見出し画像

学問へのいざない?:西洋古典と初めての「途上国」

2022年の9月からイギリスに2年ぶりに滞在することになった。イングランドに住むのはこれで2度目。2019-2020年にロンドンにあるLondon School of Economics and Political Science (LSE)という社会科学専門の大学で比較政治学の修士課程に在学した時以来。何から書こうかと色々迷った結果とりあえず、ここまできた経緯について数回に分けて書いていこうと思う。

思えば、海外留学とか海外生活に憧れを抱いたのは学部生の時だった。当時関西の大学で西洋政治思想史や政治理論を中心に勉強をしていた僕は、欧米にそれとなく平然とした憧れがあったような気がする。それと同時に、いわゆる発展途上国の問題に携わりたいという思いまぁどこにでもいる大学生という感じだった。大学に入るまでろくに本を読んだことがなかった僕は(今も論文以外基本読まないけど)、なぜか難解な古典に興味を持ち、大学一年生にマキャベリの『君主論』やプラトンの『国家』をゼミで読んだ。そもそも読書が嫌いな子がなんで文系志望したのかもよくわからんのだが、そこからまた一番厄介で(かつ一番お金に繋がらない)哲学とか思想史にのめり込んだのか. . .自分でもよくわからない。ただ自分の中で、アジアやアフリカで起きている貧困や紛争の問題は、実は割と古典的な議論で説明できるんじゃないかみたいな感覚があり、いきなりアフリカの貧困問題とかから勉強するよりもとりあえず古典からまずやるのが得策なような気がしていた。結果的にこの考え方はその後の僕の研究者としての問題意識を作る上で非常に重要なものとなっている。

大学4年間は半年間アメリカに語学留学をしたものの、特に途上国に長期でバックパックに行くとかもなく、途上国の問題に関心はあるけどまだ行かないというというかなりあまのじゃくな学生だった。そんな僕の発展途上国デビューは、大学院でのことである。大阪大学大学院に入学し、当時阪大がやっていた世界展開力強化事業というやつで東ティモール国立大学に留学する機会を得た。こうして僕は、東ティモールという21世紀最初の独立国家に足を踏み入れることになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?