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アウトプットの再定義で、心が楽になった話
日常の細々としたことで、ここはもうちょっと良くならないか?もっとこうしてみたら、よくなるんじゃないか?と考えて、どんどん実行していくことが大好きな私。
そして思いついたら、猪突猛進。
よく言えば「実行力がある」と言えるけれど、突っ込んで大怪我を負うこともあるので、あまりおすすめはできないけれど笑。
というわけで、電車での移動、5分間でスマホからの記事アップにチャレンジ。
電車では、スマホを見ている人が大半でみんな忙しそうだけど、私はついさっきまで、ボーっとして何もしていなかった。
だけど、それでも次々と色んな思考が生まれてくる。いや、思考ではなく思考のゴミ、雑念がそりゃあもうわんさかと・・・・。
そう考えると、人間が1日にいかに多くのことを考えているのかがわかる。
6万回でしたっけ?
なななななんと!!!
でもだからといって、その思考は沸々と湧いてきては泡のように消えてゆくのですよね。なんとも呆気なく。
ーー
さて、今はこうして、出てきた言葉や自分の思考回路の足跡を残す目的で(あとから観察したいから)つらつらと書いているが、そういえば昨日の夜、ふと思ったことがあった。
仮に、毎日6万回も思考しているとしたら、アウトプットしないとフツーに考えて、具合悪くなるよねって。
私は自他ともに認めるめんどくさがりやなので、伝えたい思いみたいなものはあっても、「書く」という初動のアクション、そして、それをコツコツ続けることができなくて、ずっとそのことにコンプレックスに感じ続けてきた。
そして時々、自己啓発本の類を開いてみては「インプットはアウトプットと同じくらい重要です」、「そのバランスが重要なんです」という言葉にグサグサと刺され、その度に心をえぐられるような気分になっていた…。
もともと好奇心旺盛で学ぶことが好きなので、インプットは苦もなくできるのだけれど、問題はアウトプットのほう。
これが、わかっちゃいるけれどできない状態で、ずっと悩んできた。
でも。
よくよく考えてみたら、アウトプットって頑張ってやるものじゃないんじゃない?
と思ったのだ!
というのも、昨晩アウトプットのことを考えていた時に、「呼吸」のことがふと浮かんだから。
呼吸は、「息を吸って吐く」をひたすら繰り返す。
そのリズムの刻み方は人それぞれだし、より良い呼吸の仕方というのもあるのだろうけれども、人は皆、この「呼吸」をごく自然にやっている。
そしてこれは、インプットとアウトプットに通じる部分もあると思った。
吸う息がインプットだとしたら、吐く息がアウトプット。
これって、頑張らなくたって、気合いを入れなくたって私できてるじゃないか!って思った。
だとしたら、アウトプットを頑張る前提で考えなくてもいい。
そもそもそれが自然な状態ーーやや高尚な表現になるかもしれないが、生命のあるべき姿だから、頑張るでも、身構えるでもなく、ただ淡々と、黙々とやっていけばよいのだと。
これは、食物から命をいただくことと、排泄することとも似ている。
そう。インプットとアウトプットは、人間が生きることがそのものなのだ。
自分の中で、これまで苦手意識のあったアウトプットの着地点が見えた時、心がフッと軽くなった気がした。
ーーー
SNSで誰もが個人発信ができるようになり、良い感じで発信ができてフォロワーも増えている人が目立つ世の中で、
これまでなんとなく、世の中で「アウトプットできないキャラ」な自分はNGな気がして、ずっとモヤモヤしてきた。
そして、そういう中でいつの間にか
アウトプット=頑張るもの
アウトプットは苦役である
という強固な思い込みが出来上がってしまっていたのである。
でも、そうじゃないって今日書きながらわかった、というかアウトプットの解が少しだけ見えた気がした。
そういえば、私はこれまで無意識にしてきた呼吸もひょっとしたら苦しかったのかもしれない。呼吸も下手くそだったんだろうなと今ふと思った。
これはただの勘とかではなく、たぶん真実だと思う。
吸うことはできても、うまく吐き出すことができなくて、体も硬くなっていたように思う。
なんだか、断捨離を決行し始めてから、日々インスピレーションがすごく湧いてきている気がする。
噂には聞いていたけれど、やっぱり、その効果は絶大だった・・・!
今日のテーマをもっと掘り下げて考えてみると、ひょっとしたら全ては断捨離から始まっていたのかも?
手放すことはリリースすることであり、これもアウトプットに通じるから。
全ては繋がっているのね。
思考を突き詰めていく喜びもあるけれど、私はこれから「身をもって知る」体験を人生の中でどんどん積み重ねていきたいと思う。
そのためにも、自分の感覚を研ぎ澄ませていかなければ。
ではまた!
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