私のなかにある中心線
そっちゃんです。
実は今日はうちのママが「ど〜ん!!」
このコンテストに参加したい!と言うので
そっちゃん日記はお休みしてママが主のエッセイを書きます。
突然のママ登場でそっちゃんnoteのコンセプトから外れてしまい申し訳ないです。
どうしてもママが書いてみたい!と言うのでママの熱意に負け今回バトンタッチします。
今度、ママの自己紹介のBlog書いて改めて僕のママのことを紹介しますね。
少し長めになりますが読んで頂けたら嬉しいです。
では、では、そっちゃんはまたです。
🍀🍀🍀
私は劇団に所属して、
20年間役者として人生を過ごしてきた。
勉強以外の生き方は全てここで学んだ気がする。
決して華やかではなく泥臭くて楽ではなかった。
生活の為だけに働き、
平日は週3で仕事終わってから稽古に行き、
土日は全て稽古。
舞台が決まれば2ヶ月前から毎日稽古。
友達と遊べる時間は夜中、当時の彼氏と会えるのは日曜の夜だけ。
そんな生活を何十年と繰り返してきた。
でもそれでよかった。稽古に行くことは私にとって
あたり前のことであり生活の一部だったから。
私は器用な役者ではなかった。そして自分をさらけ出して演じることが苦手だった。
「お前は役者に向いてない」「稽古場から出てけ!」
何度も稽古を中断させ演出家の代表に怒られた。それでも「人に何かを伝える以上、苦しまなきゃいけない。苦労してないと人に想いは伝えることが出来ない。」
そんな固定概念に当時捕われていた私は、何度も罵声を浴びせられても食らいついた。
10年役者を続けても演出家は逃げ場ない言葉で私を追いつめた。
すみません…そんな言葉は通用しなかった。
メンバーの前で怒られ、プライドは傷付き切替える事が出来ないまま稽古はすすむ。演じられるわけがない。
その頃には好きで初めた芝居がただの苦痛へと変わっていた。
何度もため息をつかれ、呆れられた。
ため息をつかれる度に私は私を否定されてる気がした。稽古に行くことが怖くなった。
でも舞台が決まって役がある以上、逃げることは出来なかった私は、息切れ、動機がする中でも稽古に通い、何度も吐きそうになり、過呼吸になったりもした。
「好きなことしていいね!」そんな周りの人達の言葉が辛かった。言われるたびに泣きなくもなった。
私は迷いながら何年も芝居を続けていたから…。
20代の頃の様に食らいついて演じる力は私にはもう無かった…
褒められたことは1度もない。役者として群を抜く個性も他のメンバーのように私にはない。こんな周りに迷惑ばかりかけてそれでも私は劇団に必要なのか?何のために私は舞台に立っているのか?
もう…わからなくなっていた。
そして私は劇団でどんどん話せなくなりうまく笑えなくなった。
ここに居たら私は私らしく生きられない…
そう思った。
私は芝居を辞める決心をした。
森の中にいたら森の大きさはわからない。
芝居をしてる中では自分がやりたいのか?好きなのか?気付くことは出来ない。
代表は「芝居が好きだからここに居るんだろう、今更なにを言うのだ!」と。
私は本気で芝居をやってきた。楽しいこと、感動したことはもちろんあった。
平行線の話合いは何度も私の決心を揺さぶった。
何度も振り切った。そして震える身体で言い切った。
「もう明日から稽古には行きません…」
私がそう決めたはずだったのに手放しには喜べなかった。なんて勝手なんだろう…また私は私の気持ちがわからなくなった。20年間私の中にあった役者という中心線を失った私は不安しかなかった。仕事も休み3〜4日ずっと泣き続けた。地に足がつかないそんな感覚だった。
それでも生活はして行かなきゃいけない。
仕事終わりに友達と飲みいくこと、彼氏と旅行に行けること、話題のドラマがリアルタイムで観れること、ネイルやオシャレをすること。取り戻した日常はなかなか新鮮な世界だった。
結婚もした。転職もした。残業もした。資格も取った。
私は芝居とは別の世界で自分を満たす努力を必死にした。
2年後…
やっと私は劇団の芝居を観にいけるようになった。
私は初めて劇団の芝居を客席から観た。
舞台の上で芝居をするメンバーは役者として完璧だった。感情の表現、台詞まわし、間の取り方…、計算された細やかな動作、魅了された。
そして代表が書く台本、飽きさせない演出、絶妙だった。細かい拘りも流れる音楽も、役者を当てる照明さえも。
改めて私はこんなスペシャリストの中で芝居を続けてきたのかと思った。
芝居がすすむにあたって、何十年も一緒に稽古をしてきた私には稽古場の風景がわかる。
そしてふっと思う。私が居たらどの立ち位置の役なのか?
初めて自分の役者としての役割がわかった気がした。
私の心は「お前はもう役者ではない。」そう言う。
でも私の身体がグイっと引っ張られる。
「私はもう役者はやりたくたい!」
どれだけ心で制御しても…
身体があっち側へ行きたいそう言ってる感覚…
芝居が終わった後、私の身体は無意識レベルで
舞台に向かっていた。
そして代表が舞台に上げてくれた。
私にとってそこはとても神聖な場所のような気がした
舞台の上から誰も居ない客席をみた。
私は本番前いつも舞台から観客の居ない客席を眺めていた。
目を閉じ、息を吸って大きく吐く…
そしてイメージをし目を開け1番最初の台詞を喋る。
込み上げてくる想いがそこにはあった。
身体中に血がかけめぐり全身がカッと熱くなった。
「私にはちゃんと役者の血が流れている」
そう感じた瞬間…魂が震えた気がした。
絡みあっていた糸がきれいにほどけた。
私はワンワン子供みたいに泣いた。
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
涙が止まらなかった。
それは悦び、暖かさに私が包まれた瞬間だった。
「おかえり。」そう言われて、
私が役者を続けてこれたのは何度もあの頃私が私を諦めたときに私を諦めてくれなかった人達の優しさがあったことを知った。
久しぶり会ったメンバーは私のモノマネが上手になっていた。
「どうせ私はバカですぅ〜」
「体調悪いからうまく出来ないですぅ〜」
「もう…帰りたいですぅ〜」
なんで?ど〜して?私だけ?私は頑張ってるわかって!
私の名言の言葉達は単なる承認欲求が強いかまってちゃん女子の言葉だった…。
かわいいかわいいリトルたっこちゃん。
馬鹿馬鹿しくてみんなで笑った。
何十年とほぼ毎日顔を合わせれば、
他人とはいえど自我と自我のぶつかり合いとなる。
30過ぎて家を飛び出した私は思春期の娘で、
そんな身勝手な娘の帰りを待ち続けた代表の父親、
家族達…
私は愛されていた。
「お前が居ない台本を書くことには苦労したんだぞ、
今回いい話だっただろう?役者じゃなくてそこ褒
ろよ!」と…。
「かまってちゃんですね!(笑)」と、
一言そう返した。
自分が自分を否定することで
気付かない想いや失うものがある。
褒められたい、認められたい。
そりゃそうだ。でも人は自分が思うタイミングで
自分が欲しい言葉だけをくれるわけではない。
本当に自分を褒め、満たすことが出来るのは
きっと私自身しかいない。
そして…
そんな愛する人達と共に
過去のかわいい私を抱きしめながら
役者としてまた舞台に立つ…。
今度は大きな声でやっと言える。
私はずっと誰かに言いたかった。
「私たっこは、役者です。表現者です。」
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