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どこへ行くかよりも、どんな経験をするかを重視した旅をすることを一言でなんと言いますか?
言葉は思考そのものです。
昔塾の先生が「今から1分だけ時間をあげるから、言葉を使わずに何でもいいから考えてみてください」と言われました。
言葉を使わずに…無理ですね。
人は言葉がなければものを考えることができません。
それはつまり、まだ言葉が生まれていない例えば原始時代のとき、そこには空も大地も、木も水も、何も存在しなかったんだと。
”存在しなかった”というのは正しい表現じゃないかもしれません。
確かにそこには空も大地も”存在している”が、それを指す言葉を人類は持ち合わせていないため、空も大地も区別していない。
木も水も何もかも区別していないから、認知できていないんです。
その状態を「混沌(カオス)」と言うらしい。
であれば、人は言葉で初めて物体を区別するのであれば、
例えば蝶(ちょう)と蛾(が)の違い…
蝶は比較的美しく表現されがちですが、蛾は案外嫌われ者。
けれど、フランス語では蝶も蛾も同じパピヨンです。
というとは…フランス人にとっては蝶も蛾も区別なく一緒なわけですかね。
区別してないから、日本人の「蝶は良いだけど蛾は嫌い」という感覚は理解できないのでしょうか。
同じパピヨンだから。
人はそこに言葉を付けることで認知します。
「空」と「大地」という言葉ができたその瞬間初めて、
人は世界を空と大地とそうでない物を区別できるようになったというわけです。
サリバン先生に手に水をかけられながら、WATERと別の手のひらに繰り返し書かれ、「モノには名前があるんだ」と知ったヘレンケラーの衝撃といったらたるや…
言語は思考というのであれば、同じ言葉を使う人たちに”国民性”というものができるのも理解できます。
ちなみに私の大学の先生は、「日本語には心情を表す単語が多い。”切ない”という単語に当てはまるを英単語を探すは難しい」と言っていました。
昔「一青窈さんがあの”もらい泣き”を海外で歌うとき、歌詞をその現地の言葉にして歌おうと思ったが、もらい泣きという単語がなかった。
結局現地の”同情泣き”みたいな言葉になった」というようなエピソードを聞いたことがあります。
もしかしたら日本語で思考できることは素晴らしいことかもしれません。
もちろん他の言語もそれぞれ素晴らしさを持っているのだと思います。
もったいぶりましたが、タイトルにある「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかを重視した旅をすること」を単語として持っている言語があるのです。
それはスペイン語で「VACILANCO(ヴァシランド)」といいます。
そんな意味を持つ言葉が独立してあるなんて。
素敵な旅人が多くいる国なんでしょうね。
僕も旅はVACHILANO派です。
旅も人生もVACILANDOして生きていきたいと思います。
(ちなみに、この言葉は「翻訳できない世界の言葉」という本で紹介されていました。僕も大好きな本です。)
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