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パブリックリレーションズの中立性を語らない広報職たち

広報職は、駆け出しの会社ほどひとり広報が多いですね。社内では圧倒的マイノリティー。しかしコミュニケーションのキーマンであるため、さまざまな人たちのステークを握っています。ゆえに、本来広報職は誰にでもやさしい反面一歩引いた位置関係を維持し、公正を心掛けるのが基本となります。

私は、その概要をひとつの記事にまとめました。

目次は以下のとおり。

利益相反
情報は、人々の人生を一変させかねない
編集権
孤立無援の中立
経営陣が試されるパブリックリレーションズの存立許可
パブリックリレーションズは不正に一切加担しない
まとめ:組織内外で維持する中立性


たとえば、編集権の項では、企業ではなく、社会の一員としてその発信はアリなのかを問うことにしよう、と書きました。

情報発信する者のプライドとは、その内容の成否を自分だけの目で判別することであり、情報を加工する技術を誇ることでは決してありません。情報は、人の一生を左右しかねません。ゆえに、情報発信を担当した以上、自分の視点で発信すべきかを常に判断すべきで、その主観は「企業に所属している」という次元を超えて、社会的にアリなのか、どうなのか、という視点を持つことが求められているといえます。

ということは、発信はかなり限定されることになり、たとえ社長からの依頼であっても却下することが起こります。

社会性もなく、自分たちのことしか考えていない新商品・新サービスのニュースリリースの、なんと多いことか。

残念な発信はそのまま会社の「程度」をあらわしているといっても過言ではありません。その先兵となっているのが、広報なのです。自らの仕事を振り返り、その妥当性を問う自我は、ないのか、と。

ゆえに、妥当性のない発信を却下し続ければそれを怒って圧力をかけてくる取締役なども出てくるでしょう。そのとき広報担当者は毅然とした態度でのぞめるのか、ということを聞いています。

中立は孤立無援である。

このプレッシャーに打ち勝つ内なる気概があるのか、ということですね。会社という組織の中では、確実に孤立無援になります。それはまったくの援軍のない孤立です。精神のバランスは、どんなことで維持するのか。私は日本では皆無に近いPR学部での知見と、数年にわたって毎日続けたクリッピングで得た時事情報でした。公共性・公益性をバックに、身勝手な発信依頼を持ってくる専務や社長をはねのけ続けたわけです。

広報は、成長企業だけのものではない

業績が爆発的に伸びる会社は、社会ニーズにマッチしたからであり、そういうところには黙っていてもさまざまなメディアの取材やコラボの引き合いが集まってきます。そのスタートは大変だったかもしれませんが、提案すべき材料がタイムリーで社会性に満ちたものであるならば、ヒットは時間の問題です。そういう素材に恵まれた会社はしかしながら、ごく一部。しかし、社会性のある仕事をしている企業はたくさんあり、その正当性と特徴をアピールするのは、広報をおいてほかにないのです。というか、社会性があるからこそ仕事が成立しているわけで、どんな会社にも必ず話題になる情報はあるのです。それをどうやって世の中に伝えるのか、中立を維持しながら会社と社会と一定の緊張感のもとやっていくにはどうしたらいいのか、考えるおおもとの材料を書いたものだと思っています。

中立性の話なんて、聞いたことがない

広報の仕事内容は語られるのですが、それを支えるマインドについてはまったくといっていいほど触れられていません。自覚がないか、語るとドン引きされると思っているのか。中立を保つ仕事は珍しくとんでもなくすごいことなんですが、そこに広報職のプライドを持てない人が多数で、私としては残念極まりないですよ。

これを書くと経営陣から嫌われる?

ばかなことを、と思います。こういう気概の人をそばにおけない経営なんて、カスですね。自分に都合のいい人をまわりに置く会社って、どんな人が見てもキモチワルイのひとことでしょう。そんな会社で業績がのびたところなど知りません。そして公私混同になりがちなので、広報活動など無理です。社会性の情報発信の前に、私心による祖語のケツ持ちをさせられることでしょう。そんなところで広報は成り立ちません。即刻転職しましょう。


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