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不登校に対して「高校」ができることは何か

「高校」と括弧書きにしたのは、義務教育とは違うからです。

「高校は、『資格』だから。選ぶ自由がある分、その学校のシステムに合わせなきゃいけない」

そうだと思います。
教育の個別最適化が注目され、個々のニーズに対する合理的配慮も必要です。

ならば、もう教育って個別でいいんじゃないの?というのは、極論です。
集団での教育効果が得られるのが、全日制の学校だと思います。

もちろん、通信制など、他の形態の教育システムが最近充実してきているので、全日制に合わなければ、そういったシステムを利用すれば良いと思うのです。

全日制学校だけが、全てじゃない。
社会が、そういう認識になってきているのは、良い流れだと思います。
教育を色んな形で選べるから。

だからこそ、全日制学校は、全日制のシステムでやればいいし、やるべきです。
朝から登校しなければいけないし、欠課時数が多ければ単位が取れない。
そういう制約の中で、3年間やり切る、ということ。

そう。それでいいんです。

だから、合わなければ、他のシステムへどうぞ。

・・・って、淡々とルール通りに機械的に、っていうのがなかなかできないから、
現場の教員も、生徒も、保護者も、苦しむんですよね。

事情も、思いも、人それぞれだから、全てに対応するようなマニュアル化も難しい。

高校ができることは、なんか、身も蓋もない言い方になりますけど、

あーだこーだ考えて悩んで、本人と保護者にいっぱい寄り添って、
その子にとって一番いい形って何だろう、を模索すること。

せっかく縁あって出会った生徒だから。

復学することもあるし、通信制に移ることもあるし。色々です。
本人が納得して選択するまで、わかりません。

そして、教員はその所属する学校の一部だから、
踏み込みすぎてもいけない。ここ、大事なポイント。
心は熱く、されど頭は冷静に。

あと、そういう思いで、チームで動いていること。
担任とかが1人で対処できるようなことじゃない。

泥臭く、学校としてチームで、あーだこーだと悩んで、
真剣に、本人に、保護者に向かっていく。
そういう「チーム学校」であることが、一番必要なことじゃないかなあ・・・

どの学校にも、どの生徒にも万能なシステムなんてないのでは。
働く教員だって、みんな色々な性格、特性があります。

古臭い校舎、予算もない、公立高校。
カウンセリングのプロが常にいるわけでもない。

みんなで悩みながら、対話を続けていくしかないんじゃないかな、と思います。

そして、最初の話に戻りますが、
「全日制」なので、朝から学校に来る、教室で授業を受ける、でいいと思います。
(将来的には、少子化もあるし遠隔地の生徒に対してオンラインなどの制度も充実していくと思いますが)

「今日眠いししんどいけど、学校行くか〜」
みたいな、ある程度の「学校のストレス」の中で育っていく力も、あるのです。
社会で仕事をしていく、生き抜いていく上で、つけなきゃいけない力も、あるのです。

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