【4分読破】仕事を頑張るきっかけー私の場合ー

※本記事は1,800字です。約4-5分で読んでいただけます。

はじめに

 今日ははじめてnoteさんが提示しているお題に沿って記事を書きたいと思います。自己啓発内容になります。その点ご理解ください。

仕事を頑張るも頑張らないのにも必ずきっかけがある

 冒頭、立場を明確にしておきたいので伝えますと、私は自他共に認める意識高い系社会人。なぜなら関わる他者の多くが口を揃えて言うからです。からかって言っている人も勿論います。
 
 本題ですが、私が意識高い系に成りあがったきっかけを記します。
注意点として、「仕事ができるorできない」が今回の論点ではありません。私は、頭が切れる?→NO! 賢い?→NO!! IQ高い?→NO!!!※計測したことない。さらに、尊敬する化け物レベルの高い能力の持ち主上司からは「お前はバカ」と言われてますから、全くクレバーではありません。余談がすぎました。重ねて「仕事ができるorできない」が今回の論点ではありません。今回は「仕事を頑張るor頑張らない」が論点です。
 
 私はこれまで仕事を頑張ってきたと自負しています。様々要因があるとは思いますが、一番は「父親の借金返済」です。総額は700万。私が27歳の時に父は他界しました。自営業の町工場を営み、経営が傾いた後は運転資金を作るために長年契約していた生命保険も解約。幸いにも一人社長の仕事のため、社員はいなかったのが何よりも救いでした。賃貸主義の考え方だったため、持ち家ではなく残した資産はほぼない。家賃はかかり続ける。仕事一筋だった父は自己満足で借金をしながら仕事という趣味の活動期間を1年ほどしていました。多方面から借りた運転資金の借金は膨れて、700万円。添えておくと、父のことは大変尊敬しています。大好きです。10代の学生期間は何不自由なく好きな活動をさせてもらった。感謝しかありません。工場をたたむ最後は、息子である私が、頭を下げて「お願いだから、もう工場をたたんでくれ」と頼みました。その後1年半ほどだったかで亡くなりました。

 母の生命保険も予想に難くないですが、その場しのぎの工場の運転資金に回しており、自営業のため社会保険の国民年金制度は雀の涙程度。借金を返済できる当てもありません。長年母は専業主婦でしたし、パートを始めるも正社員との賃金差は大きいですよね。
 
 だいぶ冗長的になってしまうので、もう結論に向けていきます。父の借金は原則として子供が被る義務はない(※但し例外アリ)、という知識も知ってはいました。ですが、詳しくは調べませんでした。なぜならば「借りたものは返すのが当然だから」というある種自身のポリシーです。だから、仕事で稼がなくてはならなかった。結果を出し続けて、絶対に毎年年収を上げなければならなかった。これが当時私が仕事を「頑張らなくてはならなかった」主な理由です。
 
 今お読みいただいている方で私、仕事頑張れている!ならば本当にハッピーできっと天職だと思います。逆に、全然仕事頑張れてない方はあるきっかけでガラッと変わることもあると思います。焦らずにお互いにいきましょう。仕事でなくても、趣味でも熱中できるものがあるって本当に幸せなことですし、ひょんなきっかけで熱中せざるを得ない状況にもなります。どんな時でも落ち着いて自分で選択していってください。

最後に

 死んだ父が化けて出てきそうなので、再度お伝えします。父には本当に感謝しています。仕事の楽しさややりがいを教えてくれたから。死ぬ気で働いたらたとえクレバーでなくても結果は出し続けれらることを教えてくれた。お金を年間いくら稼がなければならないか?を否が応にも考え続ける積み重ねの大事さを教えてくれた。本当に感謝しています、父さん。

 余談ですが、借金は6年で完済しました。今でもその完済書は私のバイブルです。大切に保管しています。
<結論>
 おススメは全くしませんが、今日の話は「借金の返済能力をつけることによって踏ん張る力が最速で鍛えられた」という話です。
 すみません、テーマずれました。
 
 当時から考えていたこと。
 無借金経営の会社はややもすると返済能力は図れません。
 (不健全と言いたいわけではない。)
 借金経営はややもすると返済能力がある経営と取れますよね。

 では、また!

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