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道徳的ジレンマの原因はAI?

先日の新聞で、ある記事が目に留まった。
「<AIを用いた倫理観>どう判断する?自動運転車の道徳的ジレンマ」という記事
内容は要約するとこうだ…
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自分と家族が乗っている自動運転車のブレーキが故障。前方には高齢者2人が信号を無視して横断中。対向車線には障害物がある。
その時、私たちにとってどちらが容認可能なシナリオか?
A) そのまま直進する      → 高齢2人の歩行者が犠牲になる。
B) 歩行者を回避して障害物に衝突→ 運転者、家族を含めた乗客が犠牲になる。

▲イメージ図(※登場人物など細かな部分では相違アリ)

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A)の選択をした場合、高齢者の歩行者が犠牲になる。
そのまま高齢者2名が犠牲になれば、自動運転車の乗客家族は助かる可能性がある。いやまてまて、そのまま高齢者を犠牲にしてはならないだろう。
ここで天秤にかけられるのは、『命の数(量)vs命の尊さ(質)』 という議論。
さらに、たとえ高齢者であってもルール違反した方が悪いから と考えると
罪を犯した者の更生の機会は失ってもよいものなのか?(大げさではあるが)という議論が生まれる。
B)の選択では、この家族の不幸を予想するに難くない…。

結論、上記問題はAIを用いた倫理観の話ではない。全て人間が瞬間的に選択したとしてもこの議論は生まれると思う。

結局、AIを用いた場合の問題とすることで人間の判断ではない とした方が都合がよいと考えるだろうか…


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