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新刊の紹介‼︎小和田哲男さん監修『地形と地理でわかる日本史の謎』
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2022年6月10日(金)に宝島社新書から小和田哲男さんが監修した『地形と地理でわかる日本史の謎』が発売されました。
弟の杜出版代表の青木康が編集と執筆協力をしました。
歴史の流れを地政学的な観点を絡めて50のトピックスで解説しています。
特に興味を持ったのは今年のNHK大河ドラマの『鎌倉殿の13人』の舞台である第3章の鎌倉時代編と来年の『どうする家康』の舞台である第5章の江戸時代編です。
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第3章の鎌倉時代編では「なぜ、源義経は平氏追討から外されたのか」というトピックが面白かったです。
『吾妻鏡』では源義経が源頼朝の許可を得ずに左衛門少尉と検非違使に任官したためとされています。
しかし、実際は伊勢と伊賀で起きた平氏残党の反乱を鎮圧するためだったという説を紹介しています。
また、鴨長明の『方丈記』にこの頃の養和の飢饉で左京だけで4万2300人が亡くなったと書かれており、源義経に京の治安維持を優先させたそうです。
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第5章の江戸時代編では「なぜ、天下分け目の戦いが関ヶ原で行われたのか」というトピックが面白かったです。
当初、東西両軍が激突するのは大垣城とその周辺になる可能性が高かったそうです。
大垣城には西軍の伊藤盛正が城主を務めていて岐阜城とともに西軍の防衛ラインになっていました。
しかし、東軍は大垣城での戦いを避けて、石田三成の佐和山城を攻める姿勢を見せたため関ヶ原で激突したという説を紹介しています。
東軍の動きはまるで三方ヶ原の戦いの武田信玄の動きのようでもあります。
その一方で西軍があらかじめ関ヶ原の決戦を想定していたという説も紹介しています。
関ヶ原の西の小山には関ヶ原の戦いの200年以上前に玉城がありましたが、石田三成が竪堀や土塁を築き、本陣としました。
西軍は玉城を中心に松尾山城、菩提山城を築き、狭い盆地である関ヶ原を取り囲むように布陣し、強力な防衛陣地を構築していました。
しかし、松尾山城の小早川秀秋が東軍に寝返り、戦況の悪化で菩提山城も東軍に寝返ったため、防衛ラインが崩壊しました。
地形で有利であった西軍は、寝返りによりそのまま地形の有利さを東軍に奪われてしまったという話でとても興味深かったです。
目次
第1章 なぜ、畿内に古代天皇家が誕生したのか 古代編
第2章 なぜ、近畿地方が日本の中心になったのか 奈良・平安時代編
第3章 なぜ、日本初の武家政権が鎌倉で誕生したのか 鎌倉時代編
第4章 なぜ、日本各地で戦が起きたのか 室町・安土桃山時代編
第5章 なぜ、江戸幕府は泰平の世を築けたのか 江戸時代編
第6章 なぜ、幕末に動乱が起きたのか 明治維新編
第7章 なぜ、近代日本は大国に勝利できたのか 近代編
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