聞いたら空気が悪くなりそうだから、
「はい」
とだけ返事をして、休憩時間にググった。スタートはそんな私でも、3ヶ月ぐらいしたら慣れてきて、自分でもお客様に案内できるようになってきた。その後は、バームクーヘンの層が1枚ずつ巻かれていくように、段々と私の経験も分厚くなっていった。
今はネットで何でも調べられるから、「レセプションなんて仕事が要らないんじゃない?」と思うこともあるけれど、1日この場所にいると、いろいろ聞いてくる人が結構居る。目の前に見えるジュエリー売り場の場所を聞いてくるお客。通ってきたはずのエントランスでやっている催事の場所を聞いてくるお客。なるほど。これならレセプションは必要なのかもしれない。
平日の午後2時と言うのは、デパートにとって最も穏やかな時間かもしれない。ランチを済ませたお客も出て行き、店内に残っているお客もはっきりとした目的を持たず、ただぶらぶらしている。しかもその数は多くない。切迫感から解き放たれた緩やかな空気が、フロアに漂っている。そんなムードの中、
「あの...」
と、「おばあさま」と言うよりは、「おばあちゃん」といった雰囲気の人が聞いてきた。
「はい」
「娘とね、待ち合わせしてるんだけど、場所がわかんなくて...」
「さようでございますか。どちらでの待ち合わせをお約束されましたか?」
「どちらって?」
「はい。食料品売り場とか、宝石売り場とか、婦人服売り場とか」
「ああ。おもちゃ売り場。孫が見たいって言うから」
おもちゃ売り場なら別館の6階だな。
「おもちゃ売り場でございましたら、スロープを降りていただきまして、その突き当たりに別館へのエントランスがございます。エントランスを入っていただくと、目の前にエレベーターがございますので、そのエレベーターにお乗りいただき6階フロアにお上がりいただきましたら、目の前におもちゃ売り場がございます」
最後の「ございます」を言う時に口角を上げ、ゆっくりにっこり微笑んだ。ゆっくり、というところがエレガントさのキモ。でも、私の言葉を聞いたおばあちゃんは、少し困惑気味に微笑んでいた。少しモジモジして何か言いたそうだ。どうしたんだろう? 私はわずかに右に首をかしげながら、微笑みながらおばあちゃんの言葉を待った。おばあちゃんはゆっくりと話し出した。
「あの...、ごめんなさいね。年寄りなものだからよく分からなくて。ひらがなで話してくれない?」
「平仮名、ですか?」
話し言葉にひらがなも漢字もない。文字が見えないのだから、今度私は困惑して、ドギマギした表情になっていたと思う。どうしようかと思っている時に、
「おばあちゃーん!」
「はるきくん!」
おばあちゃんの娘さんとお孫さんがやってきた。お孫さんはおばあちゃん掛け合ってきて、2人はひしっと抱き合った。
「ごめんなさいね。ありがとう」
おばあちゃんはそう言い残して、お孫さんと手をつないで去っていった。私は曖昧な笑顔を浮かべながらそれを見送った。
少し遅めのランチを社食で食べながら、私はぼんやりと考えていた。おばあちゃんが言った「ひらがなで話して」という言葉を、私は今まで聞いたことがなかった。私は丁寧に説明したし、マナーも悪くなかったと思う。失礼な態度もしなかった。でも確かに、ひらがなで喋ってはいなかった。「スロープ」ではなく「下り坂」、「エントランス」ではなく「入り口」と言えばよかったんだ。でも、すぐにはわからなかった。「エレガントに」とか「品よく」ということを意識するあまり、お高くとまってる感じになっちゃってるのかもしれないなと思った。「エレガント」の意味をスマホで調べてみた。
「気品のあるさま。優雅、優美なさま。」
「優雅、優美なさま」か...。両方とも「優」と言う文字が入ってる。私は優しくはなかったかもな...。そう思いながら、ランチのパスタをフォークでゆっくり丸めながら思った。
〈このエピソードの他にも、「note de ショート」というシリーズで2000文字〜8000文字程度で色々なジャンルのショートストーリー(時にエッセイぽいもの)を、月10話くらいのペースで書いていますので、よろしければお読みください。〉
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