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ベランダから取り込んだTシャツをたたんでいたら、母に謝りたくなった。

小学生の時、毎日ポケットにハンカチを入れて学校に行っていたのだけど、きれいに入れられないと気持ち悪くて、母に見守られながら何度も何度も入れては取り出し、入れては取り出しを繰り返していた。やり直している最中は、永遠にきれいに入らないのではと思って、泣き出しそうなこともあった。なんであんなにきれいにしまいたかったのだろう。きれいにしまえたら「今日も大丈夫」と安堵の気持ちだったことを覚えている。

5歳の頃に家で洗濯物たたみ係(不定期)を拝命してからは、洗濯物を「きれいにたたむこと」が小さい私の重要な任務であり、心の拠り所になっていた。角がぴっちりそろったタオルが積み上がるほど、気持ちが落ち着く気がしたし、靴下もTシャツも納得のいく完成形になるまできれいにたためなければ何度もやり直した。フード付きのトレーナーだけは心が乱れた。何度やり直してもしっくり来なかったから。中学〜高校に入って部活が忙しくなるまでは、母と分担しながら洗濯物をたたみ続けていた。

わたしは母の洗濯物のたたみ方が嫌いだった。Tシャツも靴下も裏返しのままざっくりたたむし、タオルの角もちょっとずれていたから。取り込まれたときに裏返しの洋服があればもとに戻して、洋服屋さんに並べても遜色ないようにすることを目標にしていたわたしからすれば、母がたたんだ洗濯物は不良品の類だった。どうしても許せない洗濯物に関しては、母が目の前にいようともたたみ直す暴挙に出ていた。いま考えるとなんて失礼なやつだろうと思う。そのときは母のたたんだ雑な洗濯物を正しい形にしてやったくらいに考えていた。

小学校の高学年になって、アイロンかけを覚えてからは、父のYシャツをピシッと伸ばすことも好きな行いのひとつになった。アイロンを押し当てて、シューッと出てくる蒸気に続く、あのなんともいえない香りが愛おしかった。

高校を卒業して大学に入学して、退学したり再入学したり就職したり、馬鹿みたいに引っ越しを繰り返しているうちに気づいたら洗濯物をたたまなくなっていた。ベランダに干していた洗濯物を取り込んだまま放置しては、その山が小さくなっていくことを繰り返していたし、大きなハンガーラックを買って、吊るしたままのトレーナーが少しだけ伸びてしまっても気にならない鈍感さを手に入れたのだ。

そうして、馬鹿みたいな引っ越しを繰り返さなくなって、2人分の洋服を洗濯したり干したりするようになったいま、わたしはTシャツを裏返しのままたたんでいる。片方は表でもう片方は裏返しの靴下もやはり当たり前のようにそのままたたんでいる。タオルは角が合っていた方が気持ちが良いけれど、角が合っていないタオルをたたみ直さない。たたんだ本人がいない場所であっても。

いつから裏返しでたたむようになったのかは思い出せない。


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