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神様、神様【短編小説】

 私は、彼のことが本当に好きだ。好きで好きでしょうがない。寝ても覚めても、いつも彼のことを考えている。朝起きたら彼のSNSをチェックする。くまなく確認して、寝ている間に何か動向が無かったか確認する。こうすることしか彼の情報を知ることはできないので、本当に大事な作業のひとつだ。
 あ、昨日夜中に生放送してる。くそ、見逃した。しかもアーカイブが残っていない。こういう事態に出くわすと、嫉妬のもやもやが心の底に沈澱していく。私が知り得ない彼が存在するのが、本当に憎らしい、あーもう。朝から最低の気分だ。

 彼はいわゆるユーチューバーである。四年前に初めて動画を投稿し、そこからコンスタントにやってみた動画やゲーム実況などを一人で投稿している、登録者数三十万人ほどのユーチューバーだ。
 私と彼が出会ったのは、三年前。まだ登録者数が一万人ぐらいで、ファンらしいファンもいなかった時だ。ユーチューブのおすすめに出てきた、「車で沖縄まで行ってみた」という動画を見て、私は恋に落ちてしまった。
 高速を使わず、下道だけで九州まで行き、そこからフェリーで沖縄まで行く旅行系のやってみた動画だ。編集も上手く、本人のトークも面白く、ゲラゲラ笑いながら見てしまった。すぐにチャンネル登録をして、それからずっと彼を追いかけている。

 彼に関する情報ならなんでも集めた。
 東京都東久留米市生まれ、二十八歳。ユーチューブはたけっしという名前で活動している。(本名は飯田毅)今は西武池袋線沿線に住んでいて、普段は池袋にあるイベント企画系の会社に勤めていること。(今までの雑談放送や動画の出てくる情報から、住まいは石神井公園あたりだと思われる)大学は本人曰く「そこそこ」らしい。(たぶんW大学)
 彼女は「大学以来あまり縁がない」と言う。初めて彼が質問コーナー動画をしたときに聞かれてそう答えていて、妙にドキドキしてしまった。
 そんなことがあるわけないと思いつつも、彼はいったいどんなふうに女の子に触れるのだろう、なんて不埒なことを考える。もしそれが私だったら、いや、私以外の女の子だったら。そう考えては、はらわたが煮え繰り返そうになる。

一年前、彼の「クジをひいて出た日本の世界遺産全部めぐる」というシリーズの動画がバズった。そのせいで、急に登録者数とファンが増えてしまった。いいんだけど。いいんだけど、ちょっと寂しい。
 可愛い今どきの女の子が、ツイッターのプロフィールに「最近の推し♡たけっし♡」などと書いてあるのを発見すると、会ったこともないその女の鼻をへし折りたくなるのだ。
 ツイッターのリプライも女の子からの返信がとても増えた。私はそれを鼻で笑う。あんたら、それでたけっしの気を引けると思ってんの?馬鹿だなあ。私はもっと昔にたけっしからよく返信をもらっていたんだよ。最近はリプの数がとても増えたから返していないんだよ。

 彼の情報を集めるために、私はいろいろな掲示板に出入りする。人気が出てきたので、専用のスレッドも立っている。まあ、私が立てたんだけど。そこでは目撃情報などが頻繁にやり取りされていた。それを眺めながら、私も東京に住んでいたら、と考える。今は、東京より程遠い田舎で、しがないフリーター生活を送っている。お金もない。でも、たけっしに会ってみたい。会って、あわよくば、私を見初めて欲しい。触れてほしい。この温めた恋心が、どうかどうか報われてほしい。お友達からでもいいから、ファンという立場から一歩踏み出したい。神様、清い私の小さな願いを、どうか叶えてください。

 私の家は信仰心が割と深い。普通の家とは違うらしいが、毎朝毎晩のお祈りに、週に三回教会で指導者の話を聞くことが習慣づけられている。指導者は「とにかく信じることが大事だ」と言う。私もそう思う。だからいつとこうして、神様に祈っている。


 その日の夜、いつものようにツイッターを開くと、トレンドに「たけっし」の文字がある。それだけで心臓が大きく跳ねる。たけっし、どうしたの。震える指でそれを追う。
 近頃人気の若手個性派女優、長橋リン。熱愛報道。お相手は人気急上昇中のユーチューバー、たけっし。二人は実は同じ高校の同級生で大学時代から付き合っている二人はその日も長橋の家の近くのコンビニでお酒とおつまみを買いそのまま長橋の自宅へ向かった翌朝先に家を出るたけっしから時間差で長橋も家を出た長橋の事務所は本人に任せておりますが仲良くさせていただいていると聞いております仲良くさせていただいていると聞いております仲良くさせていただいていると聞いております。

