日本書紀への懐疑と疑問

 まず最初に、知恵袋の方の文章が上手くかけていたので記録する為に引用させて頂きます。

~知恵袋より~

神代文字は存在します。
はじめに、神代文字が否定された理由を述べます。

日本国は、古事記日本書紀の「天照大神の神勅をもって日本国の創立と為す」ことが国会(1975年3月18日衆議院内閣委員会)で論議され、加えて学会でも「明治憲法においては、天皇の地位は天照大神の意思、つまり神勅に基づくとされていた」と、憲法学者の芦部信嬉氏が著書『憲法 第五版』に記したとおり通説で有り、その明治憲法に基づいて現憲法が成立していることから分かるように、「天照大神の神勅をもって日本国の創立と為す」ことが生きております。

しかし神代文字で書かれた歴史書には、天照大神以前の歴史が書かれており、日本の建国については違った歴史がある事が分かります。
記紀成立事、時の権力者は政権の正統性を確保するため、伊弉諾伊弉冉以前の歴史を神話にして棚上げし、神代文字で書かれた歴史書をすべて異端の書とし、かつ神代文字は無かったことにしました。
 古事記,日本書紀が完成した頃、元明天皇の『年号を和銅と改めたまふ時の宣命』(続日本紀)には、【亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。復罪如初。】
(禁書を持って山野に逃亡している者は100日以内に自首しないと恩赦を与えない)

というわけで、天武天皇以来現在でも「天照大神の神勅をもって日本国の創立と為す」と、国会で答弁されている以上、国公立の学者らはそれに異論を唱えることを憚られています。ですから、やまと言葉すら研究する学者がいませんが、神代文字で書かれたやまと言葉は資料がたくさんあり、在野の研究者がご苦労なさって成果が上がっています。

そんな背景から、神代文字は実在したということがご理解頂けると思います。写真は、長野県駒ヶ根市の「大御食(おおみけ)神社」に伝わる、アヒル草文字という神代文字で書かれた社伝記です。

伝えてきたのは出雲の千家家よりも一代早い、日本で最古の家系を伝える小町谷家です。しかし残念なことに、この「美しの杜社伝記」は、神代文字のアヒル草文字で書かれているために、忌避されてきました
~引用以上~

皇記は三千年程度ですが、日本には縄文時代と言う文化が一万5千年は続いていました。皇記より前であればそれは卑弥呼の関係した時代という事です。

日本には、古くから文字が有ります。日本に文字が有るはずなのに、漢字で書かれた日本書紀。漢民族の秦氏が編纂に関わっているから・・・・

何故日本語で書かないんですか?難しいニュアンスの日本語が漢民族だから分からなかったと私は見ています。彼ら自体が後から日本に来た漢民族なのは、遺伝子が西側から迫り、今まで日本にいた遺伝子の者たちが駆逐されるかのように東北にしかいなくなっていっているのを見ればわかります。

神武東征の効果でしょう。でもアイヌの方はは少しだけ生き残りの方がいらっしゃるようで良かったのです。話がそれるので今回は書きませんが。本来アイヌに謝罪すべき人達が誰か?考える人が少ないのは残念な事です。

【祀神の名前を変えて縄文時代を隠す】

菊理媛とか木花開耶とか前から居ません。
●ククリヒメは白山の九頭竜の神様を引きずりおろし名前を変えて宣伝したものです。
※九頭竜は縄文神です

●コノハナサクヤについてはお坊さんなども言っているので私の方が事実だ
浅間大神・アマテラスから名前を変えています。アマテラスが一番大切と言いながら何故名前を変えてしまうんですか?

八股(つまり九つ頭が有る龍だから九頭竜)を成敗したとちゃんと自ら言っています。つまり縄文時代の九頭竜を誰かさんたちの勢力がやっつけたのか?普通に考えると答えが明らかだと思います。

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