「この世界の片隅に」/「オッペンハイマー」〜事象の裏には必ず、する側とされた側が存在する〜
毎月1日はファーストデイと言って、映画が安くなる。
ので、4/1は1日に映画を3本見た。ただ、僕の脳の処理能力と容量的に、映画館で観るのは2作品/日が限度のようだ。3本目の「君たちはどう生きるか」(2回目)では軽く寝てしまった。
スクリーンで映画を3本観るには、午前・午後を使う必要がある。
1本目に観たのが「この世界の片隅に」であった。
まごうことなき、戦争映画の傑作。
日本の代表的なアニメーション戦争映画といえば、「はだしのゲン」「火垂るの墓」が二大巨頭であった。2作品に共通することは、戦争描写が多いことにある。原爆で焼かれた街や、ガラスの破片が突き刺さった人間の身体などがそのまま描かれている。つまり、映画の主テーマは「戦争の悲惨さ」であり、それを全面に押し出した作品である。
しかし、「この世界の片隅に」はそうではない。
主人公・すずさんの日常がほとんどを占めており、戦争のシーンをクローズアップして描くシーンはあまりない。これが意味することは、当時の日本で生きる人たちにとっては、「戦争が日常」であったということなのだろうと思う。
この映画を家で鑑賞した時に、なぜスクリーンで観たかったのだろうと深く後悔した。だから、緊急上映が決まったと聞き、速攻映画館に足を運んだということである。
また、この2日後の4/3には、「オッペンハイマー」を観ることが既に決まっていた。
日本では、6ヶ月遅れての公開だったらしい。
こちらも明らかに傑作だろう。
オッペンハイマーは「原爆の父」と言われている。彼がリーダーとして指揮をとった「マンハッタン計画」で作られた原爆が、広島・長崎に落とされた。
つまり、「オッペンハイマー」はする側、「この世界の片隅に」はされた側、を描いた映画なのだ。
する側とされた側。
世の中の事象には必ず、する側とされた側が存在する。
だから、目の前で起こった出来事に対して一側面からのみで接することは必ずしも適切ではないはずだ。する側にはそれをした理由や葛藤がある。された側には、された前後の揺れ動きなどが存在するだろう。
片方の意見や主張だけを鵜呑みにすることはあってはならない。物事を複眼的に観察し、思考する。それが考える力を育てるのであろう。
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