「ああああああああああ」
なんで、彼女いないって言ったじゃん。
そんな目撃情報、どの掲示板にも載っていなかったよ。彼女しばらくいないって。嘘だったのか。たけっしは私に嘘をついていた。そんなことってある?
 血の気が引いて、ぐらぐらと燃えたぎる。私が大声を出したので、居間にいた母親が驚いて、部屋の外から「どうしたの?大丈夫?」と聞いてきた。
「嫌なことがあったの?お祈りする?」
「うるさい!!!」
  私はたまらず長橋リンのツイッターを開く。ダイレクトメールのページを開き、自分の思いの丈をぶつけた。

 私はずっとたけっしを見てきました。たけっしは本当にあなたのことが好きなんですか?たけっしは「あんまりグイグイ前に出る子は好きじゃない」と言っていました。女優をしているあなたのことは、多分遊びか何かだと思います。それか、自分のステップアップのための踏み台かもwまさしくステップです。あなたがかわいそうなので、別れたほうがいいですよwあなたも最近売り出し中の身なので、ユーチューバーと付き合ってるなんて世間のイメージ悪いですよ。どちらにせよ、あなたたちは幸せになれません。

 ここまで書いたら、長橋リンもきっと考え直してくれるだろう。次にたけっしのツイッターを開くと、衝撃的なツイートが目に入った。
「この度はお騒がせして申し訳ありません。週刊誌の報道はだいたいその通りです。彼女とはお互いこういう仕事をする前からの友達でした。これからも精進していきますので、応援してくだされば幸いです。 たけっし」

 頭に浮かぶのはあるイメージ。たけっしと長橋リンが仲睦まじく、同じベッドの中で笑い合う、そんなイメージ。昨日まで、長橋リンのところには私がいたのに。
そこは私の場所だったのに。私の方が、たけっしをよく知っているのに。だって、あなたの本名も学校も最寄り駅も全部知ってるのに。ねえ、毅くん。
 神様、私、毎日毎日、小さいころからあなたを信じてお祈りしたのに、全然聞いてくれなかったのね。指導者の先生が言っていた。「神様はあなたのすぐそばにいるんですよ」。私は、神様はきっと毅くんみたいな人だと思っていた。でも、だから。だから神様も毅くんも私を裏切ったんだ。
 息が上手く吸えなくて、目の前が真っ暗になって、それからあまり覚えていない。


***

「大丈夫かなあ」
「大丈夫じゃない?そもそも、俺そんな人気ないよ」
 家でベッドに寝転んで、スマホをいじる。毅は隣でのそのそとパンツを履いている。私は裸のまま、ツイッターを見ていた。
 まさか週刊誌にすっぱ抜かれるとは全く思っていなかった。事務所にも多少注意されたが、最終的に「まあ大人同士うまくやって」と言ってもらえた。
 毅は最近人気が出てきているユーチューバーだ。本人は謙遜しているが、女性ファンもそこそこ多いらしい、毅のツイートには、しょっちゅう女の子から返信が来ている。
「でも昨日、こんなDMが来たよ」
 どうやら毅の熱狂的なファンらしい。私たちのことを許せないようで、別れることを勧める内容だった。怖い。毅は私からスマホを取り、それをじっくり読んで、ため息をついた。
「この人、前からの俺のファンなんだけどちょっと怖いんだよね。昔はリプくれてたんだけど、今は俺のツイートに全部エアリプしてんの」
「それはちょっと怖いね」
「ブロックしても逆上しそうだし」
「たしかに。でも、それ以外にも毅って女子のファン多いから、なんかいつか取られそうで嫌かも」
 毅は面白そうに笑った。笑ったときの目尻の皺が可愛くて愛おしい。
「リンがいちばんに決まってんじゃん、余計な心配だなあ」
 すかさず私の頬にキスをして、毅はテレビをつけた。頬にキスされるだけで、少し安心する。物理的に、身体的につながる事よりもずっと。
 絞られたボリュームで夕方のニュースを読むアナウンサーの声が部屋に流れる。
「昨日未明、A県H市の宗教施設で、建物が全焼する火事が起きました。焼け跡からは、複数の遺体が見つかっており、警察は近くにいた同市無職、中村サロメ容疑者三十五歳を放火の現行犯として逮捕しました。警察はーー」
 画面に映される、ごうごうと燃える火。のどかな田舎町で、それは異様なまでに赤く見える。サロメってすごい名前だな。毅はニュースに目もくれず、「なんか飲む?コーヒー淹れる?」と呑気に聞いてきた。
「この人、ここの信者だったのかな」
「え?なに?」
「ううん、なんでもない」
  ベッドの脇に落ちていた下着を拾って身につける。台所から暖かいコーヒーの匂いが漂ってくる。
「今日トップスのケーキ買ってきたけど食べる?」
「食べる!」
 目に見えない神様より、毅のほうがよっぽど信じられる。そうなると、私の神様は毅ってことになるのかな。ふふ、と笑みをこぼす。
「思い出し笑いする人は助平なんだよ」
「なにそれ」
 つまみ食いをしたらしい毅の口の端に、茶色のクリームがついている。私は、彼のことが本当に好きだ。好きで好きでしょうがない。

***

そうだよ。毅くんは、神様なんだよ。
私の大切な大切な神様なんだよ。

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